10
「あーあ、言っちゃった」
「えっ?」
「ううん、何でもない。でも、うん。嬉しいよ。私もあなたのことが好きだったの、きっと」
樹は込み上げてくる衝動を抑えることができなかった。自然と由依の唇に自分の唇を重ねていた。
彼女の顔は火照っていた。それは猛烈な羞恥心からなのか、それとも風邪の症状なのか樹には分らない。
「由依のことが大好きだ」
唇を離すと樹はもう一度言った。
「出来るなら、あなたともっと早く出会っていればよかった」
由依は顔を真っ赤にしたまま笑顔で返す。
それは樹が初めて見る美しい顔だった。こんな表情があるのかと驚いた。
由依の言う通り、入学してすぐに知り合っていれば、お互いの学校生活はきっと違ったものになった。
「でも、その言葉だけは、もう少し取っておいてほしかったわ」
由依はちょっと不満そうな調子で言った。
「どうして?」
「だってその方が長く一緒にいられるから」
樹には言葉の意味が分からなかった。
「どういう意味?」
「ううん、こっちの話」
由依は笑った。
「さて、そろそろ私は戻らなきゃ」
「戻るって、家に?」
樹はどうもさっきから由依の様子がおかしいことに気づいていた。彼女は今にも自分の前から離れていってしまいそうだった。せっかくお互いの気持ちが通じ合ったというのにだ。
由依はベッドから両足を降ろした。
そのまま樹の目の前をすり抜け、ドアまで歩いていった。
彼女は自宅に帰るのだろうか。もしそうなら自分が送ってやらなければならない。
そんなことを考え、由依に何か言おうとした瞬間、由依は樹の方を突然振り返り、笑顔をみせた。
「今までありがとう。でも、さようなら」
そして、今まで一番明るい顔と言葉を残してドアを開いて廊下に出ていった。
「由依!」
反射的に声を上げ、後を追った。すぐにドアを開ければ、そこには由依の背中があるはず。
「ちょっと待……」
ドアを開けた。
由依はいなかった。
慌ただしく廊下の左右を見回しても、由依の姿はどこにも見当たらない。
あるのは、文化祭の飾り付けと、歓声を上げて行き交う生徒たちの姿だけだった。