05
二人は彩られた廊下をゆっくりと歩いていった。
由依の手や顔からは異常な熱気を感じる。ブラウスがしっとりと濡れていた。まるで滝のように全身から発汗しているようだった。
由依の足取りは重く、時に長い足が絡み合ってはバランスを失う。その度に樹が身体を支えてやらなければならなかった。
学祭に沸く校内の生徒たちから見れば、今の二人はひどく不可解な動きをしているに違いなかった。その証拠に好奇に満ちた視線が何度も二人に向けられた。
しかし、樹は少しも動じることはなかった。今はただ由依のそばで彼女の力になってやりたいという気持ちだけだった。
校舎を出て、渡り廊下を行くと、頭上には大空が広がっていた。青い空が白々しく感じられた。どうして空はこんなに澄みきっているのだろうか。
樹にはそれすらが憎らしくてたまらなかった。
もう会場の近くまで来ているはずなのに、なかなか辿り着くことが出来ない。
ちょうど曲が終わって、観客の声援や拍手が響き渡った。
ここへ来るまでに樹は何度歩くのを止めようとしたことか。辞退できるなら、どれほど幸せだろうと考えた。
しかし由依は必死だった。自分から身体を引きずって、少しでも前に進もうとした。決して立ち止まらなかった。そんな彼女の強い意志が樹をここまで引っ張ってきた。
体育館の外では一志が待っていて、由依の異変に気がついたのか、すぐに駆け寄ってきた。
「小林さん、大丈夫か?」
一志は訳が分からないといった顔で樹の方を見た。
「ひどい風邪なんだ。俺は止めたんだけど、彼女がどうしても出場したい、って」
「でも、これじゃ無理だろ」
「私、歌えます」
由依の声は震えていた。
保健室からここへ来るだけでも相当体力を消耗したのかもしれない。
一志は由依の気迫に圧倒されたのか、それ以上は何も言わなかった。
「まだ、間に合うかな?」
樹は一志に聞いた。もし自分たちが出演時間に遅れたのであれば、それはそれでいいと思っていた。
由依には申し訳ないが、これで彼女を舞台に立たせなくて済むし、彼女の醜態を全校生徒の前で晒したくはなかった。
「ぎりぎりセーフ。この次だ」
一志は無情にもそう答えた。
どうやらこれは由依に与えられた試練らしい。
最悪のコンディション。こんなことになるなら、話を持ち掛けなければよかった。
樹は由依への謝罪で一杯だった。
それでも二人は舞台裏へ回った。他の出場者が楽器をそばに置いて出番を待っている。
「どこに行ってたんだ、遅刻だぞ!」
運営の生徒が二人を見つけると叫んだ。彼の持つストップウォッチが薄暗い蛍光灯の明かりでチラチラと反射する。
樹はその無遠慮な言葉が我慢ならなかった。こちらにも事情がある。一言返そうと口を開こうとした途端、由依が身体を割り込んできた。
「何も言わないで。お願いだから」
「えっ……」
「すみませんでした」
そして、スタッフに頭を下げた。
「次の出演者の準備があるんだ、しっかりやってくれよ」
怒号が飛ぶ。
この舞台裏では少々声を張り上げても何の問題もなかった。舞台の演奏が大きな音の壁を作っているからである。
「二分前!」
舞台の袖から別のスタッフの声が響く。
「二年の江坂君と小林さん、スタンバイしてください」
樹は由依の小さな手をぎゅっと握りしめた。