05
ライブの参加を取りやめようかと本気で考えた。今辞退すれば、後ろ指をさされることは目に見えている。しかし今の心理状態で一緒に出場する気にはなれなかった。
「俺、帰るよ」
そう言ってギターケースを持ち直すと彼女に背を向けた。
「待ってよ」
そんな強い声と同時に彼女の手が樹の腕を掴んだ。意外にも強い力に思わず振り返った。
「ごめんなさい。もう吸わないから」
嘆願するよう小さく口が動いた。これほどに弱々しい小林を見るのは樹も初めてだった。
樹はしばらく何も言えなかった。どうしようかと考えていた。折角ここまで来たのだ。自分が我慢して、これまでの関係が続けられるならそれでもよいと思った。
「……分かったよ」
小林が樹の腕から手をゆっくりと離した。
「じゃ、私これを捨ててくる」
「それは後でいいよ」
校内でタバコの箱など捨てたら余計に問題が大きくなりそうだ。とりあえず学校側には知られたくなかった。
「校外で人に言えない場所に出入りしている、ってのも本当?」
樹は強い調子で訊いた。
「えっ?」
小林はポカンとした表情になった。
それは誤魔化しや嘘のない自然な反応に思えた。本当に思い当たる節はないようだった。どうやらそれは噂に過ぎなかったようだ。
樹の心に少しだけ安堵感が生まれ、ようやく小林の隣に腰を下ろす気になった。相変わらず体育館からは様々な楽器が奏でる不協和音が流れていた。
「でも今日って、約束の日じゃなかったよね」
「あぁ」
ある程度演奏できるようになったから君に聴いてもらいたかった。そんな口まで出かかった言葉を飲み込んだ。代わりにギターを構えて静かに演奏を始めた。小林に上手く聞かせようという気持ちが緊張感を生む。
ギターからは濁りのない澄んだ音が溢れ出した。小林はその音色に驚いたようだった。途中からは歌声が重なる。
途中コードを間違え、調子を狂わせてしまったが、小林はそのまま歌い続けた。
こんな拙い伴奏でも彼女の歌を支えているのが分かった。樹は小林がこの歌を最後まで唄うのを初めて聴いた。
歌声は淀みなく、力強く伸び切っていた。それは人知れずこの歌を何度も練習した証に思えた。
演奏を終えると小林は肩を揺らすように拍手をした。
「上手ね、素敵だった」
その言葉に樹は少し照れくさくなった。しかし手応えを感じたのも事実だった。これなら当日までにもっと技術を磨けるような気がさた。
樹には充実感が湧いていた。高校生活でこれほど心が満たされる出来事は今までなかった。
「明日はどうする? また一緒に練習する?」
小林が尋ねてきた。
「いや、感じが掴めたからもう少し一人で練習してみるよ」
今弾いてみて分かったのは、思ったより歌のテンポが速いということだ。コード進行に気を取られて、どうも自身のギターは小林の歌声に置いていかれている。
(そこは改善点だな)
それが克服できたら、また音合わせをすればいい。小林の方に問題はないのだから、わざわざ一緒に練習する必要はないと思った。
「それなら、明日は時間空くよね?」
小林が切り出した。それは最初から考えていた台詞のようだった。
「そうだね」
「あのね、明日の夜、お祭りがあるんだけど、一緒に行けないかな?」
明日は地元の夏祭りの日だった。
「あぁ、すっかり忘れてたよ」
小学生の頃は両親に連れられてよく行ったものだが、最近は行ってなかった。ギターの練習の合間に出かけるのも気分転換になるかもしれない。
「いいよ、一緒に行こうか」
「うん。よかった」
小林は格別の笑顔を見せてくれた。