02
昼食を食べ終えると小林は席を立ち、黙って教室を出ていった。しばらくしてから樹もその後を追う様に教室を出た。
人気のない体育館裏。内緒話をするにはこれ以上最適な場所はないのかもしれない。
指定の場所に到着してみたものの小林の姿はなかった。
「こっちよ」
辺りをキョロキョロ見回す樹に突然そんな声が空から降ってきた。見上げると彼女は体育館に併設された階段の上にいた。
「あぁ、そこか」
樹もスチール製の階段を上がる。階段は歩く度に金属の和音が周りに響く。階段は途中で折れ曲がっていて、ついに地上からは見えなくなった。
「こんなところがあったなんて知らなかったな」
「実はね、ここから体育館のステージ裏に出られるの」
「へぇ」
それも樹には知らないことだった。階段の突き当たりにはドアが付いているが、鍵が掛かっているのか、こちらからはびくともしなかった。
小林はそのドアを背に腰を下ろした。その隣に樹も座った。朝からの日差しを受けて階段はほのかに温められていた。
幅が狭いためか、並んで座ると妙な圧迫感がある。小林と身体が接触するほど近かったせいで樹は少し緊張した。
そんな樹とは対称的に小林は平気そうな顔で楽譜を取り出した。
「これなんだけど」
手渡された譜面を樹はざっと眺めた。それがどんな曲調なのか、すぐには分からなかった。
(本当に数週間後にこの曲を弾けるようになっているのか?)
樹の頭に不安が過った。
「この曲は君のお気に入り?」
「そう、ね」
樹の質問にやや含みのある言葉で小林が答えた。
「ちょっと歌ってみてよ」
「いいわよ」
彼女は柔らかなハミングでメロディーを表現していく。樹は目で譜面を追った。
爽やかな曲調の少しスローテンポな曲だが、メロディは比較的シンプルでコードを押さえるにはそれほど苦労はない。これが率直な感想だった。
(何より小林の声質に合いそうな曲だな)
「どうかしら?」
一通り歌い終わると小林は樹の顔を覗き込むようにして訊いてきた。
「いいと思うよ」
樹にとっても小林が好きな曲なら何の問題もなかった。
「これ誰の歌なの?」
「私もよく知らないの。でもいい歌でしょ?」
「そうだね」
そうは言ったもののすぐに違和感を覚えた。好きだと言う割には、誰の歌かは知らない。それは少々妙な話だった。ならば小林はどうやってこの歌を知ったのだろうか。楽譜まで用意しているのに誰の曲か分からないはずはない。
(……そんなことより)
樹にはそんな些細な疑問よりもこの楽曲を特訓することが先だった。伴奏がしっかりできるようになって、初めて音合わせが可能となる。今のままではかなり先の話になりそうだった。
樹は彼女に一週間の猶予をもらって、一人で練習を開始することにした。