01
樹は家に帰ると着替えもせずに押し入れを開けた。去年の暮れに父親から譲り受けたギターの保管場所は分かっていた。
ギターを手にしたばかりの頃はまるで大人になったような気がして嬉しく、毎日ケースから出しては磨き、基本動作の練習に余念がなかった。しかし、いつの間にかその熱も冷めてしまっていた。
ギターを手に入れるのと同時に自分が格好良くなった気でいた。それですっかり満足してしまった。ギターの練習を続ける動機が極めて弱かった。
だが今回は違う。確固たる強い動機があった。これは小林のため。自分に課せられた使命のように思われた。
(今回はやり遂げないとな)
埃の積もったケースを開け、ギターを取り出すとそう誓った。
とりあえず、構えてみた。そして思いのままに弦を弾いた。アコースティックギターの六本の弦が創り出す乾いた音が部屋に響いた。指の動かし方は体が覚えている。しかし、この状態から舞台に立てるようになるまでにどれだけ時間を要するのか、考えるだけで気が滅入った。
選曲は小林に任せてあった。樹の仕事はその曲を演奏するだけ。彼女がメインで気持ちよく歌えるようにサポートする。ただそれだけだった。
一通り全音階を出してから、樹はギターを傍らに置き、カーテンを大きく開けて夜空を見上げた。
翳りのない星空を眺め、小林のことを考えた。
砂浜を駆け、波と戯れる彼女は学校で見る彼女とはまるで別人だった。日頃の抑圧から解放され、自由に身体を動かす彼女には笑顔が溢れていた。
そして、彼女は双子の妹だった。顔の似た姉がいるという。それを聞いた時、彼女の持つ不思議さが全て説明できるような気がした。しかし、今になって考えるとやはり彼女は不思議なままである。何一つ小林のことを理解できていなかった。
樹にはどうしてこれほど彼女のことが気になるのか。その理由が分からなかった。
翌朝、小林は先に教室に来ていた。樹の姿を認めると、すかさず立ち上がった。
「おはよう」
小林は少し照れたような表情でそう言った。樹にはこんな短い挨拶にも彼女の朗らかな気持ちを感じ取ることが出来る気がしていた。
「おはよう。曲は決まった?」
席に着くなり早速尋ねた。
「うん。でもその前に、昨日はいろいろとありがとう」
小林は頭を下げた。
「いや、こちらこそ、無理言ってごめん」
彼女は小さく笑みを漏らした。
「それで、曲なんだけど」
これほど明るい小林の顔を今まで見たことがなかった。
「どんな曲?」
「ここではみんながいるから。お昼休みにちょっと付きあってほしいの」
「いいよ」
「じゃあ、食事が終わったら体育館裏に来て」
「分かった」
樹は小林が自分から積極的に話掛けてくれることが何より嬉しかった。これをきっかけにさらに親しくなれる。そんな予感を抱いた樹は授業中、何度も小林の横顔を盗み見た。
垂れてくる長い髪を持ち上げるようにしてノートを取っている。彼女もこちらの視線には気づいていて、それを意識しているようだった。
しかし、彼女は馴れ馴れしく話掛けてはくれなかった。やはり学校ではどこか感情を抑えているように思われた。