02
チャイムがやたらと遠くに聞こえていた。午前の授業はこれで終わりのはずだ。
樹は心底救われた気分になった。
授業中、幾度となく強い睡気と格闘を繰り返していた。気を緩めれば、それこそ泥沼に引きこまれそうな感覚が何度もあった。
春休みの間にすっかり生活習慣が乱れていた。学校が始まっているのに平気で夜更かしをしている。
休憩時間になると、かろうじて活力が回復した気になるが、授業に戻ると再び倦怠感に襲われる。
新学期が始まってもう一週間が経つというのに、自堕落な自分に少々嫌気がさした。
しかし、隣にいる小林由依は、そんな樹に何の関心も払っていなかった。
来る日も来る日も、貝のように口を閉ざしたまま。それどころか、一度だって顔を向けられた記憶が樹にはなかった。
確かに彼女は授業だけは真面目に受けていた。教師の言うことを興味深そうに聞いていた。黒板を見据え、しっかりとノートも取っていた。それは真面目な女の子という印象であった。
その点においては彼女は立派な高校生である。樹はかすかな敗北感が湧いていた。
しかし、樹も最初はこんな風ではなかった。
小林の真剣な姿を目にし、自身も彼女と共に頑張ろう、そんな気でいた。
だが、彼女がこれほどにも無関心では徐々に張り合いがなくなってくる。
隣の席に座ってはいても、二人の間には見えない壁で分け隔てられているようだ。こちらからいくら大声で呼びかけても、彼女の耳にはまるで届かない。
出会って二日目のことだった。
樹は小林由依に話し掛けてみようという気になっていた。同じクラスで席が隣になったのも何かの縁。それに、毎日長い時間を一緒に過ごすことになる。仲良くなることはお互いに得策と思われた。
小林はチャイムが鳴る寸前に教室に姿を現した。初日と同じく、慌てる様子も見せず、のんびりと席までやって来た。
「小林さん、おはよう」
樹は思い切って声を掛けた。女子に向かって話すのは緊張する。挨拶一つするのに随分と心の迷いがあった。しかし、勇気を出してみた。
「おはよう」
由依は樹の顔を盗み見るようにして、抑揚のない声で返した。
「今日はギリギリだね」
樹が気安そうに言うと、彼女はそれには応じず、椅子に掛けた。
それから長い髪をかき上げ、忙しそうに鞄から勉強道具を取り出し始めた。それはまるで、これ以上話す気はないぞ、という意思の表れに思われた。
樹はそんな彼女の態度に少々腹が立った。折角友好的に声を掛けたというのに、彼女は無視を決め込むつもりらしい。
相手がこんなでは、自分が馬鹿らしく思えてくる。
確かに新学期のクラス内は初対面同士ということもあり、誰もが自己主張を控え、相手との距離を保とうとしている。
その結果、教室には緊張した空気が流れ、孤独に似た気分を味わうことになる。
もちろんその空気は時間とともに薄らいでいく。現に教室のあちこちで、いち早くその緊張を解くことに成功した者同士の姿も見られる。
しかし、小林由依だけは徹底していた。
彼女は心にシャッターを降ろし、どんな人の気遣いも受け付けない、という強い意志を持っているようだった。孤独になることすら自ら選んでいるようにも思えた。