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 その日の音楽室には男女混声合唱の歌声が響いていた。

 樹のクラスでは8月の末に開催される文化祭で発表する合唱の練習が始まっていた。現段階ではまだクラスの歌声は一つにまとまっていない。各自が独りよがりに声を出すだけでハーモニーは生まれない。

 練習をしていて樹はおやっと思った。隣で歌う小林の声が驚くほど透き通っていたからだ。明らかに彼女の歌声は澄んでいる。まだ多少抑え気味ではあるものの、その声に確かな存在感があった。樹は自分にはない才能を感じていた。

 その後、男女に分かれて数人のグループで発声練習をすることになった。その時も小林の声は他の者を圧倒するほど伸びていて、歌に主張が感じられた。


「小林さん、ちょっとお手本に一人で歌ってみて」


 その才能に気付いた音楽教師も小林にそう要求した。教師がグランドピアノを奏で、その旋律と融合するかのように、小林の歌声が見事に重なる。彼女の歌は既に一つの完成型の域に達して、もう練習する必要もない程だった。

 彼女の歌声を前にクラスの誰もが言葉を出せなかった。その美しい歌声にただただ驚くばかりだった。

 歌い終わるとどこからともなく拍手が沸いた。みんなが顔を見合わせ、口々に小林を称えた。

 小林には素晴らしい才能があった。




「歌が上手いんだね。びっくりしたよ」


 授業後、音楽室から教室に戻ると樹は小林に声を掛けた。その言葉を聞いた時、小林の反応は明らかにいつもと違っていた。その言葉をきっかけに、彼女の中で何かが動き出したようだった。


「そうかな?」


 彼女は照れ隠しのように無感動を装って言ったが、樹に向ける笑顔はそれを隠しきれていなかった。それは、樹の言葉が彼女の心を揺さぶっているのを示していた。


「中学時代に合唱部に入ってたとか?」

「ううん、入ってないよ」


 小林は尚も嬉しそうな顔で首を振った。


「小林さんはいいよな。歌って特技があるからさ」


 それはお世辞でも何でもなく本音だった。


「でもね、私、他に何の取り柄もないから」

「いやいや、ホントに何もないのは俺の方だよ」
 

 これも本音だった。小林には綺麗な歌声がある。それに比べて樹には人に誇れるものが何もない。正直、小林が羨ましかった。

(小林は人前でもっと自信を持つべきだ)

 樹は小林の顔を見つめてそう思った。



■筆者メッセージ
先日、実家の近くの喫茶店が閉店していた。拙作カフェラテのモデルとなった店。閉まったのか、と思ったけど、数えるほどしか行ってないし、最後に行ったのも数年前。さほど行ってもない奴が残念がるのもおこがましい訳で。

コーヒー美味かったよなぁ、なんて思いながら飲む缶コーヒーはいつもと違う味がしましたね。


F田R輔さん
ありがとうございます。
結末が知りたいんですか?
言うのは構いませんが、ここではあれなんで、個別に拍手で送らせてもらいますので、登録してもらってから、改めて拍手して下さいね。

希乃咲穏仙 ( 2022/06/09(木) 21:43 )