02
突然、電話が鳴り響いた。樹は卒業アルバムを解放するとスマホを取った。
『もしもし、高校のクラス委員だった、山岸です』
電話の向こうからやや控え目な声がした。
「あぁ、どうも、こんばんは」
『久しぶり、江坂くん。懐かしいね』
山岸は急に馴れ馴れしい口調に切り替わった。それは彼らしい演出のように思われた。
山岸は成績優秀でずっとクラス代表を務め、スポーツも万能だった記憶がある。そのため女子からは常に人気があった。今もその面影を残しているのだろうか。
『確認のため電話したんだ。江坂くん、明日は来てくれるんだろ?』
山岸は早速そんな話を切り出した。
「もちろん行かせてもらうよ。集合は18時だったよね?」
『そう、グラウンドが駐車場になっているから、車はそっちに入れてくれ』
今回の同窓会は母校の体育館で行われる。
体育館は老朽化を理由に、今年度一杯で建て替えられることになっていた。そのため、消えゆく体育館を会場にしようという案が持ち上がった。
体育館に生徒、恩師が一同に会し、料理もそこへ運ばれる手筈になっているらしい。
『それじゃ、明日は遅れずに頼むよ』
山岸は最後にそう付け加え、電話を切りそうになった。
「あ、ちょっと待って。一つ聞きたいことがあるんだけど」
樹は間髪を入れずに踏みとどまらせた。
『うん? どうした? 二次会のこと?』
「いや、違うんだ。山岸くんさ、小林由依って名前に聞き覚えある?」
『コバヤシ……ユイ?』
怪訝そうな声が電話越しからでも伝わる。
『コバヤシは何人かいたと思うけどな』
「由依って名前なんだけど」
お互いがしばらく無言になった。山岸は何かを確認しているようだった。
『……そんな名前は名簿にはないな』
「転校生とかは?」
樹はなおも食い下がった。
『いや、そういうのも全部名簿には入っているから、間違いないよ』
「そうか……」
口ではそう言ってみたものの、さほど失望感はなかった。こちらも卒業アルバムで確認済み。あくまで念のため、という程度だった。
「上級生か下級生ならどうだろうか? 知らない?」
『僕の知る範囲では、そんな名前はいなかったと思うんだよな』
人脈が広かった彼が言うのだから、間違いないのだろう。
ではこの小林由依とは一体、どこの誰なのか。謎は謎のままであった。
『それで、その小林由依ってのは、どういう子なんだい?』
今度は山岸が反撃してきた。樹は返答に窮した。まさか例のメモの話をする訳にもいかない。
「いや、いいんだ。こっちの勘違いだ。多分」
『そう。じゃ、明日楽しみに待ってるから』
「うん。また、あし……」
『あ、そうそう』
今度は山岸が急に思い出したように樹を引き留めた。
『ところで、まだギターは弾いているのかい?』
「ギター?」
一瞬、何の話か分からなくて樹は聞き返した。
『ギターだよ。ほら、文化祭で弾き語りしただろ?』
「あぁ、あれか」
確かにそんなことがあったな、と樹は思い出した。
『今もやっているのかい?』
「いや、全然」
『残念だな。もし今もやっているなら、明日体育館で弾いてもらおうと思ってさ』
「いやいや、あれからまったくやってないから無理だよ」
樹はきっぱりと応えた。
『それじゃ、明日はよろしくな』
山岸は快活に笑うと電話を切った。
文化祭でギターを弾いたことなんて、樹自身も今の今まで忘れていた。
当時、体育館に特設ステージが設けられ、有志によるコンサートが開かれた。歌や楽器に自信のある連中が次から次へとステージに上がって楽曲を披露した。
樹もギター片手にそのコンサートに参加した。
そう言えば、それほど上手くもないギターをなぜ人前で弾こうと思ったのだろうか。今にしてみれば不思議な話だ。
確かにギターに興味を持って、独学で練習を始めた記憶がある。しかし、それをコンサートという大舞台で披露するほど上手くはなかった。それに、そもそもそんな活発な性格でもなかったはず。
では、一体どういう経緯でコンサートに参加することになったのだろうか。
今となってはこれも謎である。
しかし、山岸は本人ですらとっくに忘れていることをよく覚えているな、と感心する。いや、いくら彼でもそれは不可能だろう。おそらく、同窓会での話題作りのために当時のイベント事のプログラムや写真を掘り返して見たに違いない。
もしそうなら、明日はそのギターの話がみんなの前で持ち出されそうだ。それはそれで少々恥ずかしいな、と思えた。
それにしても、山岸も大変である。確かに彼とは同じクラスだったが、そんなに深い付き合いがあったわけではない。それでも彼は幹事である以上、当時は目立たなかった者も持ち上げるような演出をせねばならない。
ふと、壁の時計に目をやった。夜の10時を回ったところ。山岸はおそらくこの後も、参加者にそういった電話を掛け続けるのだろう。
どうやら明日の同窓会には小林由依が現れないことだけは確かだ。名簿に載ってないのだから、それも当然だろう。
明日クラスメートの何人かに訊いてみようと思った。山岸ほどの人物が知らないようでは、おそらく期待薄ではあるが、ひょっとすると何か分かるかもしれない。
小林由依のことはともかく、樹は明日の同窓会が楽しみになっていた。
決して人から注目される存在ではなかったが、それでも高校時代の懐かしい日々が蘇ってくる。
そんな思い出に身を委ねていると、いつしかその不思議なメモの存在を忘れてしまっていた。