22話
シュウジは1枚の葉書を取り出し、あやめの前に差し出した。
11月の3週目の日曜日。あやめは頭の中で、自分の予定表を開いてみた。この日は模試の予定はなかったはず。
しかし、いまいちその結婚という言葉を理解しきれなかった。
(誰と結婚するのかな?)
葉書にはシュウジではない男性の名前が載っている。
「結婚って?」
「その年で結婚も知らねぇのか?」
シュウジが素っ頓狂な声をあげた。あやめはそうじゃないと首を横に振る。
「同業の奴と結婚するんだとよ。 俺なんか彼氏いるなんて聞かされてなかったから、マジで驚いたよ」
「彼氏……」
あやめは小さく呟いた。
(シュウジは聞かされていなかった。つまり…シュウジは、玲香さんがフリーだと思い込んでいてた?)
「好き……だったの?」
思わず聞いてしまって、シュウジは一瞬固まった。しかし、すぐに答えた。今まで一番優しい声だった。
「あぁ、好き…だった」
老夫婦の話し声がやけに大きく聞こえた気がした。時計が背中で鐘を打った。シュウジとあやめはそれきり黙りこんでしまった。
突然、扉のベルが響き、シュウジが顔を向けた。
「いらっしゃ………なんだ親父か」
振り返ると買い物袋を下げたマスターが立っていた。
「ただいま。……おや、あやめちゃん。いらっしゃい。悪いね、ちょっと近所で用事があってね」
あやめは頭を下げると、残っていたカフェラテを飲み干した。少しばかり熱く感じられたが、無理やり喉に流し込んだ。そして、すぐに席を立った。運良く小銭があったから、きっちりおつりのないようにお金を出し、カウンターに置いた。
「ごちそうさま。お母さんが怒るといけないから」
早口に言って、そのまま店を出た。そして、後悔した。いつもいつも、唐突にやって来て、唐突に帰ってしまう。よく考えれば、とても失礼なことだと思った。
唯一失礼でないのは、必ずお金を払うことくらいだろうか。路地裏を出て、人の多い通りに出た。住宅街に差し掛かる頃、あやめは泣いていた。瞬き一つせず、涙だけが音もなく滴り落ちた。
それがなんの涙なのかはあやめ自身にも分らなかった。