第五章
18話
 三時を過ぎたころ、店の扉が開き、ベルが音を立てた。あやめはゆっくりと扉の方を振り向いた。そして、ビクンと心臓が飛び跳ねた。


「お、シュウジ。ん? 桜井さんも一緒かい」


 桜井さん。マスターの言ったその言葉をあやめは聞き逃さなかった。久々に黒のスポーツ刈りの頭を見た。

(シュウジ)

 夏休み中、何度も繰り返した。そして、その後ろから入ってきた、明るい金髪の頭も見た。黒髪のシュウジとはまるで対比的な色をしていた。


「お、受験生じゃねぇか」


 入ってきてあやめを見るなり、シュウジが言った。あやめは黙って会釈をした。後から入ってきた金髪頭は、シュウジの肩越しにあやめを見つめた。あやめは、やはり無言のまま、その金髪を見つめる。


「あら、かわいい子じゃない」


 金髪はシュウジの横をすり抜け、あやめの隣に座った。


「シュウジの知り合い?」

「店の常連」


 シュウジはそれだけ言って、金髪の隣に座った。金髪は軽く相槌を打つと、肩にかけていた黒く大きなカバンから名刺入れを取り出し、一枚の名刺をあやめに差し出した。


「桜井玲香です。カメラマンをしてます」


 丁寧にそう言うと、にこりと笑った。一瞬、あやめはその笑顔に見とれた。

(桜井玲香……この人が桜井玲香)

 玲香はカバンを下ろした。シュウジのカバンとは違って、ドスンと重く、固そうな音を立てた。カメラマンというからには、機材やら何やらが、たくさん詰まっているのだろう。

 あやめはただ呆然としていた。ロングの金髪の髪の毛が小さめの頭にはよく似合っていた。細身の体に、真っ赤なシャツを着ていた。派手な印象があったが、気味の悪い派手さはなかった。派手というよりも、鮮やかと言った方が合っているくらいだった。


「あなたは?」


 玲香はあやめの顔をのぞき込んで言った。


「筒井…あやめです」

「あやめちゃんか。かぁわいい名前ね」


 マスターがシュウジと玲香の前に水とおしぼりを置いた。あやめは、自分のカフェラテを一口飲んだ。

 シュウジはおしぼりを額に当てて、目を閉じた。外はとても暑かったようだ。玲香も水を何度も口に含んでは、真っ赤なシャツの襟元をぱたぱたとやっている。玲香は色白だった。日に焼けたリョウジとは、身格好が何もかも正反対に思えた。


「今日はどうしたの?」


 マスターが二人の前にメニュー表を広げて言った。玲香はメニューを眺めながら言う。


「取材がはかどらなくて、昼過ぎまでかかっちゃったんです。それで、お昼ごはんまだ食べてないですし、近くに来たついでに食べて行こうかと思って」


 玲香はメニューの中の品物をいくつか指差した。シュウジもその後に注文をした。マスターはいそいそとカウンターの奥に戻り、調理を始めた。しばらくして、油のはじける香ばしい香りが立ち込めてきた。


「ね、あやめちゃんって今いくつなの?」


 玲香が黙りっぱなしのあやめに話しかけた。


「高三の17才です」

「じゃあ受験生だ。大学は? けっこう上とか狙っちゃってるの?」

「県内だってよ」


 シュウジが隣から答え、あやめは思わずシュウジの方を見た。久しぶりに見る顔だった。スポーツ刈りがこんなに似合う人もそういないと思った。雑誌の記者よりも、陸上かサッカー選手なのではないかと思われるくらいだった。肌も、日に焼けたせいか前より少しばかり浅黒くなっている。それが一層、シュウジをスポーツ選手のように見せる。それでも、あやめが学校の運動部の人たちに抱いているのと違って、ちっとも汗臭いような印象がないから不思議だった。


「シュウジって、この子とどういう関係?」


 玲香がニヤニヤしながらシュウジをからかった。シュウジは面倒臭そうに肩をすくめた。


「ただの常連だっての」


 あやめはその言葉が無償に嫌いだと思った。今すぐシュウジの目の前で違うと叫びたかった。しかし、そんなことできるはずがない。

 あやめは一人またカフェラテのストローに口を付けた。飲むわけでもなく、ただストローの先を噛んでいた。隣では、仕事の打ち合わせが始まっている。あやめには口出しできない世界だった。

 前からも思っていたが、今日はシュウジがより遠くにいるように思えて仕方なかった。



希乃咲穏仙 ( 2021/12/28(火) 22:29 )