対面
部屋に入るなり、まず目に入ったのが空になったウイスキーのボトルだった。
確か森は普段そんなに酒を飲まないはずだ。
俺は誘われるがままにソファへと腰掛ける。
「君も何か飲むかい?」
そう言いながらも足取りは心許ない様子の森。
「いえ……。私、お酒はあまり飲めない方ですので」
やんわりと断りを入れる。
もちろん大嘘だ。
ワインなら一人で5本は平気で空けられるほどの酒豪だと自負していた。
「そうか。それは残念だ」
「……森さんはお酒がお好きみたいですね? ウイスキーですか……」
俺はテーブルに置かれている空瓶に視線を移し言った。
「ああ……いや、普段はそんなに飲まないのだがね」
覚束ない足取りで空瓶を片付けようとする森。
「何か心配事でしょうか……? すみません、勘違いでしたら謝りますが。船内でご挨拶した時も塞ぎ込んでいたご様子でしたので」
俺は慎重に言葉を選びながらも、酒に酔っているこのチャンスを逃すまいと質問する。
「……」
何かを考える様子の森。
「……ご迷惑でなければ……教えて頂けませんか? 私、心配なんです……森さんの事が」
少し強引に先を促してみる。
あまり飲めもしないウイスキーを一瓶開けている。
しかも『美女』が『心配している』と目の前で伝えている。
この『意味』が分らないほど森も馬鹿ではないだろう。
「……部下がね……」
十分に時間を置き、森はぽつりと零した。
「……はい」
偽りの優しげな顔を森に向けてやる。
「部下が、殺されてしまったのだよ。幸いニュースでは取り上げられなかったが、新聞の記事の端の方にはわが社の名前も載っててね……」
森の言葉にぴくっと反応してしまう。
『幸いニュースでは取り上げられなかった』
この言葉の意味する所はなんだ?
俺の中で何か熱いものが込み上げて来るのが分かった。
「……そうだったのですか……。すみません、そんな事情があったとは知らずに……辛い事を思い出させてしまって」
「いやいや、そうでは無いのだ。気を使わないで頂きたい。……何だか色々あって私も混乱しているだけなのだよ」
そのまま森は椅子に座った。
俺は立ち上がり、軽く森の肩に手を置く。
「心中……お察し致します」
神田が虚ろな目でこちらを振り向き俺の手に自身の手を重ねようとする。
俺は森の手が重なる寸前に肩から手を離す。
「何かお飲みになられますか? ウイスキーばかりでは身体に悪いでしょうから」
俺はそう言いながら冷蔵庫を開ける。
そして、緑茶のペットボトルを取り出し森に笑顔でそれを見せる。
「あ、ああ……そうだな……」
その言葉を更に笑顔で返した俺は、流しに向かいコップに緑茶を注ぐ。
『相手の返答が来る前に既に準備をしてしまえば、殆どの相手は断れずに首を縦に振る』
日本人に多い現象だ。
『誘われれば断れない』という法則を更に細かく細分化した方法。
別に緑茶を飲みたくは無かったかも知れない森に、無理なくしかし強制的に飲ませる方法。
俺は注ぎ終えたコップに、上着の袖から小さな瓶を取り出し3分の1ほど中身を注ぐ。
その中身は『テトロドトキシン』と『ゾルピデム』。
この位置は森からは俺の手元は見えない。
俺はスムーズに小瓶を袖に仕舞い込み、コップを片手に笑顔で振り向く。
「お食事はお部屋で取られるのですよね?」
俺はコップをテーブルに置き、森に質問する。
「ああ……。そうするつもりだが」
「でしたら私も一緒しても宜しいでしょうか……?」
少し伏し目がちに頬を染めながら言う。
「も、勿論良いが……」
ゴクッと生唾を飲み込む音が聞こえて来る。
(ククク……せいぜい今だけはいい夢を見ていろ森)
「嬉しいです……! では、田村さんに私の食事もこちらにお持ちして貰えるよう頼んで参りますわ」
「ああ……悪いね」
俺はそのままドアまで歩む。
そして廊下に出る間際に森が緑茶を一気に飲み干す姿を横目で確認する。
「……さよなら、森勇作さん」
俺は聞こえないほどの小さな声でそう呟いた。