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冬が過ぎて三月。春の訪れを告げるように、日ごとに暖かさが増していく。近所の梅の蕾もそろそろ綻びそうだ。
俺は相変わらず新月堂のカウンターにいる。けど、今までとはちょっとだけ状況が違っている。この間、伯父に正式に雇ってくれと話をした。
「大和が望むなら、僕は大歓迎だよ。でも、本当に良いのかい?」
伯父は心配そうに尋ねた。
俺が本気だと分かると、それじゃあ色々覚えてもらうからね、と言って嬉しそうに笑った。一昨日は本に値段をつける方法を教えて貰った。今日はその時のメモ書きを見ながら、無造作に積みあがっている本に値段をつけて整理するという作業をしている。伯父が延々と溜め込んでいたおかげで、暫くはこの作業に忙殺されそうだ。長時間マスクをつけての作業はなかなかに辛かったが、自分で値段設定してみるというのはなかなか楽しい。
「こんにちは」
涼やかな声でそう言いながら入ってきたのは上村さんだった。
「あぁ、いらっしゃい」
マスクを外して出迎えた。
「お忙しいですか?」
「まあね。オーナーが仕事をたっぷり溜めてくれていたから」
「先生はお仕事中ですか?」
あれから、ちょくちょく上村さんは遊びに来てくれる。吃驚させようと思ってある日、十六夜華月が伯父だと話したら、驚きのあまり気絶してしまったのにはこっちが吃驚させられた。
「うん、籠ってるけど、なんか用事?」
「いえ、別にそういうわけではないですけど。差し入れを持ってきたものですから」
そう言って、上村さんは手に持っていた包みをこっちに差し出して見せた。和菓子屋の包みだった。
「美味しそうなお饅頭を見つけたんです。森宮さんのもありますよ」
「へぇ、ありがとう。呼ぼうか。俺もちょっと休憩」
「あ、でも忙しいんじゃ?」
「大丈夫だと思うよ。……伯父さーん」
和室の奥に向かって大声で伯父を呼んだ。ガタン、ゴトンと何かがひっくり返るような音が聞こえた。
「寝てたみたいだ」
「お疲れなんですね」
確かにそうには違いないだろう。けど、営業中に寝るのはやめて貰いたい。買取はまだ教えて貰ってないから、伯父に頼むしかない。
「ま、いいや。上がってよ。お茶入れるから」
「あ、はい、失礼します」
上村さんは靴を脱いで和室に上がった。俺もエプロンとマスクを外して和室に上がり、キッチンで手を洗う。
「なんだい? ……あっ」
伯父が和室に入ってきて、それから慌てて出て行った。言うまでもなく、上村さんの姿を見たからだ。上村さんはおかしそうに体を震わせ、声を殺して笑っていた。客だったときには無関心だったくせに、自分のファンだと分かった途端に身だしなみに気を使おうとしだした。立派に手遅れだと思うけど。
「何やっているんだか」
貰った饅頭を皿に移し、ちゃぶ台の上に置きながら、ため息混じりに言った。
それから三人分の湯飲みにお茶を入れる。
「そう言えば、小説の進み具合はどう?」
「自分なりには結構順調です」
「どんな話?」
「……それは、書きあがるまで内緒です。でも、実話を基にした話です」
「へぇ、楽しみだね」
そう言うと、上村さんはふと心配そうな表情を浮かべた。
「あの、読んでも笑ったり怒ったり引いたりしないで下さいね」
「もちろん。なんで?」
「それは……いえ、いいです」
言いかけて止められると余計に気になる。俺がもう一度尋ねようとしたとき、風が入り口のドアを強く揺らした。
「びっくりした……」
「春一番、かな?」
「そっか、もう春なんですね」
上村さんがしみじみと呟いた。
もうすぐ春休みも終わる。
上村さんの小説はどんな物語だろうか。実話を基にしたと言っていたけど、俺の出番もあるんだろうか。締め切りは四月らしいから、もう少しすれば読ませて貰えるかな?
そう言えば、翔の奴もスーツ姿で走り回るらしい。気楽に過ごしていたようで、下準備とかは着々と勧めていたようだ。
未来虹ちゃんはクッキングスクールのようなところに通って、腕を磨き直すといっていた。
佐々木さんは二月に無事御懐妊なさった。ギリギリまでは働くと言って旦那さんを冷や冷やさせているらしい。
そして、俺は学生生活最後の年にして、ようやく先のことを見据え始めたという気がする。遅いか早いかは知らないけれど、これが俺のペースなのだろう。
それと……新月堂の店員以外に、一つ目標も出来た。
「上村さん」
「はい?」
上村さんは少し緊張した面持ちでこちらを向いた。
「いつか……」
「いやー、ごめんごめん。恥ずかしい格好を見せちゃって」
俺の言葉は、小ざっぱりとした格好に着替えてきた伯父の乱入によって遮られた。
「あ……れ、ひょっとしてお邪魔だったかなぁ」
申し訳無さそうに後頭部を掻く伯父に、ぷっと上村さんが吹き出した。つられて俺も笑ってしまった。最後に伯父が笑い出すと、なんだか緊張した空気はどこかへ行ってしまった。
「さっきの続き、いつか聞かせてくださいね……」
上村さんは顔を赤らめながら、そっと俺に耳打ちした。