19
翌日、相変わらずぼんやりと和室に座る伯父の姿があった。ぼんやり、最早虚ろと言っても良いかもしれないが、果てしない深みにはまっているようだった。
そんな伯父の前に鞄の中から出した封筒を置いた。
「何これ?」
「若き小説家の卵の作品。読んでみてよ」
「うん」
まるで操り人形のように、こくりと頷いて封筒の中から小説を引っ張り出し、伯父はそれを読み始めた。
二十分ほどでそれを読み終え、顔を上げた伯父の顔にはちょっと生気が戻っていた。
「なかなか良い作品だねぇ。文章の上手さ、表現の豊かさと言う点ではなかなかのものだと思うよ。話の運び方もスムーズだし。全体的な構成とか、話の配分に煮詰めなおす余地はあると思うけど、うん、及第点を挙げられるんじゃないかなぁ」
「俺もそう思ったよ」
「特に、この妹の兄に対する想いの描き方ってのは真に迫ってるねぇ」
そう言いながら、原稿をぱらぱらと読みかえす伯父。
「これ、誰が書いたの?」
「上村さん」
「ふうん、大したものだねぇ。一度賞に応募してみると、良いんじゃないかなぁ」
そう言って、伯父は原稿を揃えて再び封筒の中に仕舞い込もうとした。
「それだけ?」
「ん?」
「他に感じたことは?」
「うーん、好意を寄せる男の子の描き方がちょっと雑かな」
確かにそれも思ったけど、言いたいのはそこじゃない。俺は椅子に座りなおした。
「その作品、表現の使い方といい、話の展開のさせ方といい、文章の構成についてもそうだけど、ある作家の影響が見える」
「ある作家?」
「十六夜華月」
俺がそう言うと、伯父は一瞬きょとんとした顔になった。それから改めて自分の顔を指差して、声に出さずに俺に聞き返してくる。俺は大きくはっきりと頷き返した。
「そうかい?」
「十六夜華月の一番の読者が言ってるんだから間違いないよ。特に、妹の心象描写とかね。まあ、書き慣れていないから、多少は荒いみたいだけど。でも、熱心なファンであることは間違いと思うよ」
伯父は俺の言葉を聞きながら、改めて原稿を引っ張り出して読み返している。そんなに分からないものだろうか。表現の機微なんて人の匙加減一つだろうし、あるいは偶然と言うこともあるのかもしれないけど、何となく俺には確信めいたものがあった。
「ひょっとして、ここに本を売りに来たのも新月堂って言う店名に惹かれたのかも」
そんな俺の言葉は既に耳に入っていないかのように、伯父は原稿に没頭していた。先ほどとは違って、一枚ずつ、一行ずつ丁寧に読んでいる。その顔が微妙に緩んでいるような気がするのは、決して俺の気のせいではないだろう。
それから一時間あまり、伯父は置物のように固まって原稿を読み続けた。仕方ないので、俺もカウンターに戻って、足元にストーブを持ってきて、文庫本を読みながら店番をしていた。
「そうかぁ……うーん」
原稿から顔を上げた伯父がなんとも言えない声を上げながら背筋を伸ばした。
「上村さんとこの後会って感想を言うことになっているんだけど、良かったらここでしようか? 作風の話しとかする?」
俺の意地悪い問いかけに苦笑いを浮かべる伯父。
「いやぁ、勘弁してよ。出来ないよぉ」
「ちょっとは元気になった?」
「うん、そうだねぇ。ありがとう、大和」
「いえいえ、俺だって伯父さんのファンなんだ。あの世界観とか作風は好きだし」
「ああ、そうかぁ。うん、ごめんねぇ、ありがとう」
伯父はそう言って、改めて俺に向かって頭を下げた。
「やめてよ、そう言うの。また、面白い新作を書いてくれたらそれでいいよ」
「はは、そうだねぇ。うん頑張るよ」
そう言って、伯父は冷えたお茶をぐいっと飲み干した。
「新作を考えてくるよ」
そう言って、久しぶりに前向きな様子で和室を出て行った。
「それじゃ、今日はこれで失礼します」
「ああ、うん。ご苦労様」
「戸締りだけお願いね」
「うん、任せておいてよ。作家の卵さんによろしくねぇ」
6時になったので、戸締りを伯父にお願いして俺は店のドアから外に出た。6時ともなるともう空は真っ暗だが、商店街には灯りが煌々と点いている。丁度店の前に出たところで商店街を歩いてくる上村さんの姿が目に止まった。
「こ、今晩は」
俺の方に駆け寄ってきた上村さんは軽く頭を下げた。
「今晩は。いいタイミングだったね」
俺も軽く頭を下げる。
「さて、どこか喫茶店にでも入ろうか。それとも何か食べる?」
「えと、喫茶店で。感想を聞きながらだと、ご飯が喉を通りそうにないので……」
随分と上村さんは緊張しているようだった。何となく俺の方も緊張してしまう。伯父に新作の感想を言うことはあったけど、それもあくまで雑談交じりだ。こんなに真剣に感想を言うなんて、しかも作者に直接なんて、よくよく考えてみれば初めてのことだった。
「えっと、じゃあ駅前の喫茶店にでも行こうか」
「あ、はい」
歩きながら、何となく周りを見回す。
「もう、すっかりクリスマスだね」
「そ、そうですね」
(そういえば、上村さんはクリスマスはどうするのだろう)
ふと気になったので、聞いてみようとしたとき、商店街の向こうから佐々木さんが歩いてくるのが目に入った。
「あ……」
隣で上村さんも呟いた。恐らく佐々木さんを見て、からかわれた時の事を思い出したのだろう。
てっきり、ハイテンションで話し掛けてくるかと思われたが、佐々木さんは何時になく真剣な顔つきをしており、早足でそのまま通り過ぎていった。どうやら俺達にも気付かなかったらしい。このまま行けば、行き先は当然店だろう。
「なんか、真剣な顔でしたね」
「珍しい。雪が降るかもね」
「クリスマスが近いから、丁度良いですね」
結局、そんな事を言っても、余り気にとめなかった。それよりも今は上村さんの小説の感想で頭が一杯だった。