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土曜日。繁華街の居酒屋で食事会と言う名の飲み会が開催された。
「それじゃ、かんぱーい」
かしゃん、と四つのグラスが打ち合わされる。俺の隣には翔。そして、翔の向かいには未来虹ちゃん。その隣、つまり俺の向かいに座っているのは、驚いたことにあの上村ひなのさんだった。
「驚いたなぁ」
「私もです……」
まるでべたな三文小説みたいな展開だった。駅前でぼんやりと待っていたら、未来虹ちゃんの後ろに隠れるようにして、一緒に歩いてきたのが彼女だった。さすがに前回のようなラフな格好ではなかったが、やはり黒をベースにしたちょっと地味目の色合いで服を統一していた。長い髪の毛は後ろで三つ編みにしてぶっといお下げにしている。
そして、対する未来虹ちゃんはオレンジのコートに赤のワンピースと、目立つ気満点の服装。ショートカットの耳元から覗くイヤリングにまで赤い宝石が付いていた。恐らく見失うことは無いだろう。
「驚いたのはこっちだよ。初めましてと思いきや、もう大和が唾をつけてるんだからさ」
「人聞きが悪いな。お客さんでうちの店に来ただけだよ」
一杯目をグラス半分ぐらい飲んだだけにも拘らず、翔の顔にはすでに赤みがさしていた。それほど酒に強いわけではないのと、もともと余計な事を言うタイプのやつなので、酔っぱらうとなかなかに面倒くさい。
翔はできる範囲で無視することにして、目の前で困ったような顔をしている上村さんと楽しく話をすることにした。
「この間は沢山売りに来てくれてありがとね」
「いえ、こちらも片付きましたから」
「何でまたあんなに大量に? 大掃除とか?」
「いえ、そういうわけじゃないんですけど」
ちょっと言い難そうにする上村さん。
「あ、ごめん、まずいこと聞いた?」
「いえ、そういうわけではないんです」
「引越ししたのよ。ねぇ?」
助け舟と言うか、未来虹ちゃんな割り込んできた。
「へぇ、そうなんだ。この近く?」
「あのお店の近所です。引っ越しの時、何もかも持ってきちゃったみたいで、お父さんてば新居に来てから整理を始めだしたんですよ」
そう言って笑う彼女はとても可愛らしかった。
「そうだったんだ」
(引越しか。前はどこに住んでいたんだろうか。でも、未来虹ちゃんと同じ大学と言うなら、そんなに遠いところじゃないだろうな)
そんなことを考えながら、グラスを傾ける。お酒を飲むのも随分久しぶりだった。
「何〜、内緒話?」
隣に座る酔っ払いが再び絡んできた。俺が上村さんと喋っている間に二杯目に突入したらしい。弱いくせにペースが早い。
「別に内緒話じゃ無いさ」
「良いですなぁ、内緒話大いに結構。青春、青春」
わっはっはと笑い出す。
(ダメだこいつは)
向かいを見ると、上村さんも頬を赤くして俯いてしまっている。
「でも、引っ越したおかげで大学、近くなったもんねぇ」
未来虹ちゃんもぼちぼち出来上がりつつあるようで、手に持った酒が危なっかしい。
「う、うん。そうだね。あ、そんなにしたらこぼれるよ」
未来虹ちゃんが上村さんにもたれかかった拍子にグラスの液面が大きく揺れる。幸いこぼれることは無かったが、上村さんは大いに慌てていた。それでもちっとも嫌そうではないのは、多分、普段の二人もこんな関係だからなんだろうな。親友と言うやつか。
俺が翔に同じことをされるものなら容赦なく拳を叩き込むだろう。
それから暫く他愛のない話が続いた。気が付けば、俺が中座した間に席を移っていた未来虹ちゃんと翔がイチャつき始めていた。そんなやり取りが面白くて眺めていると、ふと上村さんが小声で話しかけてきた。
「あの、森宮さん」
「うん?」
「この前の本の中に、栞が挟まっていませんでしたか?」
そう言った上村さんの顔はどこか真剣だった。そう言えば、その話をしないといけないのだった。自分の間抜けさに呆れつつ、伯父さんの言うとおりに保管しといてよかったと安心した。
「うん、あったよ。言わなきゃと思ってた」
「そ、それで、どこに」
「持ってくりゃ良かったね。大丈夫。店にあるよ」
「あ、保管して頂いてるんですね、良かった。今度、取りに行きます」
そう言って頷く上村さんの顔が、パッと明るくなる。よっぽど大切な栞なんだと知り、連絡しなかった自分の臆病さを心の中で罵った。
「あ、そういえば、大和さんって本、沢山読むんですよねぇ」
イチャつきが一段落したらしく、突然そんなことを言い出す未来虹ちゃん。この唐突さ加減、しっかり出来上がっているらしい。なんて安上がりなカップルだろうか。
「ああ、そうだけど」
「ひなの、読んで貰ったら?」
「ええっ!!」
吃驚したような声を上げる上村さん。未来虹ちゃんは構わず俺に向かって話を続ける。
「大和さん、この子、小説を書いているんですよぉ」
「ちょ、未来虹ちゃん……、いいよぉ」
慌てて口を塞ごうとする上村さんを押さえつけ、未来虹ちゃんは構わず言葉を続けた。
「読んでやって貰えないですか。私、素人だからわかんないけど、結構良い線行ってると思うんですよ」
未来虹ちゃんは重大なところを間違えている。
「あのね、未来虹ちゃん」
「はい?」
「俺も、素人だよ。本が好きで読んでるけど、古本屋でバイトしてるただの素人。小説なんて書いたこともないし、文学研究した事もないよ」
「でも、私より本読んでるし」
「それとこれとは……」
「まあまあ、大和」
尚も言おうとした俺を遮ったのは翔だ。
「ひなのちゃんは小説書いてるの?」
「あ、はい……」
消え入りそうな小さな声で上村さんは頷いた。
「読ませて、貰えるの?」
「え、あ、でも、大したこと無いし、それに最近書いてないから……」
どうやらあまり気が進まないようだ。
「ダメだよ、ひなの、読んで貰いなって。読んで貰う人がいたら、きっと張合いが出るよ。また、書けるよ」
未来虹ちゃんのテンションが突然上がり、テーブル越しに上村さんの手をぐっと握って訴えかけるように言葉を紡いで行く。
俺と翔は黙って顔を見合わせた。とりあえず成り行きを見守る以外には無いらしい。
「でも……」
「大和さんなら、ちゃんと読んでくれるよ。ね?」
最後の『ね?』で突然こちらを向く未来虹ちゃん。
「もちろん、読ませて貰えるなら真面目に読むつもりだけど……」
「ほら、ね?」
未来虹ちゃんは上村さんの顔を覗き込むようにしながら、訴えかけるように『ね?』ともう一度言った。
「未来虹ちゃん、私ね……」
「もう、一年だよ? いつまでそうしているのよ?」
「そんな事言ったって……」
突然、上村さんの瞳から涙が溢れた。未来虹ちゃんの瞳にもうっすらと涙。そのままぽたぽたと流し始めて、テーブルは急に静かになった。
俺と翔はそれこそどうしたら良いのかさっぱり分からず、狼狽えてハンカチを差し出すぐらいしかできなかった。