18
伯父との夕食を終え、帰宅したのは10時を少し過ぎた頃だった。俺は風呂に入って体をさっぱりさせてから、コーヒーを用意した。それを片手にコタツに潜り込み、例の封筒を鞄の中から引っ張り出した。
取り出して、改めて見てみるとA4の用紙でざっと三十枚前後。パソコンで打ち出された文字が整然と縦書きで並んでいる。タイトルは『桜の季節』。
俺は表紙をめくって一枚目を読み始めた。
兄と妹の話だった。無口で、でも優しくて、本をこよなく愛する兄。そんな兄を慕う妹。冒頭から暫く、兄と妹の仲の良さが暖か味のある描写でゆったりと描かれている。中盤辺りから妹に思いを寄せる男が現れ、同時に兄の恋人が妹の前に現れる。ある日、兄は庭に一本の桜の木を植える。この花が無事に咲いたら、自分は恋人と結婚するという。そして、その日からせっせと桜の世話を始める兄。それを応援したいけど、応援すると兄が結婚してしまう。この狭間で揺れるもどかしい思いに日々悩む妹。そして、妹のそんな思いをよそに、その年の桜の季節、桜は花をつける。兄はその桜で栞を作り、妹に手渡す。兄は結婚を決心し、周りが囃し立てる中で、妹だけが取り残されたように孤独を味わう。それを慰めてくれたのは、彼女に好意を寄せる男だった。
三十分ぐらいだろうか。読み終わった俺は一つ息を吐いた。なんとも切ない話だった。柔らかい文体で、表現も豊かだった。描写も作風にマッチした淡い感じで、見事に一つの世界を描いていたといって良いだろう。
(………)
この作品を読んで、妙な既視感を覚えた。彼女なりのアレンジはしてあるが、決して真似たとかではなく、ある種の尊敬に似た感覚を感じた。果たしてどこまで言うべきか、そんなことを考えながら、終わりのページに書いてあった電話番号に電話をかけた。コールを待つ間に、色々と言いたいことを整理する。五度目のコールで繋がった。
『も、もしもし』
「ああ、こんばんは。森宮です。こんな時間にごめんね」
『あ、はい。大丈夫です』
「ええと、昼間の作品、読ませて貰ったよ。感想を言いたいと思うんだけど、今はいいかな?」
『え、あ、あのっ』
「うん?」
『で、出来れば直接会ってお話を聞かせて頂きたいと、思うんですけど』
なるほど。俺はカレンダーを見た。当然だけど暫く新月堂の仕事が続く。まあ、伯父があの調子だからある程度流動的なことになるだろうけど。
「うーん、それじゃ、明日の夕方。俺の仕事が終わってからとか」
『あ、はい。全然大丈夫です』
「えっと、じゃ、店のほうに来てくれる? 一応六時には終わるから」
『あ、はい。分かりました。あの、よろしくお願いします』
「もちろん。真面目に話させてもらうよ」
『はい、それじゃ、おやすみなさい』
「うん。おやすみ」
電話を切って、大きく息を一つ吐いた。向こうの緊張が移ったのか、なんとも息苦しい電話だった。会いたいといってくれたのは案外正解だったかもしれない。
あのまま電話口で感想を伝えるとなると、かなり疲れるのは目に見えていた。