15
本の整理を心に決めたは良いが、まずは何からかかるべきか。店の中をゆっくりと歩いてみながら、俺は心を落ち着けて考えた。
(まずは……)
「いよぅ、元気かい、親友」
俺の思考をぶった切る能天気な声。立っていたのは、黄色のダウンジャケットを着た翔。たったの二日で、随分と様子が変わるものだ。
店である以上、入ってくるなとは言い難い。が、考えているところを邪魔されたのが大変気に食わない俺は翔を雑に扱うことにした。
「何か用か、浮かれ虫」
「虫は酷いなぁ」
そう言いつつも、翔の声は弾んでいた。この前とは大違いだ。
「いやぁ、未来虹ちゃんと話したんだって? 昨日の夜、聞いた」
「あぁ」
「オレも説明しなきゃと思ったんだけど、店閉まってたからさ」
「スマホあるだろ」
「こういうのって、直接言いたいだろ」
だから、電話しろよ、と思ったが口に出すのは止めた。未来虹ちゃんはこのポンコツの何が好きなんだろう。
「で、お前の気持ちもすっきりして、俺への説明も手間が省けて、それでまだ何の用があったっけか?」
「ひどいなぁ、親友。ただ会いたい時もあるだろ?」
「気持ち悪いから却下。失せろ」
「やれやれ、冷たいねぇ。ま、ただ会いに来たわけじゃないけどね」
肩をすくめ、やれやれ、と言ったように頭を小さく振る翔。その仕草がまたむかつく。
「昨日、未来虹ちゃんがケーキを焼いてくれてね。話はその時に聞いたんだけどさ」
「そういえばそんな本を買っていたな」
ケーキを焼いてご馳走してやるとかなんとか。俺と別れて帰ってすぐに作ったらしい。
「それがすっごく美味しくてさ。オレが美味しいって言ったら、未来虹ちゃんが喜んでくれるんだけど、その笑顔がまた可愛くて……って、本を読むなっての」
俺は精一杯嫌な顔を作って翔の方を向いた。
「その馬鹿馬鹿しい惚気話を聞かせに来たのなら、速やかに回れ右して帰れ」
似たような話は、昨日喫茶店でも聞いた気がする。
「違うって。んで、未来虹ちゃんが差し入れて持ってけってさ」
そう言って、翔はバッグの中からタッパーを取り出して俺に見せた。
「それを最初に言えよ」
「ん? 急に態度が変わってない?」
翔の抗議は無視。開けて見ると、中には白いケーキが二切れ入っていた。
「新作だってよ。ハイパーふわふわチーズケーキとオレは名付けた」
そのダセぇネーミングセンスはどうかと思うが口には出さない。
「んー、良くわからんが美味そうじゃないか」
「美味そうじゃなくて、美味いの。食べたら吃驚するよ」
「そりゃ楽しみだ」
とは言え、勤務中に食べるのはさすがに気が引ける。俺はそれを冷蔵庫にしまって、後で食べることにした。
「茶でも飲んでいくか?」
「そこまで扱いが変わると泣くぞ。でも今日は遠慮しとくよ」
「そうか」
いつもは何かしら理由をつけて長居しようとするくせに、今日に限って珍しい。
「プレゼント買いに行くんだよ。クリスマスが近いしな」
「そういう事ね」
「大和はなんか準備してんの?」
「俺が? なんで?」
送る相手も特にいないのに。
「ひなのちゃんにあげたら? 喜んでくれると思うけど」
「んなわけあるかよ」
適当な事は言わないで欲しい。本当に。
「ま、いいけどね。それじゃ、バーイ」
翔は言うだけ言って店を出て行った。しょうもない言動であるのはわかっていながら、不完全に焚き付けられた俺は仕事が終わるまで悶々として過ごす羽目になった。
ケーキは二切れ入っていたので、伯父さんと夕食後に一つずつ食べることにした。
「うん、美味しいねぇ」
伯父さんが舌鼓を打つ。俺も食べてみて驚いた。美味いとは聞いていたが、そこらの店で買うよりもずっと美味い。百聞は一見にしかずとはよく言ったものだ。
チーズケーキと言うよりは、チーズスフレに近いような感じだったけど、それよりも更に口当たりが軽くて、そのくせにチーズの味はしっかりしている。作り方なんて見当もつかないけど、間違いなく美味しかった。
夕食の間も元気の無かった伯父さんだけど、このケーキのおかげで少し元気そうな顔が見れた。
(未来虹ちゃんに感謝だな)
「大和さぁ……」
ケーキを食べながら、伯父さんが口を開いた。何と無く真面目そうな雰囲気に俺は手を止めた。
「なに」
「例えばだけどね。例えば、僕が新しいジャンルを書くとしたら、どういうのが似合うと思う?」
「は?」
突拍子もない言葉が飛び出してきた。この人は突然何を言い出すんだか。
「何でまた?」
「そうだなぁ……。自分の作風に自信が持てなくなったとか。他のジャンルに挑戦することで、自分の新しい世界を開きたいとか、色々かな」
「うーん、パッとは思いつかないな。十六夜華月の作品といえば、ゆったりとした世界と豊かな描写の暖か味のある作品というイメージしかないかな」
俺の答えに伯父さんはちょっとがっかりしたようにため息をついた。
「他の読者もそうなのかなぁ」
ケーキを口に運びながらそんなことを呟く伯父さんは、何だか随分と弱気になっているようだった。
「さぁ、どうだろうね」
俺は一応含みを持たせてみた。けど、多分そうだと思う。確かに何冊か単行本を出しているけど、作品に漂う空気のようなものは大体同じだ。推理小説でトリックや犯人が変わっても、推理小説に代わりがないように、展開や背景が変わっても十六夜華月の世界は守り続けている。俺はそれが好きだから何の不満もなかった。
「こうさ、テンポアップしたコメディとかさ、仰天のファンタジーとかさ」
「いいと思うよ。それで新境地が開拓できるなら、俺は読者として嬉しいし」
「そうかい? 嬉しいねぇ……」
言葉とは裏腹に大きくため息をついて、伯父さんはケーキの最後の一口を放り込んだ。そのため息が、伯父さんの気の進まなさ加減を物語っている。
「マジでどうしたのさ?」
「うーん、ちょっとスランプかなぁ」
そう言って、伯父さんは力なく笑うだけだった。
(こりゃ重症だな)
「それこそ、佐々木さんに相談してみたらいいんじゃないの?」
何しろあの人は担当編集者だ。作家が作風について相談するなら、俺なんかよりよっぽど持って来いの人に決まっている。
「それが出来れば苦労しないんだよね……」
そう言って、伯父さんはのろのろと立ち上がり、和室を出て奥へと引っ込んでしまった。