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本屋の三軒ほど隣にある古めかしい喫茶店に俺達二人は入った。幸いにも出る人と入れ違いになったので、席はすぐに確保できた。
「コーヒー」
「私はカフェオレ下さい」
初老のマスターに注文し、それが来るまでの間しばし待つ。二人の前に、それぞれカップが置かれたところで、未来虹ちゃんはぽつぽつと話し出した。
「あの、ひなのはこの件のことあんまり知られるの好きじゃないみたいです。だから、その、翔ちゃんにも言ったんですけど……、ひなのには黙っていてください」
そう言って、未来虹ちゃんは話を切り出した。
「一年前になるんですけど、当時、ひなのは隣町に住んでて、なんか曾お爺さんの時から住んでたとかで、大きな庭があるんです。私も何回か行きましたけど、すっごく良いところでした」
「うん」
(なるほど、以前は隣町に住んでいたのか)
「で、お兄さんが一人いて、凄く仲良しだったんです。歳が十ぐらい離れてて、可愛がって貰ったことしかないらしくて」
(この間売りに来た園芸本の持ち主だな。なるほど、わざわざ取りに来たのも、仲良しのお兄さんの本だったからか)
「それで……、そのお兄さん事故で亡くなちゃったんです」
未来虹ちゃんは一旦ここで言葉を切った。俺の反応を伺うようにこちらを見たが、あまりに唐突な展開過ぎて、俺には何もいうことが出来なかった。
「家族も随分悲しんだらしくて、色々とあったみたいです。でも、一番ショックが大きかったのがひなのだったみたいで、えっと、塞ぎ込んじゃったと言うか。もう二度と笑わないんじゃないかって言うぐらい落ち込んでて。で、半年ほど前、やっと大学にも出てくるようになったんですよ。それを機に引っ越しも決めたみたいです」
そこで未来虹ちゃんは大きなため息を一つ吐いた。未来虹ちゃんから見れば、まだ全然回復していないってことなのだろう。確かに思い出のある家から引っ越すというのは大きな決断だろうと思う。上村さんが立ち上がろうとしているのを、何かの形で支援したかったという親御さんの心意気だろうか。
「表面的にはある程度戻ったかなと、思っていたんです」
確かに、本を売りに来た時の彼女からは悲しみのようなものを感じはしなかった。
「でも、お兄さんが死んで以来、あの子は小説を書かなくなったんです」
「そりゃ、大好きなお兄さんだったわけだし、仕方ないんじゃない?」
「確かにそうなんですけど……。うーん」
何か言いたげだが、上手く纏まらないという感じで首を捻る未来虹ちゃん。恐らく、上村さんが小説を書き始めたきっかけと言うのは、何かお兄さんが絡んでいるのではないか。お兄さんが死んでしまったことで、どういう気持ちで小説に取り組めばよいのか分からなくなっているのではないか。だから、執筆そのものに背を向けてしまっているのではないか。
悩んでいる未来虹ちゃんの前で俺は何となくそう思った。もし、この仮定が正しいとすれば、上村さんは自力で立ち上がるしかない。俺にできる事は、立ち上がると決めた彼女を応援することぐらいだろう。
「アイデアの事でも、書きかけの小説の事でも、とにかくそう言う話をするときのひなのはとっても楽しそうなんです。キラキラ輝いているっていうか。私はそんなひなのが好きでした」
俺は未来虹ちゃんの話を黙って聞いた。
「私はもう一度、あの輝いているひなのが見たいんです。我侭なのは分かってます。あの子の気持ち、考えてないなってのも……。でも、今のまま放っておけなくて」
(羨ましいね)
これほど友達の事を思える未来虹ちゃんは、本当に素敵な女性だと思う。不器用でおせっかいだけれど、こんなに誠実な友人に一生でどれぐらい出会えるだろうか。
「何か切っ掛けがあれば、と思っていました。食事のときに、翔ちゃんが大和さんを連れて来てくれたじゃないですか。私、これはきっと運命だと思いました。大和さんはひなのの小説について真剣に意見してくれる人だって」
面と向かって言われると照れる。頼って貰えるのは確かに嬉しいが、あの場でも言ったが俺は所詮素人だ。果たしてどれほどの力になるものか。正直に言うとまったく自信はない。
「でも、結局あんなになっちゃってぇ……。ちょっとやりすぎたかなぁって」
「あの後、話したの?」
「はい、その日の晩に電話で。ひなのは気にしてないよ、こっちこそゴメンねって言ってたんですけど……」
多分それは本当なんだろう。次の日に会った彼女は少なくとも前日を引きずっているようには見えなかった。ただ、未来虹ちゃんの心に後ろめたいところがあるのだろう。まあ分からないでもない。
「会えた?」
「いえ、何となく会いづらくて」
「でも、次の日に栞取りに来てたし、それからも会ったけど、元気そうだったけどな」
「本当ですか! それなら、少しほっとしました」
ほっと息をつき、にっこりと笑う未来虹ちゃん。
「良い友達関係だね」
「はい、少なくとも私は親友だと思ってます」
未来虹ちゃんは元気良く頷いて言った。
「でも、焦りすぎると良くないと思う。あくまでこれは彼女の問題だからね。無理強いしても、あまり良い結果にはつながらないと思うよ」
「う……。はい」
「きっと、大丈夫だと思う」
俺の言葉に未来虹ちゃんは満面の笑みでもう一度頷いた。
それから少しだけ翔との惚気話を聞かされて、程よくウンザリした頃に俺達は店を出て分かれた。
(上村さんの書いた小説か……読ませて貰える物なら読んでみたい)
翌日、伯父は朝から元気が無かった。
「どうしたの?」
俺が聞いても、まあねぇと要領を得ない。いつもならとっとと仕事場に引っ込んでしまうくせに、今日に限って和室で湯飲みを抱えてぼんやりしている。昨日の用事とやらで何かあったのだろう、と言う予測はできる。
「昨日、何かあった?」
「まあ、ねぇ……」
今日、何度目のやり取りか。昨日、どこへ行っていたのかを教えてくれないので、こう聞く以外に無いのだ。
「仕事、しないの?」
「うん、まあ、ねぇ……」
抜け殻の様とはこういう時に使う言葉だろう。
「あんまりサボってると、佐々木さんに怒られるよ」
本当に何気なく言った軽口だった。しかし、返事の代わりにびくっと体を震わせた伯父は、その弾みで湯飲みを取り落とした。中に入っていたお茶が畳の上にこぼれて水溜りを作りながら染み込んでいく。
「わわ、しまった」
伯父はとっさにティッシュを数枚引き抜き、その水たまりにかぶせる。
「もう、何やってのさ」
俺も慌てて和室に駆け上がり、布巾を取るべくキッチンに駆け込んだ。更にティッシュで先に拭いていた伯父からそのティッシュを受け取り、流しの三角コーナーに放り込む。代わりに渡した布巾で畳を拭きながら、伯父は一つため息をついた。
「やれやれ、参ったなぁ」
「なに?」
「いやぁ、何でもないよ」
そう言いながら、拭き終わった布巾を持ってキッチンにやってくる伯父。
「何でもなくないでしょ? 朝から変だよ」
「変、かな?」
「かなりね」
「うーん、そうかぁ。変だったかぁ」
無自覚なのが余計に恐ろしい。
「俺で良ければ話、聞くよ」
「気持ちは嬉しいけど、ごめんね」
穏やかだけど、有無を言わせぬ調子と言うのだろうか。一枚の強固な壁を感じた俺はそれ以上聞くのをやめた。どうせ聞いても教えてくれないからだ。いつか教えてくれるかもしれないし、教えてくれないかもしれないが、とにかく今は何を聞いても無駄だろう。
「じゃ、何かあったら呼んでよ」
ため息混じりにそう言って、伯父は奥へと消えていった。
昨日、一体何があったのか。単純に考えればデートだろう。仕事の合間にネットで相手を見つけたか。佐々木さんの名前に過剰な反応を見せていたから、ひょっとすると紹介されたのかもしれない。
だとすると、前のやたらに長い打ち合わせにも納得がいく。
そして、昨日はその女性との初デートだった。ところが、何かしらやらかして相手を怒らせてしまった。
どうしてこうなってしまったんだろう、と言う事と佐々木さんに何と説明すればいいのか、と言う事の二つで悩んでいたというところか。
(そりゃ、人には言いたくないだろうなぁ)
俺は伯父の心を慮り、これ以上の詮索はしない事に決めた。