12
店に戻ると店内はちょっと、いや、かなり悲惨なことになっていた。レジ横に積んであった本の塔が消え去り、変わりに店内は本の絨毯が出来上がっていた。
「あ、大和! 待ってたよー」
伯父の困り果てた声。軍手にタオルで作った即席マスク、三角巾と完全防備姿をしてはいるが、大量すぎる本を前に手を出しあぐねている。
「これは…新しい祭りか何か?」
「違うよー。いや、久し振りだからかなぁ、参ったねぇ」
苦笑いの伯父に俺も言葉の返しようが無い。
「さっき、この間本を売りに来た子、ええと上村さんだっけ? が来てね、本を一冊返して欲しいって言うからさ。返してあげようにも、どれなのか分からなくて。何冊か取り出して見せたんだよ。そこまでは良かったんだけど、積み直すときに失敗しちゃってねぇ」
「こりゃまた…」
「いやぁ、まさかこんなに積み上がってるとはねぇ」
頭をぽりぽりと掻きながら、伯父はため息を吐く。そろそろ片付けた方がいいんじゃない、とはいつも言っていたが、まさかこれほどになるとは。
「ま、とにかく片付けようか」
「悪いねぇ、一人じゃどうにも手がつかなくてね」
「仕事だからね」
俺は外していたエプロンをつけ、袋の中から早速新しいマスクを取り出して装着した。最後にエプロンのポケットに入れている軍手をつければ俺も準備万端。
「とりあえず、本を集めようか」
「よし、じゃあ僕が積み上げていくから、次々持ってきてくれる?」
さり気無く楽であろうと思われるポジションを取る伯父。無論、店長の言う事なので異論はないが、さっき積み上げるのを失敗したとか何とか。
(次に崩れてきたら見捨てようかな)
そんな考えが頭をよぎりつつ、俺は本を集め始めた。
「そう言えば、戻ってくる途中に上村さんに会ったよ」
黙って本を集めるのもなんなので、とりあえずそんな話を振ってみる。
「本、返して貰えたの、凄く喜んでたよ」
本当は困惑気味ではあったが、喜んでいたことには違いない。
「そうかい。その本、お兄さんの本らしいねぇ」
「へぇ、そうなんだ」
(彼女にお兄さんがいたのか。それは初耳だな)
「大切な本とは言ってたけど」
「売るつもりの無い本だったらしいねぇ」
「あ、それは聞いた」
お兄さんの本を勝手に売ってしまったと言う事だろうか。でも普段は仕舞い込んでいると言っていた。
「引越ししたばっかりで、家の中がごちゃごちゃしてるんじゃないかな」
「あ、引越ししてきたんだ」
「この間の食事会で、そんなことを言ってた」
「どっから引越してきたの?」
「さあ、そこまで聞いてないし、そんな状況でもなかったし」
「ああ、そうだった。ごめん」
伯父は面目無さそうに言いながら、俺の渡した本を慎重に積み上げていく。先程本をひっくり返した事がかなり堪えているようだ。
「そういえば、栞の桜、分かったよ」
「ああ、あれね。分かったの?」
「御衣黄。でしょ?」
「正解。僕が五十点って言った意味も分かった?」
「え……と?」
そう言えば肝心のそこを聞いていない。桜の名前がわかっただけで満足してしまった。
「……大和。ほんとに調べた?」
懐疑的な視線が痛い。
「えっと……さっき、上村さんに……」
結局、その視線に耐えきれず、本当のことをつい口にした。
「なんだぁ、カンニングか?」
少し呆れたように伯父はそう言ってため息を吐いた。
「どうしても分からなくてさ。聞き取り調査を……」
「要は面倒だったんだね。で、どんな花なのかは聞かなかったと」
「ま、まあ、この辺じゃ見当たらないって事は」
針の筵とはこういう状態の事を言うのだろうか。自業自得過ぎて、申し訳なさそうにしている以外の姿勢も思いつかない。
「やれやれ、学生なのに探究心が足りないねぇ。ダメだよ。何につけても探究心や好奇心てのは大事なんだから」
そう言って、伯父は片付けの手を止めて本棚のほうに歩いていった。
「ええと、この辺にあったんだけどな……ああ、あった」
そう言って、伯父が本棚から引っ張り出してきたのは古臭い植物図鑑だった。
「これの桜のところを見てごらん」
言われるままにそのページを開く。その中には何種類もの桜の絵が載っていた。写真じゃないところが、いかにも古臭い。その中に御衣黄桜があった。
「ええと、開花は四月の下旬から……。サトザクラ種の、ええと花が……緑色!?」
これは驚きだ。緑色の花が咲く桜なんて見たことも無い。初耳もいいところだった。確かに、図鑑のイラストにも緑色の花が描かれている。
「これは……珍しいな」
「面白い花だろ?」
俺は正直に頷いた。これは確かに一見の価値ありだ。
「緑なのは最初だけで、徐々にピンクになっていくんだけどねぇ。そこがまた面白いだろう」
「伯父さんも詳しいね」
「ま、僕も実物はこの間の押し花でまだ二度目なんだけどね」
「見たことあるの?」
「うん、島根に行ったときかなぁ。取材でね。綺麗な緑色がずらっと並んでいてねぇ。あれは壮観だったなぁ」
そのときの風景を思い出すかのように、遠い目をしてしみじみと呟く伯父。
「島根かぁ。結構遠いな。あの栞は旅行にでも行ったときにでも作ったのかな?」
「いや、結構いろんなところで見られるらしいよ。僕は見たことないけれど、この近所でも探せばあるかもね」
「ありがとうございます。勉強になりました」
「いやいやぁ。でも、色々と興味を持つってのは良い事だと思うよ。ま、一応ほら、人生の先輩としてね……」
そう言って、伯父はちょっと照れたように笑った。
「さ、片付けちゃおうか」
「ああ、だね」
俺は図鑑をカウンターに置いて、再び本を拾い集め始めた。
最後の一冊を慎重に積み上げ、片付けは一応の終わりを見せた。状態は何も改善されていないが、とりあえず店内は元通りになった。
当の伯父は終わる直前に、後はよろしくと言って再び奥の部屋に引っ込んでしまった。カウンターに置き去りにされた図鑑を元の位置に差し込みながら、ふと先ほどの伯父を思い出す。
(確かこの辺にとか言いながら、一直線に本棚に向かったよな)
普段は俺に任せっきりにしているが、やはりここは伯父の店なのだと感じる。そして、今、そのことに対して悔しく感じている。
バイトを始めて4年。俺はこの小さな店にある本をどれぐらい把握しているのだろうか。読書好き、本を良く読むと言いながら、一番近くにある宝の山を探そうともしていなかったのではないか。店員として、あるいは一人の本好きとして、穴があったら入りたい気分になった。
(確かに伯父さんは俺を褒めてくれる。いてくれて助かる、任せられる、って)
しかし、実際はどうだろう。本の買取や、レジの精算等は結局伯父がやっている。本の在り処を知っているのも伯父。俺の出来る事と言えば、レジ前の椅子に座って文庫本を読むことと、伯父に茶を出すことぐらいか。
考えた末にやって来たのは無力感だった。座って本を読むことや茶を出すことなんて、子供でも出来る。つまり、俺の代わりなんていくらでもいるという事。気づいてしまった事実が、どうしようもない無力感を俺に与えた。
だが、その事実を受け入れることを心が拒否した。
(俺はこの店が好きだ。ゆったりと時間の流れる感じも、古本の匂いも、伯父さんの人柄も含めて)
この店を本当に任せて貰うために、何かを始めなければいけなかった。
いつも本屋でやっているように、端から本棚をずっと見ていく。殆どがハードカバーで、背表紙も色あせているような本が多い。小説、エッセイ、研究書、辞典、図鑑。大型書店にも引けをとらないような、種類の多さ。ただ、ある程度の棲み分けがされているだけで、本棚はやはり雑然としている。
(まずはここの整理をしてみよう。そうすれば、どんな本がこの店にあるのかも見えてくるはずだ)
その結果がどうなるかは分からない。ただ、何かをしたかった。店のために何かを。