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「それじゃ、どうもお邪魔しましたー」

 元気の良い挨拶を残し、佐々木さんが帰って行った。かれこれ二時間ばかり、いつもに比べると随分ゆっくりしていったものだ。太陽も既に西に傾いている。

「新作の打ち合わせ?」

 佐々木さんの姿が見えなくなってから、伯父に聞いてみた。

「あ、ああ、まあね」

 珍しく歯切れの悪い答え方。伯父は間延びしている様で、イエスとノーは意外とはっきりしている。と言うか、態度でわかるので不自然さが自然と際立つ。

「もしかして、原稿サボってた?」

「あ、いや、そういうのじゃないんだけどね」

(…けど、何なんだろうか)

 そう思いつつも、なんでも言い合うと決めた仲ではないので、内緒の一つや二つはあっても全然構わない。執筆をサボったわけではない事にホッとする。これで執筆もしていなかったら、さすがの俺も怒っていたかもしれない。



 それから何日か後のこと。俺は店番を伯父にお願いし、近所のコンビニに来ていた。いつも持っているマスクを忘れてきてしまったのだ。洗濯して干しっぱなしにしていたのが失敗だった。取りに帰ると時間もかかるので、近所のコンビニで買うことにした。スペアがあるに越したことはないしな。と言うか、あんな埃っぽい店にスペアのマスクが無いのはどういうわけか。

 コンビニにもすっかりクリスマスが来ていた。店内にはちっちゃなツリー。窓ガラスにはトナカイの絵。もう少ししたらお菓子のブーツとか並ぶんだろうか。

 久しぶりに外に出た。冬だから当然寒いのだが、今日は幸いにも快晴で散歩にはもってこいの日だった。伯父に悪いと思いつつ、俺はのんびり歩いて、ついでにちょっと雑誌なども立ち読みして、気がつくと小一時間ほど過ぎていた。さすがにのんびりしすぎたな。そう思いつつ、店への帰り道を急いでいると、向かいから上村さんが歩いてくるのが見えた。

「やぁ」

「あ、こんにちは」

 俺が片手を挙げて挨拶すると、上村さんも立ち止まってぺこりと会釈をしてくれた。

「この間は佐々木さんがごめんね。悪い人じゃないんだけど」

「あ、いえ。私のほうこそ逃げ出しちゃって。失礼なことをしてしまいました。何というか、軽くパニックに……」

 さもありなん。佐々木さんがあまりに無遠慮なのだと思う。

「気にしないで。あの人は、まぁ、ちょっと特殊なんだ」

「あ、はい……。でも、森宮さんは嫌な気分しなかったですか?」

「俺? なんで?」

「あ、いえ……していないなら……良いんです」

 少し曖昧な返事。軽い落胆が見えるのは気のせいか。

 ふと見ると、上村さんは胸元に紙袋を一つ抱えている。うちの店の袋だった。

「あれ、お買い上げ? ありがとうございます」

 そう言うと上村さんは慌ててパタパタと手を振った。

「い、いえ、違うんです」

「うん?」

「実は……、これ前に買い取って貰った本なんです」

 そう言って、上村さんは中身を見せてくれた。それは、一つだけ新しかった、あの園芸の本だった。

「これ、売るはずじゃなかったもので、その、お父さんが間違えて入れてたみたいで。私も、今まで気付かなくって。普段は大切にしまっているので」

「貴重な本なんだ?」

 そうは見えない。少し年代が古くはあるが、よくある園芸の本だったと記憶している。

「はい。私にとっては……。でも、無理を言ってしまいました……」

 なんとも申し訳無さそうな上村さん。恐らく伯父が気軽に渡したのだろう。いいよ、いいよ、持って行ってとか何とか言って。

「お金、返しますって言ったんですけど、計算が面倒だからいいって」

(やっぱそうか)

 ま、店長が言うならバイトの俺がどうこう言えるものじゃない。

「店長がいいって言うならいいんじゃない?」

 俺としてはこう言うしかない訳で。上村さんも複雑な顔をしつつ、「はあ」と呟くように言った。

「そういえばさ、前に返した栞」

「はい?」

「桜の栞。あれなんていう桜?」

「あ、あれは御衣黄と言います。御意の御に衣、それから黄色の黄で御衣黄です」

 随分と物々しい名だ。

「珍しい桜なの?」

「そ、そうですね、この辺じゃ見かけないかもしれないです」

「へえ、何でその栞を上村さんが?」

「え……、あ、頂き物なんです」

 何となく、そう言った上村さんの表情に影が出来たような気がした。

「そうなんだ。うちの店長が良い栞だって言ってたよ」

「そうですか。ありがとうございますとお伝えください」

 途端に影は消え、上村さんは嬉しいような、照れくさいような顔をしてみせた。ふと、この間聞きそびれたことを思い出し、俺が口を開こうとした瞬間、スマホが鳴き出した。

「あ、ちょっとゴメンね」

 上村さんに断ってスマホを引っ張り出すと店からだった。

「もしもし」

『あ、大和。まだ帰らない?』

 伯父の声は明らかに困っていた。

(突然、店が繁盛して手が足りなくなったかな?)


「え、あ、もう帰りますよ」

『悪いんだけど、ちょっと急いで帰ってきてよ』

「はーい」

 電話は切れた。ちょっと慌てているような感じだったな。話はしたいけど仕方が無い。

「ごめん、店に戻らなきゃ」

「あ、お引止めしましたか? ごめんなさい」

「いいの、いいの。たまにはちゃんと働いて貰わないと。それに声を掛けたのはこっちだしね。栞の話が聞けてよかったよ。店長に宿題を出されてたんだ。その栞は何の花でしょうって」

「ふふ、カンニングですね?」

 ふざけて咎めるような口ぶりになる上村さん。

「いやいや、聞き取り調査……ってことで」

「はい、分かりました」

「じゃ、また、店にも来てよ」

「はい、是非」

 別れ際に見せてくれた飛びきりの笑顔を土産に店への帰り道を急いだ。




希乃咲穏仙 ( 2021/05/18(火) 00:35 )