惚れ薬
3
 翌朝、愛萌は小瓶をスーツのポケットに入れて出勤した。

 今夜もう一度京子に会って返そうと思ったが、鞄の奥に入れてうっかり中身を溢したり瓶を割ったらまずいと思い、考えた挙句がポケットに。という結論に至った。


 愛萌の片想いの相手は高3の男子。桜庭悠。



 この日、愛萌が悠と顔を合わせる可能性は低い。

 担当する授業は週に1回、1コマだけ。

 広い校舎内ですれ違う確率は10パーセントにも満たないだろう。


(そう。初めから、こんなものなのよ)


 だが、タイミングがいいのか悪いのかそれは起こった。


 始業寸前、慌ただしい職員室に彼は駆け込んできた。


 愛萌の席は出入り口のすぐ近く。


「先生! 辞書、貸してくれませんか?」


 ポケットの中の小瓶の液体が小さく揺れた気がした。

 国語科の教師陣の中で愛萌は一番若い。そのせいか、生徒からは『先生』というより『少し年の離れた姉』くらいの存在でしかないらしい。その分、気楽なのだろう。物を借りに来たり、頼みごとをしにくる生徒も珍しくはない。そして悠も、その一人に過ぎない。

 愛萌は自分の所有する辞書を本棚から掴み、悠に渡した。


「どうぞ。さ、早く教室に行きなさい。すぐにベルが鳴るわよ」

「ありがとうございます!」


 廊下を走り去る後姿を見送っていると、悠の担任から声をかけられた。


「ほんっとに桜庭は3年になっても変わりませんね。忘れ物、宿題未提出の常習ですよ」


 愛萌は軽く苦笑いを浮かべた。


「本当に。担任の先生も大変ですね」

「学校一厳しい宮田先生の古典の単位、去年よく取りましたよね」

「さすがの桜庭君も恐れてくれたみたいで、私の宿題は全部提出してくれたんですよ」

「宮田先生のことだけは好きなんですよ、きっと。他の教科はからっきしで、今だって卒業できるか冷や冷やなんですから」


 担任の発言にドキリとした。


――宮田先生のことだけは好きなんですよ――


 何気ない一言だが、愛萌の胸には大変な衝撃だった。

 もちろん、その裏側に何もないことはわかっている。

 だが、心が温まっていくのは誤魔化しようがない。


(だから、これがまずいんだってば)


 冷静になればわかることだ。

 もし、愛萌が男で、相手が女生徒ならば、少しは可能性があるかもしれない。が、その逆はまずありえない。

 もし悠と愛萌に何かあったとして、それを悠の両親が知れば卒倒ものだ。

 世間でも、『若い女教師が誘惑した』とか面白可笑しく言われるだろう。


(そう。私の気持ちを知ったら、気持ち悪いと言われる可能性大なのよ。私が教師でなかったら、街中で出会ったって絶対に100パーセント何も起こらない間柄なのよ。会社で勘違いした上司が気軽に部下の女子社員を誘ってOKがもらえると思っているのと同レベルなのよ)


 そう考えると、一気に落ち込んでしまう。

 自分が変態のようにさえ感じてくる。


(惚れ薬どころの問題じゃなかったんだ)


 正しく問題外だった。

 愛萌の胸は恋よりも失望で苦しくなっていた。


BACK | INDEX | NEXT

■筆者メッセージ
気が付けば前回から間も空いてしまっていましたね。室温でPCが壊れるという珍事がありました。この話は下書きしてなくて困りましたね。



女教師の誘惑

どんと来いですけどね


また、お願いします。
鶉親方 ( 2020/09/06(日) 23:24 )