惚れ薬
2
 家に戻った愛萌はテーブルの中央に小瓶を置いてみた。

 シックなダークブルーの店内では、あんなに怪しげな光を放っていた小瓶。平凡な家庭の中では、玩具のように安っぽく見える。

 使い方は至って簡単。香水のように手首に付け、好きな相手に会うだけだとか。


(これは……ヒトフェロモンっていうやつなのかなあ……?)


 テーブルに頬をくっつけ、小瓶の中身を凝視する。


(本当に京子の言うとおりだったら……)


 愛萌だって、信じたい気持ちで一杯だった。しかし、だからこそ、慎重にならずにいられない。


 だが、愛萌が惚れ薬の使用に積極的になれない理由は本当は別のところにあった。この惚れ薬なるものが本物かどうか、よりもずっと重大なこと。


 それは、愛萌自身がこの恋の成就を躊躇っていることにある。



 愛萌は高校で古典を教えている。

 そして、今回の恋の相手はこともあろうかその教え子である。


――教師が生徒に手を出したら、同意不同意に関わらず、懲戒免職――


 そういう内容の通達が最近しょっちゅう出回り、それが自分に向けられていると思ってしまうほどに深刻な問題となっていた。


 愛萌は今まで生徒から告白されても、それを当然のごとく断ってきた。間違っても『Yes』と言ってはいけないのだから、『No』と言い続けるしかない。若い高校生は一度や二度では諦めないしつこさを持っていたが、とにかく愛萌は逃げ続けた。

 後で冷静になると「私は酷い女かもしれない」と思うほど、こっぴどく振っていた。少なくとも、愛萌から生徒に迫ったことは断じてないし、許されないことだと、いつも心に言い聞かせていた。理性が先に働き、生徒に対して興味を持つことなど一度としてなかった。


 それが、どうだろうか。

 ときめきとは、と思うほどご無沙汰だった感情がこんなに容易く舞い降りてくるなんて。

 それは胸の奥の臓器という臓器を締め付ける苦しさだった。


 ほんの些細な出来事に気持ちが掻き乱され、立派に片想いが成立している。

 何もないのに涙できるなら、本物だ。


 教師という立場を利用して近づくことは簡単である。

 他の生徒から贔屓と思われない程度をわきまえる術も持っている。

 だが、愛萌の思いに相手が応えても、その先に何があるというのだろう。



(デートして、果てには結婚? まさか! ありえないわ)


 二人で楽しい時間を過ごしたいとも思わないし、向こうから好意以上のものをもらいたいとも思わない。

 ただ、嘘をつけないほどの想いが愛萌を支配し、その切なさを解消したいだけなのだ。




(ダメ。やっぱり……使っていいわけがない)


 愛萌は抱えた膝の間に額を埋めて、深くため息を吐いた。



 今回は随分容易く物語が完結した。

 誘惑に負けて思わず手を出してみたが、それは誤りだった。自分がどうすべきか考え、分をわきまえれば、簡単に解決する話だったのだ。



鶉親方 ( 2020/08/18(火) 14:41 )