惚れ薬
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「これ、あげる」


 突然の言葉に宮田愛萌は頬杖をつくのをやめた。

 薄暗いバーの照明では、隣にいる斉藤京子の真意を読み取ることはできない。

 だが、京子の紅い唇は間違いのないセリフをもう一度繰り返した。


「愛萌にあげるよ。効果覿面。彼氏いない暦ウン年なんて吹き飛ばすほどの代物よ」


 親指ほどの小さな、透き通ったブルーの小瓶。



 中の液体は、もう10分の1も残っていない。

 京子曰く、これこそが数多の女性達の間を転々としていた証だという。


「いい? これは都市伝説じゃないの。嘘っぽい広告の商品でもないの。正真正銘の惚れ薬なんだから。私を含めて、この液体を身に付けた女性すべてに彼氏ができているの。それも、結婚に繋がるマジ恋なの。だから次は、愛萌の番」


 京子は小瓶を指先で摘むと、念を押すのようにテーブルに置き直した。


 大理石とガラスが触れ、心地よい音色を奏でる。

 しかし、愛萌は半信半疑の眼差しを拭いきれない。


 そんな都合のいい。というより、おまじないめいた物を信じるような年齢ではない。だけど、真剣な京子にそれをストレートにぶつけることはできず、愛萌は遠回しに言った。


「でも、これでも男ができなかったら、本当に絶望的ってことだよね」

「そうね。でも、心配無用」

「そりゃあ、京子は成功したかもしれないけど……」

「私はこの薬を40才の先輩からもらったの。40よ? バリバリ仕事も出来て恰好いいけど、まともに男とつきあったことのないって人。でも先輩はこの薬で玉の輿よ。昨日、披露宴に行ってきたんだから。その先輩も、友達からもらったんだって。その人も35で…」

「いい、いい! それはさっきからずっと聞いてるから。ただね、偶然が重なったってこともあるでしょ?」


 京子は明らかに不機嫌そうに眉をひそめた。


「ないね。こんなに偶然が重なるなんてありえない。だから私は、今、恋煩いの真っ只中にいる愛萌に薬をあげるって言ってるの。それが何? 人を嘘つきみたいに!」

「いや、嘘つきっていうわけじゃなくてさ……」

「じゃあ、何よ?」


 京子は愛萌と違って恋にも仕事にも積極的だった。

 コンパも婚活パーティも機会さえあれば参加する。そんな京子が惚れ薬に頼る理由などあったのだろうか。

 確かに竹を割ったような性格で、軟弱な男ならビビッて逃げ出してしまいそうだけど、京子の容姿や性格からすれば、男をつくることに困ったことなどないだろう。


 京子は軽く頬をふくらませて、腕を組んだ。


「もういい、信じないならそれでも。愛も恋も私には縁がない、なんてずっと言ってたあんたが、やっと恋煩いなんて言うから、他の人を差し置いて譲ろうって思ったのにさ」

「……ごめん」


 愛萌は俯いて、小さく言った。


「別に、もういいわよ。これは、別の友達に譲るから」


 京子はため息を吐きながら、小瓶を仕舞おうと手を伸ばした。

 だが、次の瞬間。


「待って!」

「え?」


 京子の手を遮るように、愛萌は思わず小瓶に手を伸ばしていた。





 駄目でもともとなら、何もしないよりやった方がいいに決まっている。


 大体、恋に悩んでタロットだの星占いだの、何の解決にもならないものに頼るより、実行するという点においては、この薬の方が断然優れている。


 いつも悩みに悩んで、何も実行せずに、自分の心の中だけで結論付けていたから駄目なのだ。


 相手の一挙一動に一喜一憂して、独り相撲で大騒ぎして、泣いて、落ち込んで、駄目だと言って諦める。そんな恋愛パターンに飽き飽きしていた。


 気付いたら、ぱったりと恋愛には縁がなくなっていた。

 どんなに相性がいいと思える人でも、どんなにタイプの人に出会っても、何も感じない。人の心とは、例え自分の意思でさえ、どうにもできない。


 心が動かないものは動かない。


 それがつい最近、久々に心が動いた。

 厳のように固まっていた心が突然動き出した。

 何にも反応しなかった心を揺り動かすなんて、忘れていた感覚をこんなにも急速に目覚めさせるなんて。

 つい先月までは何とも思っていなかった相手に、こんな気持ちを呼び覚まされるなんて。


 もう、次は本当にないかもしれない。

 だから、動いてみよう。


 自分から、自分の中だけで完結させない物語を、今回こそ作ってみよう。




 愛萌はテーブルの上で拳を握り締めた。


「京子、お願い。その薬……私に譲って」





■筆者メッセージ
タイトルで読み進めての感想を代弁しましょう。

『いや、そっちかい!』

そうでしょうかね。多分、逆ですよね。あえてこっち視点で書いてみようと思います。


また、お願いします。
鶉親方 ( 2020/08/15(土) 00:52 )