Epilogue 1
 久しぶりにやってきた海辺の町は、何も変わっていなかった。

 寂れた駅のホームも、おまけに大福をくれた小さな店も、何も変わっていなかった。ただ一点を除いて。


「こんな綺麗だったかな?」


 ネクタイを緩めながら、あの頃とは違う色の海を眺めた。

 もう少し早く来ればよかった。もっと足を運べばよかった。小さな後悔ばかりが頭に浮かんでは消えてゆく。


「誠?」


 煙草を取り出そうとポケットに手をつっこんだ時、背後から聞き覚えのある声がした。


「よぉ、信次。来てくれたのか?」

「当たり前だろ。ばあちゃんには世話になったし」


 喪服姿の信次がほんの少し笑う。


「久しぶりだな、お前に会うの。何年ぶりだ?」

「六年? いや七年くらいか?」

「もうそんなに経つか。何か実感ないな」

「だな。そう言やお前結婚したんだって?」

「……あぁ」

「あの、柚菜って子と?」

「あぁ」


 なんとなく照れくさくて信次から視線を逸らした。


「本当は一緒に来るつもりだったんだけど、あいつちょっと具合悪くてな」

「え?」

「あ、いや、病気とかそういうんじゃなくて」


 ちらりと信次の顔を見る。信次はじっとこちらを見ている。


「……生まれるんだ。子供」

「なんだ! それじゃ、おめでとうじゃないか」


 言った後、信次はちょっと気まずそうに苦笑を浮かべた。


「あ、ばあちゃんが亡くなったってのに。ごめん」

「いや、いいよ。ばあちゃんも喜んでくれるだろうし」


 その言葉に信次が少し笑う。そしてすっと目を逸らし、目の前に広がる海を見る。そんな信次の横顔を黙って見つめた。



 七年前のあの日。信次は東京に来なかった。沙耶香が突然いなくなってしまったからだ。

 それきり信次とは会うこともなかった。もちろん沙耶香とも会っていない。ずっと心の隅に引っかかってはいたのだけれど、もうどうしようもないことだった。


「……信次。お前は?」


 ほんの少し躊躇いがちに聞いた。


「お前は今、どうしてるんだ?」


 信次は海を見たまま、ふっと笑う。


「俺はなんも変わってねぇよ」


 そう呟く信次の声が海からの風に流れてゆく。


「相変わらずこの町にいる。まぁ、あの家は出たけどな。あの頃と変わったことといえば、兄貴の子供が三人に増えたくらいかな?」

「……沙耶香は?」


 耐え切れなくなって言ってしまった。


「沙耶香とは……会ってないのか?」


 信次が黙って首を振る。


「さぁ、知らねぇよ、あんな女。生きてんだか、死んでんだかも……」


 信次と海を見ながら、沙耶香に初めて会った日のことを思い出していた。


 肩にかかる髪と、制服のスカートを風になびかせ、沙耶香はこの海で恋人を待ち続ける女の霊の話をした。


 馬鹿馬鹿しいと思いつつも、今でもまだ、あの話を覚えているのはどうしてだろう。

 自分も少しは共感したのだろうか。離れ離れになっても、一途に人を愛するという想いに。



 空から雨の滴が落ちてきた。信次はじっと、海の先を見つめたままだ。


「それでもまだ……待ってるのか?」


 そんな信次の横顔に呟いた。


「それでも、まだここで沙耶香のことを待ってるのか?」


 ふうっと息をひとつ吐き、信次が小さく笑う。そして雲の被さる空を見上げ、ひとり言のようにぽつりと言った。


「俺は一生結婚なんかしないだろうなぁ……」


 馬鹿。寂しいこと言うなよ。まだそんなに沙耶香のことが好きだったら、今すぐこんな町を飛び出して、どこまでも彼女を捜しに行けばいいだろう。

 そんな言葉を胸の中に閉じ込めた。自分が口を出さなくても、信次は何度も考えたはずだ。考えて、考えて、考えた末に出した答えが待つことだったんだろう。

 雨が足元のコンクリートを濡らす。軽く手を上げ、信次が背を向ける。

 鼻につく潮の匂いと、うなるような風の音。薄暗い町に戻っていく信次は二度と振り返ることはなかった。



■筆者メッセージ
さて、終盤も終盤。エピローグです。
鶉親方 ( 2020/08/07(金) 01:47 )