誠 2
 目覚まし時計をセットしたわけでもないのに、珍しく朝早くに目が覚めた。

 台所から漂ってくる味噌汁の香り。それに誘われる様に、誠は体を起こし部屋を出る。

 六畳間にある祖父の仏壇からは細い線香の煙がゆらゆらと漂っている。真ん中の小さな卓袱台の上には、二人分の朝食が用意されていた。


「ああ、誠。おはよう」

「おはよ」


 当たり前の様に座布団の上に座って祖母と二人で朝食をとる。

 小さい頃に何度か遊びに来ただけの父方の祖母の家で、こんなにも普通に暮らしている自分が不思議で仕方ない。

 祖母は誠に何も聞かなかった。テレビもつけず、特に会話もせず、用意された食事をただ向かい合って黙々と食べる。

 東京の家にいた頃、食事はいつも一人だった。広い部屋の広いテーブルにたった一人で、冷蔵庫から取り出したおかずを食べた。

 冷たかったらレンジで温めればいいし、退屈だったらテレビをつければいい。食事しながら友達とやり取りしても、行儀が悪いと文句を言う人はいない。

 だから、そのことに不満なんて感じてはいなかった。


「なぁ……ばあちゃんはなんでこんな所に一人で住んでんの?」

「ん?」


 誠の声に祖母が顔を上げる。


「東京に来いって、何度も誘われてたんだろ?」

「ああ、ここにはじいちゃんがおるからなぁ」


 祖母の視線が祖父の仏壇に移り、つられて誠もそちらを向いた。

 誠は写真の中の祖父しか知らない。誠が生まれた頃、とっくに祖父は他界していた。祖父もこの町の漁師で海で事故に遭って亡くなったと、聞いた記憶があった。


「じいちゃんを一人残して、あんな騒がしい所に行けるわけないよ」

「ばあちゃん、まさかここにいればじいちゃんが戻って来るとか、そんな夢みたいなこと思ってないよな?」


 誠はふと、防波堤で沙耶香に聞いた話を思い出した。


 恋人を事故で失った女が、後を追うように海に飛び込んだという、あの話。


「そうやねぇ……そんな夢、見てた頃もあったかなぁ……」


 祖母はそう言って笑い、ゆっくりと立ち上がる。


「誠、覚えとき。港の女は一途なんよ」


 誠はぼんやりと、小さくなってしまった祖母の背中を見つめる。




ばあちゃんにも若い頃があって

じいちゃんと恋をしたりしていたのだろうか

そして、じいちゃんが死んだ今でも

ばあちゃんはじいちゃんのことを一途に想っているのだろうか




 そんなことを考えていたら、ポケットの中のスマホが震えた。



 相手は柚菜だった。生暖かい風の吹く庭先で、少しだけ懐かしい声に耳を傾けた。


『もしもし……誠くん?』


 柚菜と話をするのは、あの学校の渡り廊下以来だった。


『久しぶり』

「……あぁ、うん。久しぶり」


 柚菜の声はかすかに震えていた。そんな彼女に何を話せばいいのか、誠にはわからなかった。


『誠くん、私ね……』


 小さく息を吐くように柚菜が呟く。


『堕ろしたの。赤ちゃん』


 スマホをぎゅっと握りしめ目を閉じた。だけど、出てくる言葉はそっけない一言だけ。


「そう」

『そうって……それだけ?』


 柚菜が少し笑った気がした。呆れたように小さく。


『私がこんなに傷ついてるのに、誠くんは何にも感じないんだね?』

「そんなことない。オレだって……」



好き勝手な噂を立てられ

学校を辞めさせられた

家を追い出され

こんな辺鄙な田舎町に島流し

だいたい全部男のせいにさせられるなんておかしいだろ?

そういう関係になったのはお互い納得し合ったからだろ?



 行き場のない言葉たちが頭の中を駆け抜けて行く。


『最低』


 柚菜の掠れる声が聞こえる。


『誠くんは何にもわかってない。私が今、どんな想いでいるのか……』


 スマホを耳に当てたまま、遠くを眺める。草の生い茂った庭の向こうに見えるのは、寂しそうに波の漂う灰色の海。


『バイバイ。誠くん』


 柚菜の声が途切れた。誠はスマホをポケットにつっこみ空を見上げる。



ああ、なんだ、そういうことか


柚菜の言う通り、何にもわかっていない

柚菜の気持ちなんか、わかろうともしていない


自分が他人からどう見られているか

かっこ悪くて、ひどいやつと思われていないか

いつだって、そうやって、自分のことしか考えていなくて




「ハッ、ハハ」




結局は同じじゃないか

見栄っ張りなあの両親と

まったく同じじゃ




「バカみてぇ……」



 思わず笑いがもれ、両手で顔を覆う。


 それでも、止めどなく想いが溢れてくる。

 どうして涙なんか流れてくるのか、誰かに教えて欲しかった。



■筆者メッセージ
おにぃさん

言われてみれば、そうですね。クズみたいなのしか出てこないですね。でも、聖人君子ばっかでもつまらないでしょう?


また、お願いします。
鶉親方 ( 2020/03/03(火) 22:23 )