沙耶香 3
 空から雨が落ちてきた。今夜は天気が崩れると、テレビのキャスターが伝えていたから、めずらしく予報は的中したようだ。


 ざくざくと草をかき分けて歩く秀一の後を沙耶香は黙ってついて行く。行き先は決まっている。あの寂れた漁師小屋だ。



 ぎいっと音を立てて扉を開けると、秀一は沙耶香の腕をつかんで、小屋の中へ押し込んだ。


 そしてそのままいつものように乱暴に床の上に押し倒す。


 風は今日も強い。唸るような海風の音を聞きながら、沙耶香は秀一の下で目を閉じる。



「……誰なんだ?」



 突然降りかかってきた、その言葉。



「え?」



 沙耶香は閉じた目を開いて秀一を見る。いつもなら何も言わずに服を脱がし始める秀一が、沙耶香に話しかけるなんてめったにないことだった。



「さっきお前といた男。誰なんだよ?」



 ちっと小さく舌打ちするように秀一が言う。沙耶香は思わず笑みを漏らした。



「やだ、秀ちゃん。もしかして妬いてる?」

「ふざけるな。誰だって聞いてるだけだ」



 沙耶香は両手を開いて秀一の身体を抱きしめた。自分のことを少しでも気にしてくれているとわかっただけで、どうしようもなく満ち足りた気分になれる。



「鳴瀬さんちのお孫さん。東京から来たんだって」

「ふん。来た途端に女とデートか? ませガキが」

「やっぱり、妬いてるんだ」



 眉をひそめた秀一が、沙耶香の胸に顔を埋める。いつも以上に激しく求めてくるその身体を、沙耶香は全身で受け止めた。








『沙耶香。また学校サボったな?』



 中学生の頃。沙耶香はよく学校を休んで、港に戻って来る船を眺めていた。



『うるさいな、秀ちゃんには関係ないでしょ』



 船から降りた秀一が沙耶香の後ろを通りかかり、くしゃっと髪をなでていく。

 その大きな手の感触が好きで、沙耶香は毎日この場所で待っていた。



『そんなに暇なら、俺が遊んでやろうか?』

『冗談でしょ?』

『冗談じゃねえって』



 秀一が沙耶香の前で笑う。十歳年上の秀一の笑顔を見ながら、沙耶香は見たこともない父親の顔を想像する。


 沙耶香には父親がいなかった。母は結婚せず、沙耶香のことを産んだからだ。


 生活に追われていた母は、沙耶香の面倒をろくに見ることもなく、現実逃避するかのように男たちと付き合った。


 学校から帰ると、母が知らない男と寝ている。そんな光景を何度も見てきた沙耶香は行き場もなく、いつも港から海を眺めていた。



私は誰からも必要とされない子



 そんな沙耶香を求めてくれたのが秀一だった。


 秀一の求めているものが、自分の身体だけだということは初めからわかっていた。けど、それでもいいと思っていた。






「……お腹、すいたな」



 背中を向けて服を着ている秀一に呟いてみた。



「たまにはご飯とか、食べに行きたい」

「馬鹿言うな。家帰って飯食ってろ」



 秀一が振り返って、制服のスカートを向かって投げつける。それを胸に抱きしめながら、沙耶香はぽつりと呟いた。



「そうだよね秀ちゃんには……真佑さん、いるもんね」



 秀一は何も答えない。



「ご飯を作って待っててくれる、真佑さんと颯汰くんがいるもんね」

「いい加減にしねぇと怒るぞ?」



 秀一が振り向いて沙耶香を睨んだ。



「……わかってる」



 掠れる声で呟く。どうしてだか涙が出そうだ。

 秀一と繋がって、一瞬だけの幸せを手にする。だけど、その後はそれまで以上に寂しくなる。


 するとそんな沙耶香の髪を、秀一がくしゃっとかきまぜた。



「いい子にしてろ。そしたら今度、飯おごってやる」

「ほんとに?」



 顔を上げて秀一を見る。秀一はふっと笑いかけ、いつものように上着を羽織ると、小屋から出て行った。



鶉親方 ( 2020/02/26(水) 23:06 )