Mayerling - 4
二十話
 街はすっかり夕日に包まれていた。史帆は私の背中を、まだあの切ない目で見つめているのだろうか。それとももう日向を抱いて、人ごみの中へ消えていっただろうか。私は少し考えて考えるのをやめた。


 商店街からは焼き鳥のいい匂いが漂ってくる。買い物帰りの主婦たちが店の前で立ち話をしている。仕事帰りのサラリーマンは足早に家に向かって歩いてゆく。


 けど、私は帰る場所を見失い立ち止まった。なんだか無性に寂しくなった。実家に帰れば父と母が温かい笑顔で私を迎えてくれるだろうが、今見たいのはその笑顔ではなかった。


 その時、車のクラクションが鳴り響き、私はぼんやりと車道を振り返った。目の前の横断歩道に赤い歩行者信号が点灯している。車道の向こうの信号の下には、退屈そうに信号待ちをしている人々の列。


 そしてその中に私は懐かしい姿を見つけていた。



「彰・・・」



 私は呟いたまま立ち尽くした。彰もじっと私のことを見つめていた。あの日と同じ空の色、風の匂い、青を待ちわびる彰の姿。私の頭にあの日の記憶がよみがえる。



「久美」



 彰の唇がそう動いた気がした。やがて信号が青に変わり、人々が横断歩道を歩き出す。彰もゆっくりと、まっすぐに私の元へ歩いてきた。



「久しぶり」



 私はそう言って笑っていた。彰は私の前で立ち止まり、ただ黙って私を見る。そしてそのまっすぐで苦笑いがちな視線が私にすべてを打ち明けていた。


 私が街を出て数ヵ月後、あの日と同じこの場所で、なくした記憶をやっと取り戻したことを。




「何? 買い物の帰り?」



 私はそんな彰の視線を振り切るように目を逸らし、その手に握られているビニール袋を覗き込む。


「ああ・・・うん。ビーフシチュー作ろうと思ってさ」

「そうだね。作ってあげなよ、史帆に」



 私の言葉に彰は黙って顔を上げた。



「今そこで会ったのよ、史帆と日向ちゃんに。風邪気味なんだってね、二人とも」



 彰は何も言わないまま、そっと私から目を逸らす。

 辺りは次第に薄暗くなり、オレンジ色の太陽が最後の力を振り絞るかのように輝いている。私はそんな夕日を浴びる彰の横顔を、じっと見つめて言った。



「でも私と会ったことは史帆に言わないでね。あの子すっごく心配性だから。・・・彰が私を思い出してよりを戻しちゃうんじゃないかって、きっと心配してると思う」



 私は笑ったが、彰は黙ったままだった。私はゆっくりと彰の横顔から視線を外すと小さな声で呟いた。



「史帆と日向ちゃんと、幸せにね」



 それが私の一番言いたかった言葉だった。私は人の幸せを壊す趣味はない。それだけ言ってかっこよくこの場を去ろうと思った。

 しかし、そんな私の腕を彰がしっかりと握り締めていた。



「お前はどうなんだよ?」



 私が黙って振り返る。



「お前は幸せなのか? 俺を忘れて幸せになったのか?」

「当たり前でしょ。いつまでもあんたのことなんか想ってないわよ」

「じゃ、新しい彼氏はできたのか?」

「そんなことあんたに関係ないじゃん!」

「関係あるよ! お前を忘れた俺だけ幸せになるなんて、おかしいだろ!?」



 私たちは道の真ん中で言い合っていた。

 そういえば昔、彰があの事故に会う前、私たちはよくこうやってケンカをしていたっけ。思いっきり怒鳴りあっているうちに、いつもケンカの原因が何だったのかわからなくなってきてしまう。それほど、他愛のない原因だったのだろう。



■筆者メッセージ
そろそろ佳境ですね



なのさん
流石にもうメンバーは出ませんよ。元からこの二人がメインですので。


また、お願いします。
鶉親方 ( 2020/03/05(木) 22:10 )