Mayerling - 3
十七話
 それから数ヶ月がたった真夏の午後、蝉時雨の公園で私は彰にばったり会った。


 私はお盆休みを持て余し、図書館で本を借りてきた帰りで、彰は史帆に会いに行く途中だった。



「・・・元気だった?」



 私は彰に言った。普通に目を見て話せる自分が少し不思議だった。



「うん。・・・久美は?」

「元気元気。この通り」



 私は同僚と行ったダイビングで焼けた肌を彰に見せ付けた。彰はそれを見て小さく笑った。



「史帆は元気? 付き合ってるんでしょ」



 私はそう言うと木陰のベンチに座った。彰も何も言わないまま、私の隣に腰をおろした。


 二人の頭の上で蝉がうるさいほど激しく鳴いている。



「史帆ちゃんも・・・元気だよ」



 彰はしばらく黙り込んだ後、小さく答えた。



「そう」



 私も微笑んで頷き返す。



「久美にはもう会えないって言ってる」

「何言ってんの。今度一緒に飲もうよ。3人で。前みたいに」



 私は笑ったが、彰は笑わなかった。ただじっと考え込むように遠くを見つめていた。



「俺・・・史帆ちゃんが好きなんだ」



 やがて彰がポツリと言った。



「久美のことすっかり忘れて、こんなこと虫がよすぎるけど・・・」

「ううん。そんなことないよ。それが今の彰の本当の気持ちなんだから」



 私はそう言って彰の顔を覗き込む。彰はそんな私の目から逃げる様に俯いた。



「でも・・・いつか久美のこと思い出すかも知れない。そしたら俺、史帆ちゃんのことをずっと好きでいられる自信がない。久美を傷つけて、史帆ちゃんと付き合って。・・・結局、二人を傷つける」



 彰のやるせないような声を聞いて、私は胸が痛くなった。



「彰」



 私は彰の手に自分の手を重ねた。



「人生に絶対って言葉はないんだよ。だから、これでいいのかどうかはわからない。これからまた彰も史帆も私も、どう変わっていくのかわからないよ。でも今は、少なくても今は、それでいいんだよ」

「久美・・・」



 彰がゆっくりと顔を上げ私を見た。私はそんな彰の手をしっかりと握りしめる。彰の手は震えていた。帰り道がわからない子供のように震えていた。



「大丈夫。私はこの運命を受け入れられる。だから彰も自分の思う様に生きて」



 彰は黙って私の手を握り返した。私はそのぬくもりを決して忘れないように肌で感じ取ったあと、そっとその手を離した。



「もう行きなよ。史帆が待ってるんでしょ」



 私はそう言って精一杯の笑顔を彰を見せた。彰の目から一筋の涙が頬を伝った。そして、その手が私の肩を抱き寄せたかと思うと、彰の唇は私の首筋に優しくキスをしていた。




ああ、彰は忘れていないんだ

私にいつもしてくれたキスを

彰の体は忘れていない

でもこれからこのキスは

すべて史帆のもの

彰はきっと史帆を抱きしめ

こうやってキスをするんだ





「じゃあね」



 私はそう言って立ち上がった。



「うん・・・。さよなら」



 彰が呟く。私は彰に軽く笑いかけ、人の疎らな公園を歩き出した。



 もう涙は出なかった。ただ胸の奥が熱かった。見上げると覆い茂る木々の隙間から真夏の空が見えた。




夏の間にこの街を出よう




 私は熱でうなされたようにぼんやりする頭でそんなことを考えていた。



鶉親方 ( 2020/02/20(木) 22:43 )