09
一つのテーブルに祐樹と朱里、玲奈、美音は向かい合って座っていた。前、南那と座ったのは隣の席だった。最近の事なのに祐樹は懐かしく感じていた
3人はみなみの事を知らなかった。みなみは自己紹介と共に自分がOGであることを教えると3人は目を丸くして驚く。そして背筋がピンと伸び、緊張し始めた。やはり杏奈から聞いた『総監督のみなみ』の伝説だけはチーム火鍋も知っていたようだ。
席に座りながら厨房で作業しているみなみを落ち着かない様子でチラチラと見ている。立場的に朱里達より上の杏奈ですら尊敬の眼差しで話してたのだから、彼女達には超大物に見えているのだろうか。
水が入ったグラスをお盆に乗せたみなみが厨房から出てきた途端、真ん中に座っていた朱里が勢いよく立ち上がる。
「あっ! ウ、ウチらがやります!」
その声とともに美音、玲奈も立ち上がった。
「いいんだよ。お前ら客なんだから黙って座っとけ」
「は、はい……すいません」
いつもは強気は態度を見せている3人が小さくなっている。その姿が祐樹には微笑ましかった。南那がこの店に来た時、彼女達のような緊張はしていなかった。今でもたまに連絡を取り合っているのだという。
みなみはお盆から4つのグラスを置いた。
「じゃ、私は裏で作業してっから。あんたらもその方が良いだろ」
そういうとみなみは厨房に戻っていった。また洗い物でもするのようだ。彼女達も偉大な先輩が目の前に居ては緊張して喋りにくいだろう。
厨房をちらっと横目で確認する。圧倒的なオーラで心が張りつめていたが、そのオーラの発信源となるみなみはこちらを見ずに作業をしているようだ。さすが噂通りの人だ。ウチらのことも気遣ってくれている。そう思った美音は喋り始めた。
「……先生さ。隠し事してるなら教えてほしいんだ」
もしかしたら思い違いなのかもしれない。ただ今は知りたくてたまらなかった。『考え過ぎですよ』例え祐樹からそう告げられても自分はもう満足出来ないかもしれない。
美音の澄んだ目がこちらを見ている。誤摩化すことももう出来ないだろう
「……本当は言いたくなかったんですけどね」
「やっぱり、浮気か?!」
咄嗟に反応したのは朱里だった。的を大きく外した発言に祐樹は思わず吹き出す。
「違いますよ。朱里さん、まず僕に恋人は居ませんから」
「あ、そっか……」
朱里は俯き頭を掻いた。祐樹は朱里が落ち着いたのを確認すると、3人の目を見ながら話し始めた。
「実は、来週の月曜日から矢場久根高校に行くことになったんです」
「……えっ……嘘だろ?」
数秒感の沈黙の後、美音が小さく声を出す。美音は徐々に頭の中がぐちゃぐちゃになって行くような気がしていた。
「先生、新任だろ? なんで今なんだよ、来年の4月……からとかならまだ分かるけどさ……しかも来週って」
チーム火鍋の中では冷静な玲奈でさえ取り乱している。祐樹にとってそこまで思ってくれているのは嬉しかった。だからこそ離れられなくなってしまいそうだった。
祐樹は転勤の理由を話した。朱里と玲奈は一言も漏らさない様にと真剣に聞いていたが、美音は頭がいっぱいなのか目が虚ろになっている。
「じゃ、じゃあ戻って来られるんだよな? そのあっちの先公が治るまでならさ」
向かい側の座席から身を乗り出して祐樹の顔を朱里は心配そうに見た。
「……分からないです。もしかしたらそのまま残ることになるかもしれません」
最悪だ。朱里は座席の背もたれにどさっと身体を預けると天を仰いだ。おそらく戻ってくる可能性の方が少しだが高いだろう。でも最悪なことばかり考えてしまう。こんな教師は中々居ない、そう思っていたのはやはり自分たちだけではなかったのだ。
色々、緊張することばかり続いてのどが乾いていた朱里はコップに手をかけた。みなみが持って来てくれたコップにはまだ手を付けてはいない。コップに付いていた水滴は全てテーブルに落ちたのか小さな水たまりが出来ていた。
水を口に含もうとした瞬間、隣からヒクッ、ヒクッという引き付けを起こしたような声が聞こえて来た。
「お、おいジセダイ?」
真実を聞かされ、驚いた表情をしてから一言も喋らずに俯いていた美音が身体を震わせ涙を落としている。
朱里と玲奈は顔を見合わせた。美音の泣いている姿を見るのは祐樹を含め初めてだった。
「こ、こらっジセダイ、泣くんじゃないっ。それでもチーム火鍋の一員か!」
「だって、だって、嫌だもん……」
一度溢れ出した涙は止まらなかった。祐樹が居なくなるなんて考えたくもない。
祐樹には美音が小さな子供に見えた。自分の為に涙まで流してくれるのか。自分にそんな価値は無い。申し訳ない思いでいっぱいだった。
「あらあら、泣いちゃったのか」
後ろから聞こえた声に祐樹が振り向くと、そこにはみなみが立っていた。
「ま、しょうがないよな。信頼している人間が居なくなるんだからさ」
腕を組んでじっと眺めるみなみ。泣いている美音の頭を朱里が動揺しながらも撫でている。祐樹はその姿を見て心がズキンと痛んだ。