15
「せっかく拭いたのに、また濡れるぞ」
杏奈の言葉にハッとした。頭上はどこまでも灰色の景色だ。小走りで杏奈のもとへ駆け寄る。傘に入ると再びゆっくり歩き出した。なにかの聞き間違えだろう。杏奈がそんなことを言うわけがない、空耳か。
「で、繋ぐのか繋がないのかどっちだ」
やはり空耳ではなかった。祐樹は心臓が高鳴る。
「いやあの、僕達は恋人じゃないですし……」
「別に恋人じゃなくても手は繋げるだろう。私もたまにマジックと繋いだりするぞ」
言いたいのはそういうことじゃない。いや、そういうことでもあるのだが。祐樹は後頭部を掻く。『下心』はどうしても生まれてくる。美音に加え、南那とも関係を持ってしまったが、2人とも何事も無かったかのように振る舞ってくれているのが祐樹には救いだった。ただ罪悪感が生煮えのような状態だった。本心では今すぐにでも杏奈の細くて華奢な指を絡めたい。それでもここは、例えこの先に身体を重ねるような展開があったとしても断ち切らねばならない。祐樹は自分の左手をじっと見ながら決心をする。
だがふっと顔を上げた祐樹は驚く。杏奈は祐樹の前に立っていた。
「どうせ貴様は手を繋ぎたいのだろう? ほら、握れ」
女王様のような言い方で杏奈は祐樹の前に右手を差し出した。その右手はとても魅力的に感じた。祐樹はじっと見ていた左手と何度も見比べた結果、その左手で杏奈の右手に触れると杏奈は素早い動きで指を絡め元の場所に戻っていった。
「……」
祐樹の決心はもろくも崩れさる。意思が弱い自分に嫌気がさした。それでもひんやりとして微かに雨で濡れている杏奈の手のひらは心地よかった。徐々に悦びの方が大きくなる。
「悪いな。男とこういうことをしてみたかったんだ」
手を繋いでも相変わらず無表情の杏奈。
「へぇ、したことなかったんですか」
「言ったろう。恋愛には興味が無いと」
「でも、入山さんってモテそうですけどね」
「マジックの方が男から好かれている。あいつは恋人も居るしな」
やはり生徒全員が生娘というわけでは無さそうだ。それが大して接点も無く、好感も持ってないゆりあで良かった。杏奈が該当していたら、ショックで一日寝込むところだった。ほかに該当してる生徒と言えば、20歳の由依くらいだろうか。
「ほう……、2人、といったところか」
杏奈は感心するような表情を浮かべていた。
周りに誰か居るのかと祐樹は見渡したが雨のせいで人は見当たらなかった。
「2人? 何の人数ですか?」
「貴様が手を出した生徒の数だ」
「……え!」
一瞬にして顔面蒼白になる。まさか、からかった言葉が偶然当たっただけだろう。祐樹は動揺を隠す。
「な、なにをからかってるんですか。やめてくださいよ」
「確かに、1人は途中で止めたらしいが、もう1人は最後までしたようだな」
杏奈は冷めた表情で淡々と語った。まるで人の心を全て読み取っているようだ。偶然じゃない。
「なんで人の心を読み取れるんだ。そんな顔をしているな」
「そ、そりゃそうですよ。入山さんは超能力者かなんかですか!」
祐樹はつい声が大きくなる。もはや全て見通されている気がした。
「私は人と手を繋げばそこから相手のことを読み取ることが出来る。気持ちや心の傷、思い出」
そうか、ここから人の心をスキャンしているのか。祐樹は杏奈と恋人繋ぎをしている手をじっと見つめた。
やはり安易に手を繋ぐもんじゃない。祐樹は撒き餌に引っかかった魚になったような思いだった。