06
†血の匂い…雑踏の喧騒…鳴り響くクラクション…サイレン…悲鳴…照りつける 陽射し…滴り落ちる汗…目眩がする、思考回路が停止する、目の前の一部分以外 の景色が白く輝き、他の次元へと消えていく。
心臓の鼓動が、口から鳴り響いているかの様で吐き気を催す。
目の前の出来 事から目を瞑りたいが、見開いた瞳は現実に釘付けのままである。
目の前に一部分だけ見える現実…
夏の陽射しに熱せられたアスファルト、そこに横たわる兄…優一郎…
脚は在らぬ方向へひしゃげ、お気に入りのスニーカーが片方見当たらない。
腕も軟体動物の様に芯を無くし‥だらり‥と地面に這っている。
先程まで私を軽くからかっていた口元からは、赤黒い液体を吐き出している。
耳からも液体は流れ出し、横たわる頭部の周りに‥ねっとり‥と溜まっていく 。
兄を滅茶苦茶に砕いた男が車から飛び出して、横たわる兄の横へ膝を付き、今 にも泣きそうな顔を覆う。
「嘘だろ…」
男の口から、弱々しく漏れる台詞を聞き、逆に現実だと思えてきた。
あれは…まだ霞が中学校に上がる前の事だ。 兄の優一郎が事故に遭った。
優一郎は成績優秀で、人格的にも年齢性別問わず人を惹きつける男だった。
容姿は精悍で、弱さの欠片も見せない強さを持っていた。
もちろん両親からの 信頼と期待も大きく、溺愛に近い愛情を注がれていた。
特に父親は兄に対して特別視をして育てていた。
日に日に膨張し肥大してい く父の経営する企業の数々。
その跡取りとしての教育に、惜しみなく労力と時間と資金を使い、若くして二 、三の小企業の株操作を任せるぐらいに育てていた。
当時の霞は、それを見て 嫉妬を覚える事もあった。 しかし、霞に対する兄、優一郎の優しさや懐の広さ 、全てに親しみと憧れを抱いていた。
その兄が、事故の後遺症で脳に障害を残し、四肢の麻痺と言語障害、更に視神 経にも異常を伴った。
その日から両親の態度は一変し、父は苛立ちを隠す事無く誰彼構わずに当たり 散らし、霞に対しても、あからさまに女であるとの卑下の目で見る様になった。 母親の変貌は当初、霞には理解しがたい部分があったが、数年してから母親と 兄の関係を自然と受け入れた。 思えば母親の兄への態度は溺愛を越え、父親の 居ない日は一緒に風呂へも入り、部屋には遅くまで居る事も多々あった。 幼い霞が、事の真実を理解するのに時間を要したのは無理も無い。 同じ様に 父親が霞を可愛がり、抱き締め、全身をくまなく洗い、撫で回し、女性へと育て たのである。
いつしか、その行為が兄に変わる後継者作りに変更されたのは、母親の若い男 との情事に父が気づき、兄との関係の延長であると分かってからだ。
父は母を見捨て、霞に子供を産ませようと、毎晩背徳の行為に勤しんだ。 産 まれた子供は家の敷地内で育て、母親が産んだ事にするのは造作も無い。
しかし、一年余りを要しても、霞の体内に変化は無く、父に連れられた病院に て、生まれながらに子宮に異常をきたしていた事が判明する。
父が妹に目を付け、霞に生き地獄を見せるまで、数日と掛からなかった。
捻曲がった父親の性的趣向は加速し、霞に異常な行為を強要し、その光景に興 奮を見いだし、弱った性的機能を奮い立たせ、妹を蹂躙する様になった。
…私の役目、女として欠陥のある私に似合っているかも‥ただ…捨てられる時期 は迫っている…
閉じたカーテンの合わせ目を左右に広げ、義務を果たすべく中へと足を踏み入 れた。
背後でカーテンの合わさる衣擦れが聞こえ、今夜も逃げなかった自分を呪う。
仕切りの中央にはベッドがあり、廃人の様に横たわる兄。
鼻や口には数本の チューブが射され、腕には点滴の針等が数本付けられている。
その管の先には 数々の医療器具があり、ベッドの枕元を囲んでいる。
兄が死んではいない証拠に、心電図の波が一定に上下を繰り返す。
…今夜も生きている…お兄ちゃんは辛くないの?…生きたいの?…
…私は……