本編
04
†どのくらい泣いたのだろうか? 泣き疲れてそのまま机に突っ伏して寝ていた らしい。 その眠りを妨げるノックに顔を上げ、頬に張り付く髪を撫で払う。
上半身を起こし、座ったままドア向こうの来客に返事をする。
「…はい」

 気の乗らない返事に、ドア越しに苛ついた声が聞こえる。

「どうした霞?遅いじゃないか、早く用意して来なさい。待ってるからな。」

霞…私の名前だ。舞子はカメラ向けの名前。 別に名前を変える必要は無いの だが、自分の名前が嫌いだから…霞…いまにも消えそうで、実体の無い霧みたい な存在…。

…私の為にある様な名前、合ってるから嫌…
そして私に名前を付けた男、ドア越しに私を呼んだのがそうだ……父親…私を この部屋に作り出した男。
私に必要な事を教えてくれた男。 私の体温を奪い去り、私を形にした男。

「みんな、おやすみ。また明日ね。」

素っ気無く別れを告げ、机にあるリモコンのスイッチをOFFにする。 力を 奪われた機械が、仮死状態になるのを肌で感じる。
一時の解放感が心地良く、椅子から立ち上がり伸びをする。
しかし、完全な自分だけの時間は私に与えられていない。 次の使命に向かわ なければならない。 使命…使命とでも言わなければ、気が狂ってもおかしくは 無いだろう。 それは……考えるのを止めて、重い体を急かす。
着ていたラフな上下を脱ぎ捨て、下着の上から絹のネグリジェを被る。 純白 の絹が‥さらっ‥と膝元までを滑らかに覆う。 随分前に父親から与えて貰い、 初めて袖を通した時はまるで、天使の白く柔らかな翼が生えてくる感じがして、 満面の笑みで父親に抱きついたのを覚えている。 まだ私が中学に上がる前だっ たはずだ。
今では古く汚れてしまった私の形を、ただ隠すだけの布切れにしか思えない。

…どんなに隠しても所詮人形…温もりある人間にはなれない…
部屋のドアを開け、突き当たりにある部屋へと歩を進める。
途中、三つ違いの妹の部屋の前で一旦止まり、部屋の扉を軽く叩く。 中から の応答は無く、先に行っているが分かる。 妹は私と違い、必要とされている。 血の流れる一人の女性として、存在を認めてもらえている。 それが羨ましくも あり、疎ましくもある。
…私がこんなだから…
たまに、形だけの存在になれて良かったとも思うが、私にはどちらなのか答え が出せない…一生。

突き当たりの部屋の前まで辿り着き、ドアノブへ手を掛ける。
と、中から妹の哀願する声が漏れる。

…駄目‥ぁ‥もぅ‥ぅん‥駄目…です……
私が遅れた為に、いつも以上に耐える事になったのだろう。 嫉妬からか、も う少し妹を苦しめたい気持ちを抑え、ゆっくりとドアノブを回す。
開いていく扉の隙間から、腐敗臭と汚物の刺激臭が、消毒液の鋭い臭いと混じ って漏れる。 同時に、妹の14歳とは思えない悦に入った甘い吐息と嗚咽が廊下 に響く。

ここは二つ違いの兄の部屋である。 私は条件反射的に感情を寸断してから、 生き地獄へと足を踏み入れた。

迎夢 ( 2013/09/22(日) 22:34 )