01
†見上げた空は薄暗く、切れ間の無い雲に覆われている。
…私の心を映す、真実の鏡みたい…
ここのところ気温も急激に下がり、コートを手放せない季節になった。
幅の無い肩を更に狭め、冷たい風に抵抗しながら、飽きのきている通学路を自宅 へと歩を進める。人通りの多い商店街を抜けながら、無数に擦れ違う老若男女を ‥ふわふわ‥と眺める…
…みんな何を想い、何の為に生きてるんだろ…
家路を急ぐ皆の顔には、どう見ても生き甲斐や張りが見当たらない。 それこそ 空の雲の様に薄暗く、「顔」がぼやけてはっきりしない。
…死人の行列…ただ歩いているだけ…一生歩き続けるだけ…後は死ぬだけ…
と、突然自転車の甲高いブレーキ音が鳴り響き、真横をすり抜けた。 夢想に耽 る私を避けきれず、肩から下げていた学校指定鞄を引っかけ、地面へ叩きつけて 行った。
ぐったりとした紺の鞄を地面から拾い上げ、汚れを払い落とす。
…死ね…
無言で走り去る自転車を、狂気の目で見つめる。 昔から母親をも黙らせる目だ 。
母はこの視線で見られると、怯えて私から遠ざかる。身も心も。
でも母以外には見せた事の無い目。幼い頃から、いけない事だと気が付いてい た。
それに自分で見ても嫌悪感で吐き気がする。まるで眼球をくり貫き、硝子で出来 た玉をはめ込んだだけの様な瞳。 温度も無く、意志も無く、ただ刺す様な冷た い光を放つだけ。
背後から肩を叩かれ、瞳に温もりが戻る。振り返った視界には、明らかに軽薄 で、表面だけ着飾った男が立っている。
薄笑いを浮かべたいやらしい口から軽い口調で誘いの言葉が流れ出る。 テンポ はいいが、耳障りな声色だ。
肉の固まりに、有名で高いだけの服を着せた様な男と、二度と視線を合わせずに その場を離れる。
…張りぼて…中には何が入ってるんだろ…動物園にも入れない雄…
意外とあっさり引き下がった男の視線を振り払い、自宅のある住宅街へ辿り着 く。
うねうねと入り組んだ道を数本曲がり、他の住宅よりも一際高く広い家の前に止 まる。
もう二軒家が建ちそうな庭付きの家を、二メートルは越すだろう灰色の壁で囲っ ている。いつ見ても嫌いだ。
友人や近所の人は「凄い」「素敵」と囃すが、私から見たら刑務所だ。
広い門脇にある通用口から中へと入る。暗証番号は私の誕生日。もう17年前から 変わっていない。
中へ入ると広々とした庭があり、鬱蒼とした木々が家を囲む塀を内側からは感じ させない。
右手の奥には縦に延びた長方形の建物がある。 打ちっ放しコンクリートの母屋 。
そこには両親しか住んでいない。
庭中央の池を挟んだ反対側には二階建ての離れがあり、兄・私・妹の三人の部屋 がある。 離れには風呂・トイレが完備され、食事は各自の部屋へお手伝いが運 んでくる。
母屋へ行く事は滅多に無く、学校から帰っても自分の部屋へ直行する。
…放し飼い?それとも軟禁?…なぜ私は毎日ここへ戻るんだろ…戻る必要性は? 自ら戻りたいと?…
通用門から重くなっている足を、無理矢理引きずる様に部屋へと運ぶ。
†自分の部屋の前で一旦止まり、肩で大きく息をしてからドアを開ける。
…面倒臭いな…
胸の中の雲が益々黒くなっていく。
その気持ちとは裏腹に背筋を伸ばし、肩まで掛かる黒髪を撫でつけながら‥すっ ‥と部屋へ入る。
後ろ手にドアを閉め、微かに機械音をたてている天井の角を見上げる。
そこへ 向かって飛びきりの笑顔を捻り出し、片手を背中へ回し、もう片手で手を振る。
…キモ…
「みんなぁただいまっ。元気にしてた?舞子はちょっと疲れたかな、体育で走ら されたの。舞子足遅いから…運動出来る人って凄いよねっ」
…毎回毎回バカみたい、こんな適当な話題…どんな奴がどんな顔して見てんのか な…
自分の姿を24時間休み無く不特定多数に配信する固定カメラ、その先に居るであ ろう男達を想像し、更に気分が悪くなる。
頭の中に浮かぶのは、不潔で怠惰な雄ばかり。 充血した目でパソコンの画面に かぶりつき、私の爪先から頭の天辺までを舐め回す。時々彼らの舌先を感じる気 がする…いや、指先かもしれない。
「じゃ着替えるから待っててね。覗いちゃダメだからねっ」
制服のスカートをわざと翻し、下着が見えたかも…程度のサービスをして、隣の 寝室へ入りドアを閉める。
カーテンを閉じたままの薄暗い部屋の中で、先程と同じ機械音が唸っている。
…ふぅ…こっちは手抜き出来ないんだよなぁ…
勉強部屋の顧客と、寝室の顧客は別になっている。 当然寝室が上客になり、気 も使う。 設定自体がカメラを知らない事になっていて、完全なる盗撮の世界を 創り出さなければならない。
軽く溜息をつき、着ていた紺のカーディガンを脱ぎ、ベッドの上へ無造作に投 げ捨てる。 あくまでも普段の私を演じなければならない。
…今日はどう見せよっかな…昨日はルーズからだし…んー考えるの面倒…
もう一度溜息をつき、ベッドの上に身を投げ出す。 ‥ばふっ‥ 俯せに大の字 になり、顔を枕へ埋める。
近くに人が居ても聞こえないぐらいの声が、枕で隠りながら小さく漏れる。
‥人形…人形…そう、私は体温がある人形…ただそれだけ…体温があるだけ…
自然と顔が綻んでいき、気分が落ち着いてくる。 本当の自分になれた感じ。い や…楽な自分になれたと言った方がいい。
全身に体温が戻り、心の暗雲から一筋の光が射してきた気がする。……気がす る。
ゆっくりと仰向けになり、無機質なコンクリートの天井を見つめ、細く長い四 肢を伸ばして、寝たまま背伸びをする。 先程の寝返りで乱れたスカートから、 微かに純白の下着が覗いている。
正面がレースになっていて、部屋の明かりがついていれば薄く恥毛が透けるだ ろう。
カメラの先の視線が一点に集中し、次の行動を固唾を飲んで待っているのが感 じられる。 溢れんばかりの期待を受けて、自分の躰に生命力が増したを感じる 。
…ぁ‥この感じ…嫌いじゃない…
投げ出していた両足を引き寄せ、膝を立てる。 太股にまとわりついていたスカ ートが‥さらっ‥と落ち、純白の下着が露わになる。 ベッドの足下側に備え付 けてあるカメラからは、真っ白な布が縦に股間を覆う映像を捕らえているはず。 薄暗い部屋のせいで、何人の雄が画面に顔を近づけているのだろう。
…何十…何百…何千…もっと?…でも私の生活に価値がある訳じゃない…私の形 に価値があるんだ…だから古くなったら捨てられる…ゴミ箱へ……