01
念願であった玲奈との逢瀬が叶った隆治は授業には顔を出していたものの、教室に滞在している時間が少なくなる。
そのため敦子やチームホルモンのメンバーと会話を行う機会は激減していたが、玲奈にひきずり回されたことを知っていた彼女らは隆治へとその後ことを追求しようとはしなかった。
とある昼休み。
他人と関わることを避けるように廊下を歩いていた隆治の目の前へと見慣れない人物が現れる。
髪型や髪色が奇抜な生徒は学園内に多々居るが、彼女は纏っている雰囲気が他とは比較にならなかった。
関わり合いになるのを避けるべく、なるべく視界に入れないままで脇を通り過ぎようとする。
それが悪手だった。
直視してなかったが故に、通り過ぎる直前でその相手が赤いスカジャンを着用していることに気付く。
隆治が反応するよりも先に、トリゴヤの手が彼の頭上へと置かれた。
「見えた!」
何かを読み取るように目を閉じていた彼女はやがて嬉々として告げながら目を開ける。
隆治は置かれた腕を振り払うが、トリゴヤは彼の胸倉を掴み自身の近くへと引き寄せると顔を隆治の耳元へと近づけた。
「ち ち お や」
隆治の耳元で、トリゴヤはくすりと笑みを浮かべて囁く。
その瞬間隆治の視界は真っ白になり、脳内で幼い頃の記憶が再生された。
見覚えのある窓のない真っ白な部屋。
そこに小学生程度の年齢であった隆治はいた。
その目の前に居るガラの悪そうな男。
男が地面を強く蹴って隆治の方へと向かうと、それを見た隆治も対応すべく構えを取った。
「刻命一撃……ほおず……っ!」
小さく呟き自身も前へと出ようとするが、片足に重心をかけた段階で男の脚が容赦なく隆治の腹部目掛けて振り抜かれる。
大人と子供の体格差がある中での衝撃が直撃したにも関わらず、片膝をつき咳き込むだけで隆治は男からの一撃を受け止めていた。
やがて腹部を押さえながらも隆治がふらふらと立ち上がると、男はその姿をつまらなさそうに一瞥してから舌打ちを1つする。
「だから何度言わせんだよ。鬼灯ならタイミングが遅ぇ。今みたいなときは梔子って言ってんだろ」
強い言葉で飛んでくる指摘に隆治は歯噛みすると、諦めずに床を蹴って男へと向かう。
しかしながら男は軸をずらしそれを簡単に躱すと、隆治の背中へと軽く手を置いて後方に抜けるはずだった勢いを床の方へと向ける。
先程の蹴りを受けたことにより体力を消耗していた隆治は抵抗することも叶わず、そのまま床へと強く叩きつけられた。
「あんたの拳は何のためにある」
「ああ?説教垂れるってか。いい度胸じゃねぇか」
悔しさから拳を握る隆治は、なんとか立ち上がろうとしながら相手へと問いを投げかける。
それを聞いた男はにやりと笑うと、目下で再び起きようとしている背中を強く踏みつけた。
僅かに床から離れていた隆治の身体は再び床に伏す。
「弱ぇ奴を蹴散らすためだ。テメェにもその血が流れてんだろうが」
「じゃあ、強い奴が現れたら終わりだね」
隆治への問いに徐々に苛立ちを募らせながらも答えた男はようやく彼の背中に置いていた足を離した。
自身への荷重が無くなったことを感じ取り、ようやく立ち上がった隆治は相手の言葉を嘲るように反論する。
この行き過ぎた特訓は日常的に行われているのか治りきっていない傷跡が身体の至る所に見られるものの、隆治の心が折れることは無かった。
「強い奴は現れねぇ。テメェ自身がそいつを弱い奴にすんだよ。こんな奴に刻命一撃教えたって仕方ねぇよ」
相手の命へと刻み込む一撃を放つことを極意とする奥義、刻命一撃(こくめいいちげき)。
現在で唯一の使い手となっているのが隆治と対峙していた男、彼の父親でもある橘 興里(たちばな おきさと)であった。
とある目的から興里は幼少期の隆治へと刻命一撃を伝えようとしていたが、今回の発言に呆れると隆治に背中を向ける。
「刻命一撃・梔子……少し頭冷やしとけ」
隆治が油断することを見越して、咄嗟に振り向いた興里は彼の腹部に拳を密着させる。
刻命一撃・梔子(クチナシ)
興里が最も使用し、最も得意とする寸勁による一撃。
隆治の使用しているものや通常のものと異なり、彼の研ぎ澄まされた一撃はどんな状況からでも全体重を乗せることができ、その上威力の減衰が極めて低いため鍛え上げられた肉体やプロテクター越しに心臓を狙うことで致命傷を与えることができた。
そんな一撃を受けた隆治は背中から床へと倒れていく。
床に身体がぶつかる瞬間現実に引き戻された隆治は、自身に向けて不適な笑みを浮かべているトリゴヤと目が合った。
「なかなか面白い能力だね。けどそんなロクデナシが父親なのは理解してるつもりだよ!」
我に返った隆治は相手が今までに遭遇したどの四天王よりも凶悪な能力を所持していると判断し、距離を取ってから調査のために時計を向ける。
彼の行動を一切気にしないトリゴヤは時計を操作している隙を突いて一気に距離を詰めると改めて顔を耳元に近づけた。
「は は お や」
時計の盤面に表示されたデータへと目を向ける前に隆治は彼女を突き飛ばす。
しかし囁きを受けた隆治の脳内には再び過去の記憶が強制的に呼び起こされた。
今度広がっていた光景は、自身が以前過ごしていた実家であった。
そして彼の目の前に居たのは、隆治のことを睨みつけている彼の母親。
隆治は母親のことか苦手であった。
以前は優しい母親であったが、とある時期をきっかけに夫である興里の顔色をうかがい隆治を怒鳴ることが増える。
この日はそうしたストレスに悩まされている彼女の限界を迎えた日だった。
「どうして貴方は分からないの、分かってくれないの!」
普段手をあげることがない母親であったが、何かがぷつりと切れた彼女は隆治の頬を張ろうとする。
だがこの日に限界を迎えたのは彼の母親だけでは無かった。
「刻命一撃・梔子」
彼女が隙だらけであると無意識に判断した隆治の身体は自然と動く。
母親である彼女に向けて無駄の無い動きで寸勁を放つと、意識ここにあらずといった様子の隆治は深く息を吐いた。
突然の出来事に彼女がうずくまっていると、騒ぎを聞きつけた興里がその場に訪れる。
動けなくなっているの妻と心ここにあらずの様子で呆然と立ち尽くしている息子。
そんな異様な光景であったにも関わらず、興里はどこか嬉しそうに口角を上げた。
「やっと無意識に動けるようになったってか、時間がかかったもんだなぁ。おい、ガキの一撃なんぞ痛くねぇだろ」
興里が声をかけるとようやく動けるようになった彼女は何が起こったかを思い出すように辺りを見渡していたが、やがて隆治を視野に捉えると怯えるような声を上げて後退りをする。
そんな彼女の悲鳴に似たような声も届いていないのか、隆治はただ恐怖に駆られている母親を何の感情もなく眺めていた。
「お前、何しやがった?テメェの能力ならこんな反応にはならねぇだろうが」
暫くは望む通りの成長を見せた隆治を見て悦に浸っていた興里であったが、やがて違和感を抱く。
隆治が能力として持っているのは、攻撃対象に愛着を抱かせる能力であった。
しかし現在目の前では隆治から加害を受けたであろう妻が彼に恐怖を抱いている。
あり得る答えはただ1つだけであった。
「お前まさか“反転”までさせやがったか」
アルカナ能力の反転。
未だ詳細は判明していないものの、能力の持つ一部の人間に発生する特例的な現象であった。
研究所へと連れていくべく、興里は無防備に立っている隆治を失神させる。
そこで意識は再び現実世界へと戻された。
相変わらず目の前にはトリゴヤが居るものの、取り乱す様子を一切見せていない隆治が想定外だったのか今度は彼女が距離を取ろうと後退りする。
「それも、受け入れてるんだよっ!」
悪質である能力を立て続けに受けたことにより気が立っている隆治は、彼女に直接的な戦闘力が無いと確信した上で怒りに任せて拳を振り上げた。
トリゴヤは臆することなく相手が自らへと怒りをぶつけようとしてくる様子を見つめていたが、振り下ろすことを躊躇した隆治はやがて諦めたように力なく拳を下ろす。
「なーんだ、つまんない」
隆治から興味を無くしたようにそう言い残すと、トリゴヤは指示を受けている次の標的に向かって足を進めていった。
彼女が居なくなり安堵するものの、急に強い頭痛に襲われた隆治は壁に寄りかかりなんとかこの場から離れようとする。
しかし数歩前へと歩いたところで足に力が入らなくなると、やがて意識を失いその場へと倒れ込んだ。