長濱ねる登場♪有名エロゲーを実写ドラマ化しちゃいました♪ A
第二章 予感
触手の魂が逃げ込んだ部屋に突入した陽人とねるは、すぐに攻撃できるように身構えたが……。
「空っぽだ……」
ねるの言うとおり、空っぽであった。病室だったらしく、ボロボロになったシーツが敷かれているベッドがいくつか置かれている部屋。鼻先に、カビと埃の匂いが漂う。数枚のガラスが割れており、そこからひんやりとした風が吹き込んできている。
「おかしいな……」
陽人は周囲を見回す。妖魔の分身である触手の塊は、確かにこの病室に入ったはずだ。
「一度さっきの場所に戻るか」
ねるを促し、陽人は病室から出ようとした……その時だった。バアンッ!と大きな音を立てて、目の前のドアが勝手に閉まった。突然のことに立ちすくむ陽人とねる。背後では半開きになっていた窓がバタンバタンッ!と音を立てて一斉に閉まった。
「しまった!」
陽人は舌打ちする。罠にはめられたと、すぐに感じた。
「陽人っ!」
ねるが窓の方を見て叫ぶ。威嚇の音を立てながら、いつの間にか窓一面に触手の群れが這い上がりはじめていた。
「誘い込まれたっ!?」
陽人が気付いた時には、もう遅かった。轟音を立てて、何本もの触手が天井や床を突き破って生えてきた。何本もの触手が勢いよく陽人とねるに迫る。二人は必死で迫ってくる触手を斬り伏せ、薙ぎ倒す。
「ひゃあああっ!?」
「ねるっ!うわっ!」
うねりながら伸びてきた触手によって、ねると陽人はとうとう手足を絡め取られてしまった。
「くそっ!離せっ!」
「この、はーなーせーっ!許さいないよっ、いま退治してやるんだからっ!」
触手によって宙に浮かされた状態で、陽人とねるはもがく。だが、敵わない。無駄に終わってしまう。
「ぐああああっ!」
「きゃあああっ!」
胴に巻き付いた触手が、二人の体を引き千切ろうとするかのように締まってくる。陽人はミシミシと背中の骨が軋む音を聞いた。陽人の視界は霞んでいく。そんな中、遠くからズルッズルッと気持ちの悪い音が近づいてくるのが聞こえた。
「んく、なに……?」
苦しげに息をしながら、ねるは顔を上げた。閉ざされていたドアが、軋んだ音を立てて開く。
「グジュルルルゥウウウゥ」
不気味な声を上げながら、何かが病室に入ってくる。ソレを見た陽人とねるは顔をひきつらせた。
「心臓だ……」
ビチャビチャと体液を跳ね飛ばしながら病室に入ってきたのは、ねると言うとおり心臓であった。正確には、人の二倍ほどもある、心臓のような形をした肉塊状の妖魔だ。ビクビクと脈動している様は、まさに心臓そのものであった。
「こいつが本体か……っ!」
霞む視界の中、陽人は五鈷杵から妖力を放って、妖魔を攻撃する。しかしその攻撃は跳ね飛ばされ、僅かに焦げ臭い匂いを漂わせるだけに終わってしまう。
「このおっ!」
ねるはヤケクソ気味に、自分を拘束している触手にガブリ!と噛み付いた。その瞬間、
「きゃあっ!」
「ねる!」
ねるの体が振り回され、壁に叩き付けられた。
「この……ねるに何しやがるっ!」
陽人は何度もありったけの妖力を込めて攻撃を放つ。しかし本体である心臓のような妖魔に届く前に、何本もカーテンのように折り重なる触手に阻まれて、どうしても攻撃は当たらない。ビチャビチャと音を立てて這い寄る妖魔。その腹あたりにある口のようなものがニチャアッと開いて、「グブブブ」と陽人たちを小馬鹿にするような声を漏らした。
(笑っていやがる!)
そう思った陽人の頭の奥がカーッと熱くなった。
「ちくしょうっ!」
全力で攻撃を放とうとした陽人だが、思いとどまる。狭い病室だ。もし爆発したら、ねるにまで被害が及んでしまう。
「きゃああっ!」
ねるの悲鳴が響く。陽人も「ぐあああっ!」と呻く。触手の締め付けが強くなったのだ。
骨と筋肉がおかしな具合にたわみはじめ、完全に呼吸が止まってしまう。ここまでか、と思った時だった。
「グオオオオオオッ!」
と心臓のような妖魔が悲鳴を上げた。次いで、陽人とねるを拘束している触手がスパスパと切り落とされていった。何が起きたのか……陽人の視界に入るのは、一つの人影。
「闇へ帰れ……」
人影……二本の刀を構えている、瑞穂であった。二本の刀が閃き、妖魔を斬り裂く。
「グルアアアアアーッ!」
叫びと共に、血と体液がほとばしる。
「大事ないか?」
二刀を鞘に収めながら、瑞穂は陽人たちに尋ねたのであった。
「はあ……」
会社への帰り道で、陽人とねるは大きな溜め息をついて肩を落とす。
「どうされた?やはり、どこか怪我でもされたか?」
そんな二人に、瑞穂が心配そうに聞く。
「だってぇ……」
「なあ……」
ねると陽人は顔を見合わせ、また溜め息をついて肩を落とした。瑞穂は不思議そうに首を傾げる。二人が何で肩を落としているのか分からないようだ。
「茜に大見得きって出たけど……瑞穂ちゃんに助けられるなんてカッコ悪い……」
ねるの言葉を聞いて、瑞穂は納得したように「ふむ」と頷いた。
「相変わらず、瑞穂は強いな」
そう陽人が言うと瑞穂は、
「私は鬼だからな」
ぽつりとそう返した。瑞穂は酒呑童子と人間の間に生まれた《鬼童丸》という鬼の子孫だ。
だが、そのことをどう思っているのか……瑞穂は自分のことを、自分の種のことをあまり話したがらなかった。
「まあ、怪我がなければそれでよいではないか」
「そりゃ、でも、だって……」
肩を落とし続けているねるに、瑞穂は小さく笑いかける。
「茜か?」
その名を出され、ねるは言葉に詰まった。
「できれば、あまり茜を悪く思わないでほしい」
「そりゃ、分かってるよ……なあ、ねる」
「う、うん」
陽人の言葉に、ねるは頷く。
「わたしたち、別にそんなこと思ってないよぅ。でもさ……」
「うむ……あれで色々不器用なのだ、茜は。先ほどなども、二人の帰りが遅いとしつこかったのは茜でな」
瑞穂のその言葉に陽人とねるは「えっ!?」と驚く。
「美波殿は所用で外出されていてな。普段なら真っ先に美波殿がそう言ってくれるのであろうが……心配なら見に行ってはどうだと茜に言うと、心配などしていないとムキになるので私が代わりに来た。来てよかった」
「じゃあじゃあ、今日助かったの、茜のおかげなんだね……はぅ……」
ねるはしょんぼりしたように項垂れてしまう。
「カッコ悪いけど、茜に感謝しなくちゃな……」
陽人がそう言うと、ねるは「うん」と頷いた。
「ただいまー……」
陽人とねるは会社に戻ると、元気のない声で言った。特に自信満々で茜に啖呵を切ったねるは陽人より元気がない。
「あ、おかえりなさい!」
最初に二人を出迎えたのは、美波だった。
「大丈夫!?危ない目に遭わなかった!?」
「あーら随分遅かったんですのね。それで?任された仕事一つ満足にこなせないコダヌキさんと能無しさんは今まで何をしていらしたのかしら?」
自分専用の椅子にふんぞり返り、傍らにウルファートを従えている茜が皮肉たっぷりに言う。胸を抉るような彼女の嫌みに対して、瑞穂の話を聞いた後では陽人もねるも何も言えない。
「その様子じゃ、瑞穂さんが行って正解だったみたいね」
執務机に着いている真帆が言う。用事を終え、会社に戻ってきたらしい。
「さ、首尾を聞かせてちょうだい?」
真帆に促され、陽人とねるは仕方なくことの一部始終を報告した。それを聞き終えた茜は、
「ほおおおおおーら、ご覧なさいっ!やっぱり、あなた方だけじゃあてんでダメじゃありませんのっ!ほーほほほほほっ!」
と椅子の上でそっくり返って爆笑する。
「あー、その茜……」
陽人は言いにくそうに茜に声をかけた。
「あら、何ですの?」
ウルファートに紅茶を注がせている茜にねるは、
「きょ、今日は……ありがと……」
と礼を述べた。
「助かったし」
陽人もボソボソと礼を言う。
途端に、茜の顔が微かに赤くなった。
「な、何を仰っているのか、い、意味が分かりませんわっ!」
「茜様、紅茶が零れています」
「み、瑞穂っ!あなた、また何か余計なことを言いましたのっ!?」
ティーカップを思いっきり傾け、ダバダバと紅茶を零しながら茜は慌てて瑞穂に顔を向けた。
「む?いや、私は何も。ただ茜がえらく心配していたと言っただねだけだ」
「そ、それが余計なっ……」
「ああ、茜様がひどくお二人の後身を案じられますもので、私がお供をいたしますと申し上げたのですが、それはイヤだと断固としておっしゃ……」
余計なことを言おうとするウルファート。茜は咄嗟に、
「ウルファートっ、ハウスっ!」
金切り声を上げてウルファートを指輪の中に収納した。
「とにかく、ありがとうってことだよ。ほんと、助かった」
陽人は頭を掻きながら言う。
「ありがと……」
ねるはもう一度礼を述べる。
「べ、べべ、別にわたくし、な、何も言ってませんわよっ!な、な、何を仰ってるのかしら!」
茜の様子に、美波は笑いを噛み殺していた。真帆たちも、何だか微笑ましいものを見る目でニコニコ……いや、ニヤニヤしていた。
「まあ、何事もなくてよかったよ。瑞穂くんもお疲れ様」
一成の言葉に、瑞穂は短く「いや」と答える。それでともかく、この場は収まった。
「それにしても……」
一成は何かを気にしているような口調で言う。
「最近はこんな細々とした仕事が多くなったねえ」
「そう言えば……」
と、美波。
「前まではこんな立て続けに仕事なんて、ほとんどなかったですよね」
「あー、そうだっけ」
と陽人はぼんやりと頷き、
「あ、そうだ、仕事って言えば」
思い出したように言う。
「真帆さん、今日はどこ行ってたんだよ?学校、休んでただろ」
「ええ。そのことにも関係しているんだけど」
陽人の言葉に、真帆は小さく首を傾げる。
「最近の細かな仕事……何かおかしいような気がするのよね」
「おかしなって……なに?」
陽人が問うと真帆は、
「それは……」
と言葉を濁した。
「まあ、もう少し調べてみないことにはね。コマ!」
「なんじゃい?」
ソファに座っている若菜の膝の上で短い尻尾を振っていたコマが、真帆に顔を向ける。
「そんなわけだから、行ってきてちょうだい」
「ワシにそんな使いっ走りをさせるつもりかっ!」
不満を口にするコマ。
「いいから、さっさと行きなさい!」
真帆は若菜の膝の上のコマの首を掴むと、事務所の窓を開けて放り投げた。
「わふううーんっ!」
というコマの鳴き声は、どんどん遠くになっていった。
二日連続で失敗した陽人とねるは項垂れながら帰路に着いた。
「私も一緒に行けばよかった」
二人の後ろを歩いている美波が言う。
「そんな危険なことになっていたなんて……」
「美波は悪くないよ。わたしたちが油断してたのが悪いのっ」
ねるが一緒になって気分を沈めている美波に言う。
「でも、もしかしたら、まだこわなこと続くかも」
美波の言葉にねるは、「こんなことって?」と首を傾げる。
「真帆先生が言ってたでしょ。最近細々とした仕事が増えているって。なんだか怖いなあ。大変なことが起こってたらどうしよう」
「まーた弱気になっておるのじゃ!」
ポンッと葵が姿を現す。
「美波にはわらわがついておるではないか!」
「わわ、葵!だから勝手に出てきちゃダメだってばっ!」
ねるは美波と葵を見て「あははっ」と笑う。
「そーだよ、美波。美波には葵がいるからへーき!わたしだって、もっともっと鍛えて頑張っちゃうんだから!」
「う、うん」
ねるの言葉に、美波は控えめに笑って頷いた。
(とはいえ、真帆さんの調査が終わるまでは気が抜けないな。俺だって、もうあんな失敗しないように)
そう思った時だった。
「っ!?」
陽人は突然、足を止めた。
「陽人、どうしたの?」
「陽人くん?」
「どうしたんじゃ、陽人?」
ねる、美波、葵が聞いてくる。陽人はどこからか、『オォォォオオオンッ……』という咆哮を耳にしたような気がした。それは地の底から這い上がってくるような不気味な、臓腑が縮み上がってしまうような声だ。
「何だ?」
陽人はその声をもっと聞こうと、耳を澄ませる。だが、
「あれ……?」
一瞬後には、もうそんな声はまるで聞こえなくなっていた。
「陽人くん!やっぱりどこか怪我してるの!?」
美波が心配そうに聞いてくる。
「あ、い、いや……何でもない。気のせいだったみたいだ」
陽人は彼女を心配させまいと、慌てて笑って答えた。
「もーなによー、ビックリしたー!」
「まったく、人騒がせな男じゃのう」
ねるも葵も、普段とまったく変わりがない。ねるたちには、咆哮のようなものは聞こえなかったようだ。
(俺の気のせいか……)
「あ、そーだ陽人!昨日、部屋で特訓してたら屋根に穴空いちゃったんだ。帰ったら直してよー」
ねるの言葉に、陽人は「はあ?」と呆れたような声を漏らす。
「昨日の夜うるさかったのは、それか!」
陽人とねるの部屋は隣同士だ。ねるの部屋には、美波も一緒に住んでいる。
「美波は止めたんじゃがのー」
「ね、ねるちゃん、一生懸命だったから……」
「余計な雑用増やすなよなーねる」
ねるは他にも、陽人と自分たちの部屋を隔ててる壁も壊していた。理由は、陽人の部屋に行くのにいちいちドアを通っていくのは面倒だから、である。
「俺だって器用ってわけじゃないんだぞ」
山で暮らしていた陽人にはよく分からないことだが、アパートの部屋を壊すと敷金やら礼金やらの問題が発生すると真帆に聞かされていた。ねるが空けた穴は、とりあえず新聞紙を貼って誤魔化している。
「真帆にバレると、美波まで大目玉じゃ。せいぜい働くんじゃの」
葵が心配するのは、美波のことだけだ。陽人とねるが真帆に怒られる分には、関係ないらしい。陽人は「やれやれ」と溜め息をついた。
「ご、ごめんね陽人くん。私じゃ脚立に乗っても天井に届かないから……」
「あー、いーよいーよ。美波は気にすんなって」
身を縮める美波に、陽人は笑顔を見せた。
「こういう時は、茜の能力が羨ましく感じるよ」
茜は付喪神を使役できる能力を使い、様々な付喪神を集めて某所の廃ビルの一室を自分と瑞穂専用にリフォームして生活しているのだ。もちろん不法侵入、無断占拠なのだが、人間には見えない結界を張っているので問題にはならない。陽人たちは一回行ったことがあるが、自分たちが住んでいるアパートと比べ物にならないほどのゴージャスさであった。
「でも、わたし、やっぱりたまには山で寝たいなあ」
ねるが不満そうに言う。
「そう言うなってねる。真帆さんのトコで働くって決めた時から、人のフリして生きる覚悟はしてたんだし」
「んー、そだね。がんばんなくちゃ」
陽人の言葉にねるは笑顔になる。
(それに、もう森に帰ったところで……)
そう口に出そうになった陽人だが、それを口に出すのはやめた。今はもう、人の世界で暮らすと決めたのだから。
「はー、天井の付喪神とかいないのかな?そしたら茜に頼んでさあ」
陽人は愚痴のように言う。
「陽人よ、茜は大工でも劇的な匠でもないぞ。諦めい」
葵の言葉に、陽人は「はいはい」と答えた。
その頃、茜と瑞穂は……廃ビルの一室をリフォームした住居でプリンを食べていた。
「瑞穂、刀の方はどうでしたの、調子は?」
「うむ、大変結構だ。さすがは茜の見立てだな」
プリンを食べながら、瑞穂は満足そうに頷く。
「ほほっ、そうでしょう。刀にはいい付喪神が揃ってますもの。それにわたくしがよーくいい含めておきましたから、いい働きをするはずですわ」
瑞穂がいま使っている刀は、茜から授かったものだ。普通の刀ではなく、茜の言うとおり付喪神である。
「ああ、おかげで陽人殿もねる殿も無事であったし」
「心配した甲斐があったというもの、ようございました」
ウルファートは笑顔を茜に向けて言う。
「ちょっ……だから、あなた方はどうしてそう一言多いんですのっ!」
茜は新しいプリンの封を開けながら言う。
「いえ、私はただあれだけご心配をしてらした茜様が、さぞや安堵されたであろうと思いまして」
「し、知りませんわ、そんなこと!」
「茜、それで五つめだ。ぷりんは一日一個にしておいた方がいいぞ」
瑞穂の言葉に茜は「余計なお世話ですわ!」と返す。
「まったく、あなた方ときたら、すっかりあの会社の連中に染まってしまって!」
「一番染まっているのは茜だと思うが。そうではないか、ウルファート?」
「はい、瑞穂様。茜様は元来大層お優しい方でしたが、近頃は一層お優しくなったようにお見受けあたします」
「も、もういいから、お黙りなさいっウルファート!」
「はい、茜様」
瑞穂は小さく「ふふっ」と笑う。茜は怪訝そうな顔を瑞穂に向ける。
「何がおかしいんですの、瑞穂?」
「いや、何も」
瑞穂はただ、短くそう答えただけであった。
陽人たちが立ち去った後の会社で、
「ふう、まったく」
と真帆は息をつく。賑やかな一団が去って、やっと一息入れることができた、そんな感じだ。
(こんな調子で大丈夫なのかしら?最近、嫌な予感がして仕方がない……)
椅子に深くもたれ、真帆はここ最近感じるおかしな感覚のことを考えはじめる。妖魔の暴走……なぜここに来て急に、それが頻発してきているのだろうか?と。
(予感が当たらなきゃいいけど)
何が、というわけではないが、真帆は落ち着かない。もしかして……という気持ちはあるが、それはあまりにも途方もない想像だ。あまり想像したくないことだ。
(何か強大なもの……そんな気配がビリビリする……)
この兆候……妖魔たちのざわめきに、真帆は心当たりがあった。以前、文献で目にした数百年前の魍魎の跋扈、その直前にも今のような妖魔たちの蠕動があったという──。そして真帆には、もう一つ気がかりなことがあった。
(時々感じる……とても近くに、おかしな気配を……)
その二つが関係あるのかないのか、それも分からない。ただの思い過ごしならいいが、と真帆は思う。今のところ、大した被害が出ているわけではない。妖魔の活発な動きは一時的なもので、そのうち収まることなのかもしれないとも思う。
「もう少し調べてみた方がいいのかしらね」
呟き、真帆は机の引き出しから何かを取り出した。それは一枚の写真……真帆たちが学生時代の写真。真帆と一成、若菜と……亡くなった若菜の夫となった男性が写っている。
この頃から、既に組織で妖魔の退治活動を行っていた。若菜と貴明……亡くなった若菜の夫は、卒業してすぐに結婚した。それから数年後、若菜の夫は組織が命じた妖魔との戦いで命を落とした。仲間を失う……そんな悲劇を繰り返したくはなかった。
「真帆?」
「え?あ、一成」
声をかけられ、真帆は顔を上げる。隣の部屋で書類の整理をしていた一成が、いつの間にか真帆のいる部屋に来ていた。
「まだ帰らないのかい?」
「ちょっと考え事をしていてね」
真帆は写真を引き出しにしまう。
「一成、最近の仕事のことなんだけど」
「うん?」
「ちょっと気になることがあるの。何だか、嫌な予感がするのよ」
真帆は一成に自分が感じている違和感……不安を話す。一成はたはだジッと、真帆話を聞いている。話を聞き終えると、「じゃあ……」と口を開く。
「ここ最近の妖魔たちの動きは、魍魎が原因だと?」
「そんな確信はないの……ただ、気になって……だってこんなこと、これまでにはなかったわ」
そこまで言って、真帆は嘆息する。一成はジッと真帆の顔を見つめていた。
「分かってるわ、考えすぎよね」
「疲れてるんだよ」
一成は優しく、慰めるような口調で言う。
「かもしれないけど……私の周りで何かが起こってる……そんな気がするのよ」
「何かあったのかい?」
「いいえ、何も。ただ、時々……本当に時々、感じることがあるの。違和感みたいなもの」
「違和感、ね……」
「まあ、何がどうっていうわけでとないのよ。本当に……でも何だか嫌な気配が、体にまとわりついているみたい」
「真帆……」
ソッと一成が真帆の肩に手を置く。労るような彼の視線に、真帆は苦笑する。
「これも考えすぎかしら?」
「気を張り詰めすぎてるんだよ。過敏になってるんだ。あの子たち……特に陽人くんが傍にいるから、余計にね」
(そう陽人くん……ねるさん以外は知らないことだけど……)
陽人にはある秘密があった。その秘密をしるのは真帆、一成、若菜、ねるだけ。その秘密とは──。
(陽人くんは、あの魍魎の息子……)
陽人……実は魍魎の息子だという秘密を抱えている彼が傍にいるから考えすぎてしまうのかもしれないと、真帆は思った。
「考えすぎかもしれない。でも、もう少し調べてみるわ」
「そうかい?」
「何かあってからじゃ遅いもの。本当に、何でもなければそれでいいんだし」
「ああ、そうだね」
真帆を力づけるように、一成は頷いた。
「さて、じゃあ私は帰ることにするわ」
「ああ、それがいい。僕ももう切り上げるよ」
そう言って、二人は会社を後にした。
帰り道、
「っ!?」
真帆は唐突に夜道に溢れかえった気配に足を止めた。グニャアっと空気が歪むのを感じる。真帆はハッとして魔具である札を構えるも、それはあまりにも急激に、彼女の傍に忍び寄ってきていた。
「きゃああっ!」
ビュルルルッ!っと伸びてきた触手から身をかわそうとするも、手首と足首を同時に捉えられ札を取り落としてしまう。
「あうううっ!」
メキメキっと音がするほどに手足をねじ曲げられ、真帆はそのまま無数の妖魔の海に囚われてしまう。
「くっ……油断した……っ」
メリメリと食い込んでくる触手の痛みに、真帆は顔を歪める。両足は大きく広げられ、タイトなスカートがめくれ上がって黒いショーツが露わになる。相手は妖魔だが、それでも羞恥で顔が赤くなってしまう。
(にしたって、どうして……気配なんて、まったくなかったのに……)
相手は下級妖魔。そんな妖魔が真帆に気配を気取られずに唐突に襲いかかってくることなど、できるはずがない。
(となると……こいつを操っている者がいるはず……けれど、なんで突然、私を?)
とにかく今は触手の拘束から逃れるのが先だと、真帆は体を捩って妖力を掌に集中させた。魔具がなくとも、下等妖魔相手なら問題なく一掃できる。
「あうっ!?く、んんんぅっ!」
その瞬間、ズルルッと触手が動き、真帆の体をまさぐった。愛撫のような、淫らな蠢き。その蠢きに、真帆の口からは思わず矯正声が漏れてしまう。触手はただ、真帆の体をまさぐっているだけではなかった。
(妖力を……吸っている!?こんな妖魔が人の妖力を吸うなんて……はうぅっ!)
触手の一本がショーツの上から股間を……真帆の女の部分を撫でるように蠢く。敏感な箇所を触手に這われて、真帆の腰がビクンッ!と跳ねる。下等な妖魔が人の妖力を吸うなど、本来ならできない芸当だ。何らかの改造を施された、特殊な妖魔の可能性がある。
「この……な、なめないでちょうだい……今、かたづけてあげるわよ……っ!」
乳房や股間を淫らに這う触手の動きに耐えながら、真帆は強引に手足に絡まる触手を引き剥がそうとするが……。
「んあああっ!あく……はうう……なに、この力……!?」
真帆を拘束し、触手で淫らな愛撫を行う妖魔は、真帆が知っているどんな妖魔よりも強力な力を持っているようだった。手足と足首がめちゃくちゃな方向にねじ上げられ、体の中枢に痛みが走る。
痛みだけではなく、淫らな愛撫によって感じたくない快感まで体の中枢に走ってしまう。
「い、いや!な、何するのよ……っ!」
真帆を辱めようとでもいうのか、妖魔は触手を器用に動かしてスーツを脱がし、ブラジャーを剥ぎ取った。豊かな乳房が、大きく弾みながら露わになる。
「あくぅ!ううっ!」
露わになった真帆の乳房に、触手が巻き付く。柔らかな乳房に、触手が食い込む。乳房の柔らかさを楽しむように触手は動き、妖力を吸い続ける。妖力を吸うなどという芸当ができるのは、よっぽどの妖魔だけだ。下等な妖魔にできるはずがないのに、いま真帆の乳房を触手でグニグニと揉み、肌を淫らに愛撫する妖魔はそれをやっている。
「はう、うう、ああ……」
妖力を吸われ、真帆の手足から力が抜ける。それだけではなく、乳房を揉まれ、肌を愛撫されることで無理やり発生させられている快感によって頭がボーッとしてきた。
(このままじゃ、まずい……やられる……)
コマがいれば何とかなったかもしれない。コマを使いに出したことが、こんなところで仇になるとは思ってもみなかったことだ。妖魔はさらに真帆を辱める気か、触手を彼女の股間に伸ばす。触手がショーツに触れた時、真帆はハッとなる。
「あ、いや……いやっ!や、やめなさいっ!」
真帆の叫びに構わず、触手は彼女の股間からショーツを剥ぎ取った。
「あ、あ、いやああっ!」
妖魔の視線に、柔毛で飾られたスリットを晒されて真帆は悲鳴を上げる。妖魔はソコを触手でスーッと撫でる。
「ひうぅっ!」
真帆の腰がビクンッと跳ねた。妖魔はその反応が楽しいのか、ソコを何度も撫でる。柔らかくて敏感な箇所を何度も執拗に撫でられるたびに、真帆の腰はビクビクと跳ねた。真帆の女の亀裂は、彼女の意志とは無関係に蜜で濡れていく。
「あ、悪魔を……伏する……うぅ、あっ……け、剣を……」
言葉に力を込めて唱えるが、ジュッと体の中が焼けるような感覚に襲われた。妖力を吸い上げられ、力の足りなくなったところを無理に搾り出そうとしたせいだ。それでも何とか妖力は爆発したが、妖魔にダメージを与えるほどではない。
「か、一成……一成、気付いて!お願い!」
真帆は叫ぶ。一成はまだ遠くに行っていないはず……この妖魔の気配と今の真帆の妖力の一瞬の妖力の爆発に気付いたはず。それを願って、一成の名前を叫んだ。
その間に、ショーツを剥ぎ取った触手が、真帆の秘唇に触れる。
「ひぅ……いやっ、そ、そこには触らないで……っ!」
そんな真帆の、怯えが混ざった声を無視して触手は秘唇を左右に広げた。妖魔の股間に何かがそそり立つ。それは男根の形をした肉塊。妖魔が何をしようとしているのか悟った真帆の顔が、真っ青になってひきつる。
「い、いや……や、やめて……」
妖魔が腰を突き出し、肉塊で真帆の女の部分を貫こうとした時だった。
「真帆っ!」
と一成の声が聞こえた。妖力を込められた攻撃が、真帆を犯そうとしていた妖魔を貫いた。触手の拘束から解放された真帆の元に、一成が駆け寄る。
「大丈夫かい!?」
「一成……」
一成はジャケットを真帆の肩にかけた。
「た、助かったわ……」
あやうく妖魔に犯されるところだった真帆は、体の震えを止めることができなかった。
「妖魔の気配と、キミの妖力の爆発を感じて、何事かと思ったんだけど……間に合ってよかった」
一成の攻撃を受けた妖魔は消滅し、その存在を消した。
「キミほどの人間が何であんな下等な妖魔に……」
「突然襲われたのよ……それに、あの妖魔、普通じゃなかった……私の妖力を吸ったのよ」
「なんだって!?下等な妖魔にそんなことできるはずがない!」
真帆の言葉に一成は驚く。
「でも事実よ……やっぱり、何かが起きはじめているのよ……何かが……」
確証があるわけではない。だが真帆は、何かが起きはじめているのだと予感した。
翌日──。
「おはようございます」
学校の廊下で、美波が真帆に声をかけた。陽人とねるも「おはようございます」と挨拶してくる。昨夜、妖魔に襲われて犯されそうになった動揺が残っている真帆だが、休んだら陽人たちを心配させてしまうと思い、学校に来ていた。一成には、昨夜のことは誰にも喋らないように言ってある。異常な妖魔のことは魍魎と関係があるのか確証がないし、妖魔に犯されそうになったなど誰にも知られたくなかった。
「おはよう」
真帆は何事もなかったかのように挨拶を返した。それから声を潜めて、
「あなたたち、今日の授業終わったらすぐに会社に行ってくれる?」
そう告げた。
「いつもそうしてるじゃん」
陽人がそう返すと真帆は、「急いでよってことよ」と言う。
「いいわね」
そして真帆は教室の中に入っていった。
「どうしたんだろ?」
陽人は首を傾げる。真帆から、いつもと違う雰囲気を感じ取ったのだろう。
「何かあったのかな?」
と、美波も首を傾げる。
「なんか真帆ちゃん、ちょっと怖かったね?」
ねるも、真帆から普段とは違う何かを感じ取ったようだ。
『最近の細かな仕事……何かおかしいような気がするのよね』
三人が思い出すのは、昨日の真帆の言葉だ。
「昨日のことと、何か関係があるのかな?」
陽人はそう言うが、ねると美波は首を傾げるだけだ。
(本当に何かヤバイことでも起こったのかな?)
そう陽人は思った。そして、面倒なことにならなければいいが、とも思った。
授業を終えた陽人たちは、真帆の言いつけどおりに、すぐに会社に向かった。真帆は午前中は学校にいたようだが、午後には姿を消していた。帰りのホームルームは副担任が行った。またどこかに調べ物に行っているのかもしれないと、陽人は思った。
会社にも、真帆の姿はなかった。会社にいたのは一成と若菜、そして茜と瑞穂だけであった。四人は深刻そうな表情を顔に浮かべていた。
「何か合ったんですか?」
美波が心配そうな口調で聞く。一成は「うん」と頷いた。
「夕べの妖魔……あれがまだ生きておるらしい」
瑞穂の言葉に陽人は、「ええっ!?」と驚きの声を上げた。驚いたのは、陽人だけではない。
「だってあいつは瑞穂ちゃんが……」
ねるも驚いていた。
「そうだ……私も完全に仕留めたと思っていた。だが……」
「一度は完全に妖気が消えたんだ」
一成が瑞穂の後を継ぐように言う。
「でも今朝方になって、また妖気が蘇ってきた」
一成の言葉を、陽人は信じられなかった。それはねるも瑞穂も同じようだ。二人とも、腑に落ちないという顔をしている。陽人とねるはハッキリと見たし、感じた。瑞穂に斬り払われて、あの妖魔は確かに消滅したのを。
「そこのコダヌキさんや能無しさんならともかく」
と、茜は自分専用の椅子から立ち上がる。
「瑞穂がとどめを刺したのなら間違いないはずですわ。刀だって、先日新しいものを使役したばかりですもの」
「あ、そうか。瑞穂の刀も茜の付喪神なのか」
茜の言葉で、陽人は思い出す。瑞穂の刀は茜が使役させている付喪神……普通の刀よりも何倍も強力なものだ。それで切り捨てられたのだ。無事であるわけがない。
「とにかく、そういうわけなんだ」
深刻な表情のまま一成は言う。
「今度は全員で向かってくれないか、あの廃病院に」
「そんなの、わたしくしと瑞穂だけで充分ですわ……と言いたいところですけど、仕方ありませんわね。今回は特別に、あなた方も連れていってさしあげますわ」
茜は髪を掻き上げながら言う。
「そりゃどーも」
「ありがとーございまーす」
陽人とねるは唇を突き出しながら言った。
「しょうのない奴らじゃのう」
ポンッと姿を現した葵が、呆れた口調で言う。
「ちっとは団結せぬか」
「あ、はは……が、頑張ろうねっ」
美波はひきつった笑みを浮かべながら、取りなした。
そして陽人たち五人は、昨日の廃病院へと向かった──。
「ふぅ、やれやれ」
陽人たちが出かけてからしばらくして、真帆が会社に戻ってきた。
「あら、あの子たちはもう行ったの?」
真帆は陽人たちの姿がないことに気付いて言う。
「おかえりなさい、真帆ちゃん」
「おかえり、真帆。ついさっきね」
「そう……まったく、厄介なことになってきたわね」
溜め息混じりに真帆は言う。
「そっちは……やっぱり面倒なことが?」
一成が問うと、真帆は「ええ」と頷く。
「ラチがあかないわ、私とこの子だけじゃね」
「こりゃ!ワシをこの子扱いとは何じゃっ!」
この子呼ばわりされたコマが真帆に文句を言う。
「コマちゃん、お話の邪魔しちゃダメよ」
「わふー、若菜ちゃん、だっこしてくれー!真帆の奴がコキ使うんじゃー」
コマは若菜の胸に飛び込む。若菜はそんなコマを「よしよし」とだっこした。
「ええと、それで?」
一成が逸れた話を元に戻す。
「あ、うん……そうね、もしかしたら、あそこに行かなきゃいけないかも」
真帆は面倒そうな口調で言う。真帆の言葉を聞き、若菜は「えっ……」と声を漏らす。
「あそこって……組織かい?」
一成に聞かれ、真帆は小さく頷いた。
「ここですの?薄汚い臭いがプンプンしますわね」
廃病院の中に入るなり、茜はそう言った。瑞穂は視線だけで周囲を見まして「ふむ」と声を漏らす。
「昨日よりずっと、妖気が濃くなっているな」
「うええ、何これ?気持ち悪い……」
ヒコヒコと鼻を動かして、ねるは顔をしかめた。
「強いな」
陽人も感じていた。昨日とまったく妖気の濃度が違うことを。一歩建物の中に入っただけでも、ムウッとそれが吹きつけてくるのが分かった。
「な、何か体がザワザワする……」
美波が微かに体を震わせて言った。
「美波も分かるか?」
陽人が問うと、美波は「うん」と頷く。
「肌がピリピリするみたいな……昨日は、こんなんじゃなかったんだよね?」
「全然普通だったよ!」
美波の言葉に、ねるが答える。
「しかし、こう濃度が高くてはな。かえって本体が分かりにくい」
瑞穂の言うとおり、建物全体に瘴気に満ちているような状態では、ピンポイントで妖魔の本体に辿り着くのは不可能であった。
「これだけ人数がいるんですもの、分かれて捜せばよろしいのよ」
と茜は言うが……陽人は、「いや、待てよ」と反論する。
「一人一人バラバラになるのはまずい、せめて二手に分かれよう」
「あら、わたくしは構いませんことよ?」
「わ、私はできれば、みんなと一緒の方が……」
美波は少し臆したように言う。美波は退治屋見習いであるが、暗いのとか怖いのとかが苦手なのであった。今も必死にガマンしているようである。
「そーだよ、何があるか分からないんだから」
ねるがそう言うと、茜は「ほほっ」と笑う。
「そうですわねえ、また昨日のようにコダヌキさんが足を引っ張っても困りますものねえ」
「ううっ……き、昨日は昨日だもんっ!」
言い合う二人の間に、瑞穂が割って入る。
「茜、心配なら心配とそう言えばよかろう?」
「なっ……し、心配なんてしてませんわよっ!」
「じゃあ、茜さんとねるちゃんが同じ組に……」
美波がそう言うと茜は、
「けっ・こっ・う・ですわっ!」
と返し、ねるは、
「わたしだって茜がいなくても平気だもんっ!」
と言う。とにかく一悶着があった後、陽人と美波と茜、そして瑞穂とねるという組になった。
戦力を考えた場合、ベストな組み合わせだろうと陽人は思った。そして陽人たちは二手に分かれて、廃病院の捜索をはじめる。何があってもなくても、三十分後に出入口に集まるように決めてだ。
「しかし、どうなってんだ?一度妖魔が消滅したはずの場所に、またこんな妖気が満ちるなんて……」
辺りに気を配りながら、陽人は疑問を口にする。普通は浄化の気配で、妖魔は近寄れなくなるはずであった。
「要するに、消滅も浄化もできていなかったということですわ」
茜が陽人の疑問に答えるように言う。足音が、建物内に響くのは昨夜と同じ。
違うのは、剥き出しの妖気が強烈に肌に刺してくることだ。
「おい茜!」
曲がり角に差しかかった時、陽人は向こう側からザワッとした波のような妖気が伝わってくるのを感じた。茜は素早く指先を踊らせ、指輪の石に触れる。曲がり角から、触手の塊のようなものの群れが一斉に姿を見せた。だが茜はそれを物ともせず、
「ウルファートっ!」
とウルファートを召喚する。ウルファートは姿を現すと同時に、無数のナイフを放つ。
放たれたナイフの雨は、触手たちの塊たちを引き裂いていく。
「茜様、完了いたしました」
ウルファートが茜に頭を下げた時は、もう触手たちの塊たちは一匹も残っていなかった。
触手の塊を仕留めたウルファートを、茜は指輪の中に戻す。ウルファートの能力は高い。ただし、出している間は茜の妖力が消耗するので長時間出し続けていられないという欠点はあるが。
「それにしても……まだまだ面倒なのがいそうですわね」
茜の言葉に、陽人は「ああ」と頷く。
「昨日もそれで手こずったんだ。何せ倒しても倒しても、きりがないんだよ。とにかく、昨日、本体が出た所に行ってみよう」
陽人は先に立って、美波と茜を案内する。昨日、本体がいた病室に行く間にも三人の前には次から次へと、触手の塊たちが襲ってきた。それでもどうにか、本体がいた病室に辿り着いた。
「ここだ……昨日はここで……」
「別段、他と変わったところはないようですけれど……」
茜は病室を見回しながら言う。
「でも、確かにここだよ。美波、一応、葵を呼ぶ準備をしておいてくれよ」
「う、うんっ!」
陽人の言葉に、美波は体を強張らせる。美波はまだ妖力が弱いゆえ、葵を自分の体に宿す時間に限界があった。なので毎度、葵を呼ぶタイミングには苦労している。
「あら……来たようですわ」
ザワザワと周囲の空気が変わり、茜はそう言った。病室内の温度が一気に五度ほど下がったような、ヒヤッとした悪寒が陽人の全身に走る。
「ウルファートっ!」
「はい、茜様」
茜はウルファートを召喚した。それとほとんど同時に、
「グゴオオオォォォッ!」
ドカアアッ!と音を立てて大量の触手が天井と床から襲いかかってくる。あまりの気持ち悪さに、美波は「ひゃあああっ!」と悲鳴を上げた。
「ワンパターンなんだよっ!」
昨日は……一度は引っかかった陽人だが、さすがに二度目はかわせる。襲ってくる触手の大群を、妖力を込めた五鈷杵で斬り裂いていく。
「来るぞ!」
陽人の叫びに呼応するかのように、ズルピチャ、ズルピチャ……と、何かが這いずってくるような音が聞こえてきた。エサを狭い一室に追い込んで捕らえ、それをゆっくりと賞味しようという趣味の悪い本体の妖気が近づいてくるのが分かった。美波も、それを感じたのだろう。口寄せの言葉を唱えはじめる。
「誰の道呼ぶや、八日の仏の道呼ぶや、ここらず、極楽の、ほいじの枝にてなにがなるや、南無阿弥陀仏の六字がなるや……数珠の響きで、むかえる弓の響きではむけるや……」
美波の体が、神々しいほどに輝きはじめる。小池の家に代々祀られてきた神……《兎神》が今、美波の体に乗り移ろうとしているのだ。次第に、美波の声がブレはじめた。
声が二重になりはじめる。美波の声が、葵の声に変化していく。そして、美波の体を眩い光が覆う。光が消えた時そこに立っているのは、美波ではなかった。立っているのは、美波の肉体に宿って実体を得た葵であった。葵は挨拶とばかりに、病室いっぱいに呪符を乱舞させる。
触手の塊たちが消滅するが、またすぐに新しい触手が床や天井から生えはじめた。
「ふむ、来おるの、下賎のものが」
葵は再び呪符を乱舞させ、触手たちを消滅させていく。日頃は口うるさいだけの、プカプカ浮いている幽霊のような存在であるが、実体化した彼女はこの上もなく頼もしい存在であった。
「ぐじゅ、ぐじゅるる……じゅるるる……っ!」
ピチャッと音を立てて病室に入ってきたもの……それは、瑞穂が仕留めた心臓のような形の妖魔であった。
「ウルファートっ!」
茜の声と共に、ウルファートがナイフを投げる。陽人もウルファートに負けていられないと、妖力を込めた五鈷杵を心臓の化け物のような妖魔に叩き付けた。攻撃を受け、妖魔は耳をつんざくような声を上げ、触手をあちこちに叩き付けながら暴れはじめる。
「うわ、あぶねっ!葵、早くとどめを!」
陽人は伸びてきた触手を避けながら言う。
「えぇいっ、わかっておるわっ!わらわに命令するでない!」
葵は袖から呪符を取り出すと、念を込める。そして、
「滅せよっ!ザコめがっ!破邪っ!」
そして手負いの妖魔に呪符を放った。呪符は強烈な光を放ち、妖魔は断末魔の叫びを上げて消滅した。病室に充満していた妖魔の分身である触手たちも、次々と消滅していく。
「はー、やれやれ、終わったな」
息をつく陽人は、病室の中に清浄な空気が満ちていくのを感じた。昨日の瑞穂の時と同じだ。その時陽人は「ん?」と思う。
(昨日の瑞穂の時と……同じ?)
そのことに、陽人はひっかかりを感じた。
(昨日と同じってことは……そりゃダメってことなんじゃないのか?)
そう思い、
「なあ、茜、葵」
と二人に声をかけた。葵は「うむ」と頷く。
「なにやら、おかしいのう」
葵は陽人と同じことを考えていたようだ。
「簡単すぎる、ってわけですの?」
陽人と葵の態度に、茜は「ふんっ」と鼻を鳴らした。
「まったく厄介ですこと。近頃はこんな下等で低級な妖魔が大きな顔してのさばって……わたくしの理想が実現さえすれば、こんな煩わしい思いなどしなくてもすみますのに」
「まーた、その話かよ」
陽人は溜め息混じりに言う。
「また、とはなんですの?あなたもわたくしの理想の実現のため、もっと粉骨砕身協力するべきですのよ。お分かり?」
「今はそんな話してる場合じゃねえんだろって!」
茜の理想というのは、独裁政だ。その話は何度も聞かされている。下級妖魔が暴れ回って人間や、ともすれば他の妖魔にまで危害を加える……だから人間たちも、妖魔を躍起になって退治しようとする。そんな現状をなくすには、茜のような高等種が妖魔たちも人間ちも一括支配してしまえばいい……そうすれば、無駄な争いはなくなると茜は息巻いている。真帆たちは妖魔と人間の共存が目標なので、こんなメチャクチャな理論を持つ茜をどうにか矯正しようとしいるが……あまり効果は出ていない。
「ともかく、わらわは一度消えるでの。ひとまずねるたちと合流した方がよかろう。妙な胸騒ぎがしおるわ」
葵の言葉に、陽人は「ああ」と頷く。葵は美波の体から抜けた。葵が美波に宿っていると、美波の体に負担がかかる。いざという時に強制的に分離してしまうおそれがあるのだ。以前、それで何度か陽人たちはピンチになったことがあった。
「ふわぁ……」
葵を体から離した美波は、大きく息をつく。陽人はそんな彼女に「おつかれ」と労いの言葉をかけた。陽人たちは葵の言葉に従い一度、ねるたちと合流することにした。何かがおかしい廃病院……危険を避けるためにも、戦力を集中させた方がいいからだ。合流地点に向かう途中、陽人は妖気が無くなっていることに気付いた。陽人は何かがあると思ったが、思い過ごしかもしれないと感じた。
だが、どうしても呆気なさすぎるのが陽人には気になった。
(思い過ごしなら思い過ごしでいいんだけどさ……でも)
昨日のことを完全になぞっている……そんな気持ち悪さが、陽人を落ち着かなくさせていた。と、陽人は「ん?」と足を止める。何か妙な違和感を感じたのだ。
「陽人くん?」
「何ですの?置いていきますわよ?」
美波と茜も足を止め、顔を後ろに向けて言う。
「あ、いや……」
陽人は視界の端が、ユラッと揺らめいたように見えた……そんな印象だった。二人に何か感じなかったか問うが、美波も茜も何も感じなかったようだ。気のせいか……と陽人は思った。周囲の空気は清浄なままだし、辺りを見回しても特に異常はなかった。
「悪い、気のせいだ。急ごう」
「もうっ、人騒がせな能無しさんですわね」
茜は不満を口にして、歩きだした。美波はその後を追う。陽人はもう一度辺りを見回し、何もないのを確認してから二人を追った。
合流地点にまだねると瑞穂はいない。約束した時間まで、まだ五分ほどある。二人はまだ捜索を続けているのだろう……そう思った時だった。
「きゃあああっ!」
というねるの悲鳴が遠くから聞こえた。
「ねる!」
陽人は咄嗟に駆けだした。
廃病院内を捜索していたねると瑞穂は、そろそろ合流時間なので戻ろうとしていた。その時、瑞穂は妖魔の気配と殺気を感じた。それで何も感じていなかったのに、急にだ。殺気は、ねるを狙っている。
「ねる殿っ!」
「えっ?」
瑞穂が声をかけた時には、もう遅かった。伸びてきた触手が、ねるを叩き付けた。
「きゃあっ!」
吹き飛ぶねる。瑞穂はねるを襲った妖魔を攻撃しようと刀を抜いたが、その手首に触手が絡み付いた。そして、手首をねじり上げる。ねるを吹き飛ばし、瑞穂の手首をねじり上げたのは、心臓のような形の妖魔だ。
「あうっ!」
激痛に、瑞穂の手から刀が落ちた。触手は足首にも巻き付き、瑞穂を転倒させる。妖魔は二人を辱めるためか、触手を器用に動かして、衣服を剥ぎ取っていく。ねるはブラジャーとショーツという姿に、瑞穂は胸と腰にさらしを巻いただけの格好にさせられてしまう。妖魔は触手で二人を拘束する。それだけではなく、二人の体を密着させた。
ねるは力任せに触手を引き千切ろうとするが、
「いたっ!」
と悲鳴を上げた。ヌラヌラとした触手は二人の体に食い入って、少しでも動こうとすると、容赦なく体をねじ上げてくる。
「ねる殿、下手に動かぬ方がよいやもしれぬ……不覚だ……」
「だ、大丈夫!?わ、わたしが油断してたから……ごめん」
ねるの言葉に瑞穂は「いや」と頭を振った。
「私も油断していた」
触手が二人の体を這う。ねるはくすぐったさに「ひゃっ」と声を上げ、体をモゾモゾと動かしてしまう。触れ合っているねると瑞穂の乳房が、ムニュムニュと擦れる。それがねるに余計にくすぐったさを感じさせ、ねるはつい体をバタバタと動かしてしまった。さらに乳房が擦れ合い、瑞穂は顔を赤くさせる。
「ね、ねる殿……そ、そのような場合では……」
「あ、ご、ごめんねぇ……」
「と、とにかく……この拘束を解かねば」
二人は必死になって体中に絡み付く触手を引き千切ろうとする。しかし、触手は硬く、簡単には千切れない。それどころか、
「あぅっ!」
「ぐぅあっ!」
触手の締め付け一層強くなり、ねると瑞穂は悲鳴を上げる。手足や腰の肉に、触手が深く食い込む。触手は締め付けるだけではなく、二人の肌の上を淫らな動きで這い回る。
「ひぃああっ!き、気持ち悪い……」
肌を這い回る触手の感触の気持ち悪さに、ねるは顔をしかめた。
「あくぅ、あ、う……こ、このっ……」
瑞穂も触手の不快感に顔を歪める。
無駄な抵抗をする二人を嘲笑うかのように、妖魔の触手はねるのブラジャーを剥ぎ取り、瑞穂の胸に巻かれたさらしを外した。二人の乳房が露わになる。ねると瑞穂の顔が羞恥で赤くなった。
妖魔の触手は二人の胸の膨らみの頂を飾る小さな桜色の突起へと伸びていく。触れるか触れないかの微妙な感覚で、触手の先端が二人の乳首を撫で上げる。
「ひゃうんっ!」
「はうっ!」
ねると瑞穂の唇から声が漏れ、体がビクンッと震えた。二人のその反応が楽しいのか、妖魔は触手で執拗に乳首を撫でる。
触手の先端で敏感な乳首を撫でられるたびに、ねると瑞穂は声を漏らして体を震わせてしまう。
何度も撫でられているうちに、二人の乳首は本人たちの意志とは無関係に硬く立ち上がり、汗で覆われていく。呼吸が荒くなるねると瑞穂の股間に、触手が伸びる。それに気付いた二人はハッとなった。
「ちょ、そ、そこは……」
「や、やめろ……っ」
ねると瑞穂の声を無視し、触手は二人の少女の部分をもてあそぼうとするが……。
「ねるっ!」
「瑞穂っ!」
そこに陽人と茜が駆けつけた。
陽人は五鈷杵に妖力を込めて攻撃を放ち、茜に召喚されたウルファートがナイフを投げる。その攻撃でねると瑞穂を嬲っていた妖魔は消滅した。
瑞穂が半裸であることに気付いた茜は、
「向こうを向いてなさい、この能無しさん!」
ウルファートを指輪にしまい、陽人に向かって言った。陽人はねると瑞穂のあられもない格好に気付き、慌てて回れ右をした。
「瑞穂、大丈夫ですの!?」
茜は瑞穂の元に駆け寄る。
「ああ茜、助かった」
「ちょっと!私のことも心配してよ!」
ねるは無視されたことに文句を言うが、茜はそれも無視した。ねると瑞穂は脱がされた衣服を身にまとう。妖魔が消滅したことで、辺りの空気は清浄になる。先ほどの陽人たちの時と同じであった。
「まさか、もう一体いたなんて……あの心臓みたいな奴、こっちにも出たぞ」
陽人は意外そうに言う。
「え?どういうこと?」
ねるは疑問を口にするが、陽人には答えられない。
「まだ。いるのかもしれませんわ……」
茜は周囲の気配を探るが、もうこの辺りに妖気は感じられなかった。
「でも、今はこの辺り妖気なんて……」
そう美波が言うと、瑞穂は「昨日もそうだった」と返す。
「そうなんだよ、さっき俺もそのことを考えてて……」
「まだ、どこかにいるんじゃないかなあ?」
ねるがそう言うと、美波は「うん」と頷く。
「葵も、おかしいって言っていたし……」
「真の本体が、どこかにいる……ということですわね」
茜の言葉に、瑞穂は「うむ」と頷く。
「そして多分、それを倒さねばまた……」
「まったく面倒ですわね。何か手掛かりはありませんの?」
ふう、と茜が嘆息すると陽人は「あっ!」と声を上げた。
「なになに?陽人、何か知ってるの?」
「そう言えば、あなた先ほど何かおっしゃってましたわね」
ねると茜が聞いてくる。
「さっきの場所のこと?」
美波に問われ、
「でも、俺の気のせいかも」
と陽人は返す。
「いや、ともかく行こう。アテがないより、ずっといい」
瑞穂に言われ、陽人は「あ、ああ」と頷いた。陽人はみんなを連れ、先ほど何か感じた場所へと向かった。
「何がってわけじゃないんだけど、一瞬、ここらで違和感がしたんだ」
陽人は周囲に気を配るが、辺りはシンッと静まり返っていて、何も感じられなかった。
妖気のカケラも漂っていない。美波が、
「どの辺だったか分かる?」
と聞いてくる。
「確かこの辺り……」
陽人の視線の先にあるのは、トイレだ。陽人はトイレに入る。視界に鏡が入った。ひび割れ、ホコリをかぶった鏡だ。映るのは、陽人の姿だけ……。
「やっぱり気のせいだったみたいだな」
「ううん、ちょっと待ってて」
美波は口の中で口寄せの呪文を唱える。すぐに葵が美波の肉体に宿った。
「陽人、ちとどいておれ」
「お、おう」
トイレの中に入ってきた葵に言われ、陽人は鏡の前から離れた。葵は袖から取り出した呪符を鏡に向けて飛ばした。鋭い軌道を描いた呪符が、鏡の中に吸い込まれていった。
かと思った瞬間、バチィィッ!と激しい火花が鏡の中で飛び散り、何かが爆ぜたような……電流が走ったような閃光がほとばしった。
「なるほど……鏡の中じゃな」
葵は納得したように頷く。
「鏡の中……そんなところに逃げ込んでいたから、気配がしませんでしたのね」
「結界か」
茜と瑞穂も納得したように頷いた。
「え?え?えっと……どういうこと?」
ねるは、訳が分からないという顔でオロオロする。こんなところで、地味に学力差が出ていた。
「要するに……」
陽人はそんなねるのために、簡単に説明する。
「鏡の中に逃げ込んでいるんだよ、真の本体が」
「そして……」
と陽人の言葉を瑞穂が継ぐ。
「内側から結界を張っている。妖気が漏れないように」
「そういえば……前に雲外鏡から聞いたことがありますわ」
茜が思い出したように、顔を上げた。雲外鏡とは鏡の付喪神だ。
「鏡と鏡の空間をつなげて、その中を自在に行き来する妖魔がいる、とか」
「この鏡からは、もう何も感じられんのう。別の鏡に逃げたのじゃろう」
葵はトイレの鏡を見ながら言う。
「ええっと……」
ねるは何とか必死に、茜たちの言葉についていこうとしている。そして、パッと顔を上げると、
「じゃあさっ、じゃあさっ!鏡、全部壊しちゃおうよっ!」
意気揚々と提案した。
「だって、鏡の中に逃げるんでしょ?じゃあさ、鏡壊しちゃえばいいんだよっ!そしたら逃げられなくなるんじゃない?」
ねるの提案に陽人は「アホかっ」とつっこむ。
「世界中の鏡、壊して回る気かよ?」
「あうっ!そ、そっか……」
陽人の言葉に、ねるは項垂れてしまう。しかし、
「いえ……」
そこに茜が口を挟んだ。
「まだ力の弱い妖魔なら、異動範囲は限られているはずですわ」
瑞穂は「ふむ」と頷く。
「この廃病院から動いていないということは、まだ望みはありそうだな」
「では、わらわが、この敷地内に結界を張ってやろうかの」
葵はニッと笑いながら言う。
「もし、そいつが外にまで逃げ出せるようでは厄介じゃからの」
「おお、葵すげー!かっこいい!」
と陽人が褒めると、
「ふふん、もっと褒め称えるがよい」
と胸を張ったが、
「もっとも、既に外に出ておったら無意味ではあるがの」
すぐに険しい顔つきになる。
「いや、おそらくは大丈夫だろう。さっきまでは感じられなかった妖気が、ごく微小ではあるが感じられる」
瑞穂も少し険しくして言う。茜は「ええ」と頷く。
「陽人、分かる?」
ねるに聞かれて陽人は、「いや、全然……」と返した。すると茜は「ほほ」と笑う。
「低級な方々には、お分かりにならないかもしれませんわね」
「低級ってゆーなっ!」
言い合うねると茜に向かって葵が、「ええい、黙らんかっ!」と叫ぶ。ねるはすぐに「ごめぇん」と謝った。茜の方は小さく鼻を鳴らすだけだ。二人が黙ると、葵は目を閉じた。そして胸の前で手印を結び、口の中で呪文を唱える。葵の体が光ったかと思うと……その光は大きくなり、四方に広がっていった。
「ふむ、これでよかろ……ただし、そうは続かんぞ。わらわではなく、美波の妖力がな。攻撃もできんで、まあ後はおんしらでどうにかするんじゃな」
陽人たちは廃病院にある鏡を片っ端から割っていった。
三十分ほど廃病院の中を走り回っただろうか。やがて、
「あとは、この鏡だけのようだが……」
瑞穂は一枚の鏡の前に立つ。葵は、美波がそろそろ限界であることを告げる。瑞穂は抜刀し、鏡を割る……鏡が割られる直前、奇声を上げて何かが鏡から飛び出てきた。それは妖魔というより、西洋の悪魔という存在に似た姿をしていた。これが、真の本体なのだろう。陽人は五鈷杵から妖力の塊を放つが、それはあっさりと避けられてしまう。
「相変わらずのーこん、じゃのう」
葵は呆れたように言う。陽人は「うるせっ!」返す。
妖魔は触手を伸ばして陽人たちを攻撃する。瑞穂は迫り来る触手を避けながら妖魔に接近し、「はあっ!」と刀を振る。妖魔の悲鳴が響く。それと同時に触手の攻撃がなくなる。
ねるは拳の妖力を込めて床を蹴り、
「てえええぇぇっけん!せーさああああいっ!」
妖魔を殴り飛ばした。吹き飛び、壁に叩き付けられた妖魔は、直後に霧散した。
「仕留めましたの?」
茜の問いに、瑞穂は「うむ」と頷く。辺りの空気が清浄になっていくのが分かる。もう、この廃病院からは妖気は感じられない。今度こそ仕事完了であった。