長濱ねる登場♪有名エロゲーを実写ドラマ化しちゃいました♪ @
魍魎の贄 第一章 退治屋
数百年も昔のことだ──この国を揺るがすほどの阿鼻叫喚が、ただ一匹の人外のものによってもたらされたことがあった。魍魎……そう呼ばれる奇怪な人外の存在。人の腸を好んで貪るソレが、なぜそこまで強大な力を得たのかは不明だ。だが、魍魎による蹂躙は確かに起こった。
人だけではない。暗闇に潜む妖魔……人ではない異形のものにさえ、魍魎は牙をむいた。
殺戮……ただ殺戮を魍魎は繰り返した。屍の山、血の河を築き、魍魎は笑い、人妖入り混じった血を啜り、腸に食らいつき、暴虐の限りを尽くした。
魍魎に付き従っていたごく少数の妖魔を除けば、誰もがその存在の消滅を願った。それは人だけではない。妖魔たちさえ、次第に魍魎の姿に畏怖を抱き、恐怖の具現として見るようになっていた。
滅ぼせ……人も妖魔も、魍魎を滅ぼすために決起した。
人を、妖魔を、その欲求のままに根絶やしにしようとしていた魍魎は、ついには追い詰められて、とある山中に封印された……そう、封印だ。人と妖魔の力を集結させても、魍魎を消滅させることはできなかったのだ。
封印された魍魎は、今もとある山中に、滅びることなく眠っている──。
「陽人ぉぉ!そっち行ったよぉっ!」
学校の廊下に、少女の元気に満ちた大きな声が響いた。
「おうっ、任せろ!」
夕暮れ時の、橙色に染まった廊下に響いた声に応え、陽人(はると)と呼ばれた制服姿の少年・陽人は五鈷杵(ごこしょ)をグッと握った。
「へっ、来やがったな!」
曲がり角から、人の走ってくる音が聞こえる。そして、それに追い立てられるように異様な音も聞こえた。まるで、大きな軟体生物が高速で動いているような異様な音……。
陽人はそれを感じると、自身にオーラをまとわせた。大きな軟体生物のようなもの……妖魔だ。
怨嗟の塊のような呻きを廊下いっぱいに響かせて、既に手負いとなっているソレは陽人の姿を見るなり襲いかかってきた。
「うりゃっ!」
無防備に突っ込んできた妖魔を、陽人は五鈷杵で引き裂く。
「グギャアア!」
妖魔を退治する職に就いている陽人だが、あるハンディキャップを背負っている。だが、襲ってきたのは下級の妖魔だ。多少のハンデを背負っていても、下級妖魔に手こずるようでは話にならない。
「オオオッ!」
妖魔は叫び、触手で陽人を攻撃しようとする。だが、
「あまい!」
触手は五鈷杵によって瞬時に粉砕された。そのまま陽人は五鈷杵を握った腕を突き出す。
「そろそろ年貢の納め時だぜ!観念しな!」
ビシッ!ビシッ!と電流が爆ぜるような刺激を感じながら、陽人は目を細めて狙いを定める。
「禍れ」
力を込めた言葉を口にすると、力のおののく感覚を陽人は感じる。異形のもの、人に害をないものを消滅させる力が集まってきているのだ。五鈷杵を膨れ上がった清浄な光が覆う。充電は完璧であった。後は集まった光を目の前の妖魔に放つだけである。
「邪きもの……その魂……この覇の前に……禍れっ!」
パチパチッと集約された力の光がショートし始める。光はどんどん直径を大きくしていき、陽人の腕を包み込んでいく。
「でりゃあああっ!」
大きな音を立て、それは炸裂した。雷鳴と共に、集められた力はそのまま一閃の槍となり、直撃した……。
「ぐはああっ!?」
陽人に、だ──。
「ぐ、お……い、いい気合だ……」
ドサッと倒れ込みながら、陽人は「くくっ」と笑って白い歯を輝かせた。
(さすが俺のパワーだ……やっぱり、とてつもなく凄いぜ……妖魔に当たりさえすれば、もっと凄いけどなっ!)
陽人の自爆を見て気を飲まれていた妖魔が、今がチャンスだとばかりに攻撃のために陽人に触手を放った。
「うわっ!」
陽人は咄嗟にそれを避け、急いで立ち上がる。
「くそっ!もう一回だっ!」
そして五鈷杵を構え直した。
(さっきのは、ちょっとした手違いなんだ……今度こそ間違いなく……!)
再び力を集中させようとした時だった……。
「陽人ぉぉおおっ!そこ、どいてどいてえーっ!」
元気な少女の声と共に、物凄く大きな足音が聞こえた。その足音はどんどん大きくなる。陽人の方に近づいている。陽人は危険を感じて、その場から避けた。
「てえええっけえええんっ……」
ダンッ!と床を強く蹴る音が聞こえた。人影……制服姿の少女が、陽人の横を通り過ぎる。
「せええええさあぁぁぁああいっ!」
弾丸のように飛んだ少女の体が一直線に、陽人が攻撃しようとしていた妖魔に突っ込んだ。鉄拳制裁と言いながら、拳ではなく妖魔に蹴りを叩き込む少女。妖魔は悲鳴を上げ、ジュウウッと音を立てて四散していく。
「とおっ!」
少女はそのままの勢いで壁を蹴り、宙にポーンっと跳ね上がり、クルクルと空中で三回転してシュタッと見事に着地した。
「いっちょあがり!」
蹴りを放つ際に丸見えになっていたショーツに、後からフワッとスカートが被さった。
少女の飛び蹴りによって妖魔が消え去ると同時に、辺りには清浄な空気が戻った。
「えっへっへー!どうどう陽人、今のちょー必殺技、ちょーかっこよかったでしょ!?」
得意げな顔で言う少女に陽人は、
「ちょー必殺技って……結局いつもの力技じゃんか、ねる」
呆れたように返した。
「ポイントは最後の三回くるくるなんだよ!ねえねえ、ちゃんと見てた?見てた!?」
笑顔で聞いてくる少女……ねる。
「あーあー見てた見てた。かっこよかったよ、助かった」
陽人は少し面倒くさそうに答えた。陽人の言葉にねるはだらしない顔で頭を掻きながら「えっへっへ」と笑みを強めた。
(相変わらず力技にかけてはねるの右に出る者はいないな……)
陽人はそんなことを思った。
「今度こそ俺が仕留めたかったのに!」
悔しそうに言う隼人に、ねるは「あはは」と笑いかける。
「陽人、また失敗してたねえ」
「しょ、しょうがないだろ……俺には事情があんだから……」
「分かってるよぉ……だから助けてあげたんじゃない」
「情けない……女に庇われるなんて……」
そしてガックリと肩を落とした。
(仕方ないとはいえ……やっぱり、かっこ悪いよな……)
そんなことを思った時、陽人は「ん?」と、あることに気付いた。
「おい、美波は?」
「ふえ?」
陽人に問われ、ねるは間抜けな声を上げる。陽人は周囲を見回す。いるべき人物がいない……一人足りない。
「お前と一緒だったろ?」
「そうだけど……あれ?」
言われて、やっとねるも辺りを見回した。この場には、陽人とねるしかいない。もう一人いなければならない人物の姿も気配も無かった。
「おっかしいなー……さっきまで一緒にいたのに」
「どうせまたバカみたいなスピードで走り回ったんだろ?美波は人間なんだから、セーブしてやらなくちゃダメじゃないか」
「だって……」
ねるが言葉を続けようとしたその時だった……。
「きゃあああっ!」
廊下の向こうで、甲高い少女の悲鳴が聞こえてきた。
「美波!?」
陽人とねるは同時に言う。
そして反射的に、悲鳴が聞こえた方へと走り出していた。廊下を曲がる。
「美波!」
陽人とねるは、また同時に言った。
「うぐぅ……うう……っ!」
廊下の天井に、その少女は吊り下げられていた。少女を吊り下げているのは、スライム状の物体……それは、ねるによってバラバラにされた妖魔の魂だ。妖魔の魂がスライムのように変質し、少女の小柄で華奢な体に絡みついて天井から吊り下げているのだ。
スライムはズルズルと少女……美波の体を這い回る。少女の体の柔らかさを堪能するかのように。
「み、美波っ!葵、葵を呼んでっ!」
ねるの言葉に美波は口を開くが、彼女が言葉を紡ぐよりも早く、スライムが口の中に入り込んだ。
「んぐぅ、むぐうう!?」
美波は言葉を口にすることができない。それは、彼女の武器が使えず、手も足も出せないということだ。
陽人とねると違い、美波は生身の人間なのだ。
「んふううう、んんぅぅっ!」
美波が、くぐもった悲鳴を上げる。全身に絡み付いているスライムが、這い回る動きを早めたのだ。その感覚が、美波に不快感を与えているのだろう。彼女の体が、ビクンッと跳ね上がる。それだけではない……スライムは何かを吸っているようだ。
「あいつ、美波の妖力を吸っている!?」
陽人にはそれが見えた。スライムが拘束している美波の体から、妖力を吸い上げているのが……。
スライムは美波の妖力を吸いながら、彼女の体を這い回り続ける。スカートがめくれ、ストライプのショーツに覆われた可愛らしいお尻が露わになった。
スライムはショーツ越しに美波のお尻を撫で回し、制服の上から胸を撫で回す。
「んむうう!んぐうううっ!」
ショーツの股布をスライムが這うと、美波の腰が大きく跳ねる。敏感な部分に、スライムが触れたのだろう。衣服の上からスライムの異様な愛撫を受け、美波の捕らわれた体が小刻みに震える。美波の白い頬が、次第にポーッと紅潮してくるのが見て取れた。
このままでは、美波が危険だと陽人は動きだそうとする。
「このおおおっ!エロ妖魔あっ!」
だが、それよりも早くねるが飛び出していた。
「美波を放しなさあぁぁぁいっ!」
「あ、おい!ねる!」
陽人の静止も聞かず、ねるは猪突猛進に突っ込んでいく。
「とおおおりゃあああっ!」
跳躍したねるの体がオーラで覆われる。特に、振り上げた拳のオーラが強く発光した。
「てっけええええん!せええええさああああいっ!」
美波を捕らえていたスライムにねるの拳が命中する。バラバラに千切れ飛ぶスライム。
「せええばあいっ!」
「グアアアア!」
ねるの一撃で妖魔は断末魔の悲鳴と共に消滅したかに見えた……が、それは違った。
「ダメだ!散らばっている!」
陽人の言うとおり、妖魔は消滅せずに散らばっただけであった。
「もおおっ!めんどくさいなあぁっ!」
ねるに殴られたスライムは、流れ弾のように四方に飛び散ってしまった。ねるは急いで、その一方を追いかける。陽人も飛び散ったスライムを追おうとしたが、
「きゃあっ!」
という、美波の悲鳴が聞こえた。吊り上げられていた美波の体が、放り出されたのだ。陽人は一瞬迷ったが、校内にはまだ生徒が残っている。一般人が妖魔退治のとばっちりを食うことだけは絶対のご法度だ。
「美波、すまん!」
落下中の美波に謝り、陽人は飛び散ったスライムを追った。後ろで、
「ふぎゃんっ!」
という声。美波がお尻から床に着地……否、落下した音も聞こえた。痛そうだが、大丈夫だろうと陽人は信じた。
陽人とねるは手当たり次第に、飛び散った妖魔の魂であるスライムを叩き潰していく。
だが──
「ああ、もう次から次へとっ!」
陽人は文句を口にする。
「うわぁあんっ!キリがないよおっ!」
それはねるも同じであった。潰せど潰せど、スライムはなくならない。それもそうだろう。潰した端から分裂しているのだ。
「くっそぉっ!こうなったらもう一回、俺の超必殺技でっ……!」
「ええっ!?ちょ、ちょっと待って!わたし、避難するからっ!」
そう言ってねるは、慌てて陽人の傍から離れた。
「失敗前提でモノ言うなっ!」
そんなねるの態度に、陽人は意地でも攻撃を成功させてやると己に誓った。陽人が五鈷杵を構えて力を集中させようとしている間に、飛び散ったスライムたちが一つに集まりはじめる。
「うげ、やべえっ!邪きもの……その魂……」
不気味な唸り声を上げながら、ソレは廊下の天井いっぱいにまで盛り上がっていった。
ミチミチッと左右の壁や天井にまで押し広がり、ソレは陽人とねるを攻撃しようとする。
「今度こそおおっ!」
やけになったねるが、両脚にググッと力を込めた。
「待てねる!無駄だ!さっきの二の舞だって!」
「だってそれしか……」
ねるが言いかけた、その時──。
「悪魔を伏する剣を持て……」
凛とした女性の声が聞こえ、突き刺すような鋭い妖気の波が漂ってきた。
「魂魄、微塵に打ち詰めよっ!」
鮮烈な声と同時に、いくつもの犬のような形をした光がスライムに向かって飛翔する。
天地を揺るがすほどの電撃がほとばしり、目の潰れそうな光が炸裂した。スライムはカケラ一つ残すことなく消滅する。
「お、おお……」
眩い光に目を閉じていた陽人は、壁のように立ちはだかっていた妖魔が影も形もなくなっていることに驚き、感嘆の声を漏らした。
「まったく」
妖魔を消滅させた女性……スーツをビシッと着こなし、長い髪をアップにまとめているスラッと背の高い、少しきつそうなイメージを漂わせている美女が呆れたように言う。
「この程度の妖魔に手こずるなんて、あなたたち、ザコだと思って油断してかかったわね?」
「麻帆さん!」
微妙にまずいところで美女に会ってしまい、陽人の顔がひきつる。
しかしねるの方は、
「麻帆ちゃーん!」
そんなことはお構いなしに、尻尾をパタパタさせていた。本当に、お尻に太い尻尾が生えてパタパタと左右に揺れている。それだけではない、頭には獣の耳まで生えていた。
「はわー!麻帆ちゃんは、やっぱり凄いね、凄いねー!かっくいーっ!」
「まったくもう……呑気なこと言ってないで、反省してちょうだい」
スーツ姿の美女は、はしゃぐねるの姿に溜め息をつく。それから、
「ねるさん、耳と尻尾」
と注意する。
「ふやっ!?あっ!あわわわっ!」
言われて初めて、ねるは自分に獣の耳と尻尾が生えていることに気が付いた。陽人も美女と同じように溜め息をつく。
「またかよぉねる……相変わらず、化けの皮がすぐに剥がれるなあ……化け狸のくせに」
「ううっ、だってぇ……ビックリしたら出ちゃうんだよぉ」
「それにしたって、もう少しセーブできるようにしてほしいわね」
美女に言われて、ねるは「はうぅ」と項垂れる。
「それから、陽人くん」
ねるに注意した後、美女は陽人に顔を向けた。
「は、はい?」
「何だかお肌がこんがり焼けているみたいだけど?」
「え、い、いやあ……気のせいじゃないかなあ……ほら、最近、紫外線とか酷いだろ……オゾンホールが、えーと……」
陽人はどうにかして自爆したことを誤魔化そうとしたが……。
「ふん、くだらん知識ばっかり増やしおって。自分の力もまともに制御できん小僧っ子が」
少女の声がそれを遮った。いきなり言葉を投げかけられ、陽人はビックリして飛び上がった。
「どわあ!あ、葵!?」
気配も無く突然現れたのは、半透明の巫女服のような衣装を着た黒髪の少女だ。
「葵ぃぃ、勝手に出てこないでって言ってるでしょおっ!」
いかにもトロくさい仕草で、美波が陽人たちの元に走ってきた。半透明の少女・葵は、美波に険しい顔を向ける。
「美波っ!おんしもじゃ!まだまだ戦い方が甘い!そんなことでは小池の家を継げると思うとおるのかえっ!?」
葵に叱責され、美波はシュンッと落ち込む。
「うぅっ、だ、だってぇ……」
「葵ーっ、あんまり美波イジメちゃだめだよー」
今にも泣き出しそうな美波と葵の間に割って入った。
「何を言うておる!わらわの言葉は値千金のあどばいすじゃっ!」
「はいはいはい!い・い・か・らっ!」
わあわあと好き勝手に盛り上がる面々に、スーツ姿の美女……野波麻帆はパンパンと手を叩いて、自分に注意を向けさせる。
「ねるさん、とにかく耳と尻尾をしまってちょうだい」
麻帆に言われ、ねるは慌てて頭とお尻をパタパタッと払う。それでようやく、耳と尻尾がなくなった。麻帆は「よろしい」と、やれやれという感じで頷く。
「葵も消えてて。出しているだけで消耗しちゃうんだから」
美波は葵に言う。葵は彼女の言葉を聞いて、大仰な溜め息をついた。
「まったく、情けない。おんしの母親などはのう……」
「ああーん!もう!」
まだ何かブツブツと言いかける葵を、美波は手をバタバタと振って追い払った。それでやっと、葵の姿はシュウッと消えた。美波は「ふうーっ……」と大きく嘆息する。
麻帆は「まったく」と首を左右に振った。
「しょうのない子たちね」
陽人たちは一列に並び、麻帆の前でガックリと首を垂れる。
ここで話をいくつか整理しよう。
古座川陽人と長濱ねる、この二人は実は人間ではない。ねるの正体は化け狸であり、陽人の幼なじみである。ちなみに、陽人の方は化け狸ではない。
そして小池美波……彼女自身の妖力はまだまだ大したものではない。だが代々小池家に祀られている《兎神》という神を口寄せて憑依させ、それに戦わせる能力を持っている。半透明の少女・葵……それが《兎神》だ。
美波が口寄せなどしなくても、しょうちゅう出てくる。そして、口うるさい。葵はすずなの妖力を使って具現化するので、出てくるたびに美波は妖力を吸われてしまうので、彼女にとっては迷惑な話である。
そしてスーツ姿の美女である野波麻帆は、陽人たちのボスであった。表向きは陽人たちが通っている学校の教師で、担任である。
しかし裏では、妖魔退治の会社の社長をしていた。従業員は少ないが……。
陽人とねる、そして美波は、麻帆の会社の従業員なのだ。
「さあさ、ヘンなところで時間食っちゃったわ。早く事務所に行きましょう」
麻帆の言葉に、ねるは元気に「はあーいっ!」と返事をする。美波は静かに「はい」、陽人はぞんざいな感じで「りょーかい!」と返事をした。学校の帰りに麻帆の会社に寄るのが、陽人たちの日課である。新しい仕事が来ていればそれに出かけるし、来ていなければ一日の報告をして解散だ。
立て続けに仕事が入ることなど、麻帆のような小さな会社では滅多にないことであるが。
「陽人ぉっ!学食のミラクルドリームパラダイスパフェ賭けて競争っ!」
そう言ってねるはいきなり駆けだした。
「うおっ!負けるかっ!」
陽人はダッシュでねるを追いかける。
その後を、麻帆と美波はのんびりと歩いていく。
「本当にもう、調子がいいんだから」
麻帆は何度目かの溜め息をつく。美波はそんな麻帆に「あはは……」と力無く笑いかける。
「でも私、また二人に助けられちゃって……」
「それはいいけど……陽人くん、また失敗したのね?」
「うっ……えっと……」
美波は誤魔化そうとするが麻帆に、
「庇わなくていいのよ」
と言われる。
「見ていたんだから」
「あう……」
そう言われては、美波は何も言えなくなってしまう。
「それにねるさん……まだまだ尻尾を出すクセ、直ってないわね」
「ビックリすると出ちゃうんだって言ってましたけど……」
「もう人間の暮らしにも、だいぶ慣れたと思ったんだけど……まだまだねぇ」
「麻帆先生が二人をスカウトしたんですよね?」
美波に問われ、麻帆は「ええ」と頷く。
「ある村で暮らしてたんだけれど、半年前に妖魔の襲撃に遭ってね……私が出会った時は、もう二人ともボロボロだった……」
「…………」
「まあいずれにしても、あの二人には色々頑張ってもらわなくちゃね」
「わ、私も……っ」
「そうよ、美波さん。あなたもちゃんと葵を使いこなせるようになって、逆にあの子たちを助けてあげるくらいでなくっちゃ」
「は、はいっ!」
その頃、とある歩道では──。
「とりゃああっ!あとワンコーナーあああっ!」
ねるが物凄いスピードで走っていた。ドドドドッ!という大きな足音と共に砂煙が舞い上がっているほどだ。
「ねるぅうっ、ずるいぞっ!よーいドンからのやり直しを要求するぅぅっ!」
そんなねるの姿を、同じように物凄いスピードで陽人が追いかけている。だが、なかなかねるには追いつけない。
陽人も脚には自信があるが、食べ物を賭けた時のねるのバネに対抗するのは難しかった。
しかもねるは『よーいドンッ!』をしなかったので、完全にフライングであった。
「くっそ、負けねえぞっ!最終コーナーで決着だあっ!」
「よおおーしっ!」
もはや明らかに人間のものではないスピードで、二人はほとんど同時にラストコーナーを回った。が、その時だった──。
「ふぎゃああっ!?」
「うおおおっ!?」
ドシンッと大きな音を立てて、ねると陽人は誰かとぶつかり尻餅をついた。
「きゃああっ!」
陽人とねるの全身に衝撃が走るとのと同時に、少女の悲鳴が響き渡る。
「いぅつぅ……ご、ごめんなさいっ……大丈夫?」
ねるは立ち上がって、ぶつかった誰かに問う。コーナーを曲がるのと同時に、陽人とねるは向こうからやって来た誰かにぶつかってしまったのだ。
「す、すみませんっ!怪我はありませんか!?」
陽人も慌てて立ち上がり、物凄いスピードで衝突してしまった人を助け起こそうとする。
「っつつ……どこのおバカさんかと思ったら……あなたたちでしたの!?」
尻餅をついた状態で文句を言う少女を見て、ねるは露骨に「げげっ!」と顔をしかめた。
「なんだ、茜か……大丈夫か、ねる?」
陽人はぶつかった誰か……茶髪の少女茜ではなく、ねるの方を心配する。
「ちょっと!それはどういう意味ですの!?」
茜は陽人をギロッと睨む。元々がきつそうに見える少女だ。そうすると、さらにきつさが増して見えた。
「いや、茜ならぶつかっても大丈夫かな、と思って」
そう言って陽人は茜に手を差し伸べる。
「まったく!わたくしが高等な妖魔だからよかったようなものの……っ!」
差し伸べられた手をパンッと振り払い、彼女はすくっと自分で立ち上がった。そして優雅な仕草で、ファサッと自慢の髪を後ろに払い上げる。
綺麗だが鋭い目が、陽人の隣に立つねるに向けられた。
「あなたみたいなバカ力のコダヌキ風情に突進されたんじゃあ、普通の人間なんてペチャンコですわよ?ここがド田舎のお山の中じゃないってこと、あなたお分かり?」
「あ、謝ったでしょ……」
「謝れば済むって問題でもございませんでしょ?」
キュッと眉を寄せ、茜はくるくる回りながら服装のチェックをする。
「あらやだ、こんなところにシミができてますわっ」
見れば確かに尻餅をついた拍子にか、茜のスカートの後ろに汚れができてしまっていた。
「ウルファートっ!」
茜はパッと左手を構えると、指輪の石に華奢な指先を触れさせて叫ぶ。すると指輪の石から赤紫色の光がキュウウウウウウンッ!とほとばしり、
「お呼びでしょうか、茜様」
長身で色白の、どこからどう見ても美男子の執事風の男が出現した。
「スカートの埃を払ってちょうだい!嫌になりますわ、またあのコダヌキですの」
「おや、これはコダヌキ様、ご機嫌麗しう」
執事風の美男子は邪気の無い笑みをねるに向けて言う。
ねるはムッとした顔で、
「麗しくないもんっ、ウルの意地悪!」
と返した。そんな膨れっ面のねるの態度はどこ吹く風で、執事は胸からハンカチを取り出すと茜のスカートの裾を恭しく摘んでパタパタと埃を払っている。
「茜様、終わりましてございます」
「ご苦労」
その時、
「もう、なんの騒ぎなの?街中で……」
「ふああ、ふ、二人ともかけっこ速すぎです……」
麻帆と美波が、その場にやって来た。
「茜さん……ウルファートまで、どうしたっていうの?」
麻帆はその場に陽人とねる以外に、茜と執事風の男ウルファートがいるのを見て怪訝に訪ねる。
「麻帆さん、聞いてくださいます?わたくしが仕事に向かおうとしましたら、このコダヌキさんと能無しさんが……」
「の、能無しぃ!?おい、誰のことだよっ!?」
茜の言葉に、陽人は声を荒げた。茜はさも当然のように陽人に顔を向け、
「あなた以外に、いらっしゃいませんでしょう?」
と言う。
「はわわっ!ケ、ケンカはダメですよっ!ケンカはっ!」
バチバチッ!と火花を散らす陽人と茜の間を、美波がバタバタと駆け回った。
「あの……」
突然、背後からボソッとしたこえをかけられて陽人は、
「うわあっ!?」
と飛び上がってしまう。振り返ると、そこにはピッタリとした黒服に身を包んだ美少年が立っていた。物騒なことに、腰の左側に二本の刀を差している。
「み、瑞穂か……もうやめてくれよ、その声のかけ方。心臓に悪いからさあ」
「む……すまない」
陽人に言われ、瑞穂という美少年は素直に謝った。
「あーいや、そんなバカ丁寧に謝らなくてもいいけどさ……」
瑞穂と絡むと、陽人はどうにも調子が狂わされてしまって仕方がなかった。
ここでまた、話を整理しよう。
ねるとぶつかったのは守屋茜……陽人たちと同じ、麻帆の会社の従業員だ。先ほど自分でも言ったが、彼女はいわゆる《高等な》妖魔であるらしい。
付喪神……九十九年生きて、百年目を迎えた物が生命を持った存在を使役する能力を持つ。ウルファートと名付けられた執事も人間や妖魔ではない。実は人形である。百年以上も前に海外で造られた、最高級のアンティークであるらしい。
二本の刀を腰に差しているのは土生瑞穂……あまり自分のことを話さないので、陽人たちは《彼女》のことをよく知らない。そう、彼女だ……男物の服を着ているし、容姿も少年のようではあるが、立派な女性である。周知の事実であるが、瑞穂はそのことを言われるのを嫌っているようであった。
「茜、もうよいだろう」
「あら、瑞穂はこんなコダヌキの肩を持ちますの゙?」
茜にコダヌキ呼ばわりされ続けているねるは、
「コダヌキじゃないもんっ!」
と文句を言う。
「ではなく、そろそろ仕事に向かわねば」
「そうそう」
と麻帆が割って入る。
「茜、瑞穂……あなたたち、もうとっくに現場に向かっているものだと思ってたけど」
「申し訳ございません麻帆様」
謝ったのは茜でも瑞穂でもなく、ウルファートであった。
「先ほど茜様がどうしてもスーパーに立ち寄り、特製のプリンを買い占めるのだと仰いましたものでして……」
「ちょ!ウルファート!余計なことは言わなくて結構!」
「うむ、私とウルファートとで列に並んでだな、ぷりんを買っておったらこのような時間になってしまったのだ」
そう言って瑞穂は「ふうっ」と大きな溜め息をつく。
「瑞穂ぉっ!」
余計なことを言う瑞穂に怒る茜。怒る主とは裏腹に、ウルファートは自慢げな顔で、
「しかし、ご覧ください。こうして無事、特売売り場のプリンを独占いたしましたので」
パパッと手を動かす。すると手品のように、彼の手に大量のプリンが詰まったレジ袋が三つ現れた。麻帆も瑞穂と同じように大きな溜め息をつく。
「分かったわ……それはもういいから、早く仕事に向かってちょうだい」
「わ、分かってますわよ!ウルファートっ!」
「はい、茜様。それでは皆様、失礼いたします」
茜の声に応えると、ウルファートはまた手をパパッと動かして大量の戦利品をどこかに掻き消すと、しゅんっと茜の指輪の中に戻った。
「さ、行きますわよ、瑞穂!」
「うむ、私は先ほどから早く行こうと言っておったが」
少し古くさい喋り方をするのが、瑞穂の癖だ。
「まったく!コダヌキさんたちのおかげで、とんだ時間の浪費でしたわ!」
「ぶ、ぶつかったのは悪かったけど、茜だって寄り道してたじゃんっ!」
茜に食ってかかろうとするねるを美波が、「ねるちゃん、落ち着いて!」と止める。
「プリンなら、後で買ってあげるからあっ!」
だがねるを宥める美波の方向性は微妙におかしかった。
「美波、論点が違うぞ」
陽人の言葉に美波は、
「え?」
と不思議そうな表情になる。その間に茜は悠々と立ち去るふりをして、そそくさと行ってしまった。瑞穂は陽人たちに軽く頭を下げ、茜の背中を追う。
「なんか、ドッと疲れた……」
それを見送り、陽人は溜め息混じりに言う。ねるの方は「ぷぅっ!」と唇を尖らせている。そんな二人を麻帆は「まあまあ」と宥める。
「本当はいい子なのよ。あなたたちだって、それは知っているでしょう?」
「そりゃ……でも向こうから突っかかってくるんだもん」
ねるは唇を尖らせたまま言う。
「だってねるちゃん、いつもケンカ腰でお話するから……茜さんって、私には普通に優しいんだよ?」
そう言う美波にねるは「甘い!」と告げる。
「美波は、そもそも判定が甘いんだよ!何でもかんでも優しいって言うんだもん」
「うーん、そうかなあ?」
首を傾げる美波に、ねるは「そうだよっ!」と返す。
「まあ、それはそれとして」
麻帆が割って入ってくる。
「陽人くん、ねるさん、街中で全力疾走はナシって前に約束したんじゃなかったかしら?」
麻帆の言葉に、陽人とねるはビシッと気を付けをしてしまう。
陽人は人間の生活というものは面倒だな、と感じた。
麻帆の会社に着いた頃には、辺りはすっかり暗くなってしまっていた。
「もう、みんな遅いんだから。寂しかったのよ」
陽人たちを、優しげな雰囲気を漂わせている女性が迎える。歳は麻帆と同じくらいだ。
酒井若菜、この会社の経理や事務を担当している。
「途中で茜くんたちに会わなかったかい?僕の方から例の件、頼んでおいたんだけど」
眼鏡をかけたスーツ姿の男性が訪ねる。やはり歳は麻帆と同じくらいだ。
「会ったわよ。おかげで大変だったわ」
麻帆は肩をすくめながら言う。
眼鏡の男性は西宮一成。若菜と同じ会社の事務の方を主に担当している。
麻帆と若菜、そして一成の三人は学生時代からの友人関係にあると陽人たちは以前聞いたことがあった。
「はうぅうっ!若菜ちゃん若菜ちゃん!美味しい匂いがぷんぷんするよっ!」
ねるは耳と尻尾を出してピョンピョンと飛びはねる。若菜は優しい笑顏で「うふふ」と笑う。
「そうよ、ねるちゃんたちにいっぱい食べてもらおうと思って……ほらっ!」
「はああっぁうううぅんっ!」
事務所のテーブルの上の布巾を、若菜はパッと取り除く。そこには山盛りのクッキーがあった。それを見てねるは満面の笑みを浮かべた。
「食べていいっ?ねえ、食べていいっ?これ食べていいのっ!?」
「ええ、食べていいわよ。さあさあ陽人くんも美波ちゃんも、麻帆ちゃんも一成くんも食べましょ」
若菜がそう言うと、ねるはクッキーを両手で掴んでガツガツと食べ始めた。
「あ、ねるちゃんダメだよ、手を洗わないと!」
と、美波は注意するが、
「むふぅっ、もふもふ、むぐ、んふぅーっ!」
心底幸せそうにクッキーを食べているねるの耳には届いていないようだ。
「ダメだ……完全に野生に戻ってる」
陽人は野生の本能剥き出しのねるの姿に呆れる。麻帆に注意されてまだ間もないというのに、ねるは喜びのあまり耳と尻尾が全開になっていた。尻尾をブンブンと左右に振りながら両手にクッキーを鷲掴みにして食べているその姿は狸というよりリスのようであった。
「よくあんな甘いものたべられるわね」
麻帆は呆れた口調で言う。
「私はコーヒーだけでいいわ」
「僕もそうしようかな。淹れてくるよ」
そう言って一成はキッチンの方に向かった。
「ええー、麻帆ちゃんも食べられるように、お砂糖控えめに作ったのに……」
「ありがと、また今度いただくわ若菜」
しょぼんとする若菜に、麻帆は苦笑する。陽人たちに厳しい麻帆も、若菜相手でな調子が狂うらしい。
「ところで、あの子はどうしたの?」
一成が持ってきたコーヒーを飲みかけ、ふと麻帆は顔を上げる。その時だった……。
「むほぉおおっ!遅かったのう、美波ちゃあぁんっ、待ちくたびれたではないかあ!」
「きゃあああっ!」
謎の声の後に美波の悲鳴が響いた。美波のスカートの中に、唐突に弾丸のような勢いでサッカーボール大の生き物が突っ込んだのだ。
「むほっ、むほっ、今日も甘酸っぱいええー匂いじゃのーっ!」
美波のスカートの中に上半身を突っ込み、尻尾をブンブン振り回しいるのは、ボストンテリアのような姿の物の怪だ。
「こら!美波から離れろ!」
陽人はソレの尻尾を掴んで美波のスカートの中から引き抜き、放り投げた。ポーンッと放り投げられたその軌跡を利用し、
「うほほ、今日もねるちゃんのお尻はぷりっぷりっじゃのーっ!」
クッキーを食べるのに夢中になっているねるのお尻に飛び付いた。ソレはねるのスカートの中に頭を突っ込んでフガフガと鼻を鳴らすが、ねるはクッキーに夢中でまったく意に介していない様子である。
「いい加減に……しなさあーいっ!」
傍若無人なセクハラ犬に、とうとう麻帆が叫ぶ。雷が落ちたような恫喝に、陽人と美波は「うあっ!」「ひゃあっ!」と飛び上がった。
「むっふーん、何じゃ何じゃ、ヒステリーが。じーさまの日々の些細な楽しみまで奪おうと言うんくっ!?」
そう言って犬のようなソレはねるから離れたかと思うと、若菜の胸に勢いよく飛び込んだ。若菜はソレを受け止める。
「もう、麻帆ちゃんったら、そんなに大きな声出しちゃダメでしょ?コマちゃんが怖がるじゃない」
「そーじゃそーじゃー」
「あんたねえ……」
若菜の豊かな胸にぽふーんと顔を埋めながら言う犬のようなソレに、麻帆は青筋を立てながら溜め息をついた。
「コマちゃんは麻帆ちゃんのパートナーなんだから、仲良ししなきゃダメよー。ね、コマちゃん?」
「ワシものー、相棒が若菜ちゃんのような優しい美女や、美波ちゃんのようなピチピチプリプリのおなごじゃたらのー」
「悪かったわねえ、色気のないヒステリー女で」
「むほほっ、自分のことを自分でよう分かっとるではないか」
若菜に抱かれて尻尾をパタパタ振っているのは、ボストンテリアのように見えるがそうではない。ボストンテリアが喋るわけはないのだから。そうは見えないが、若菜の胸にいるのは狛犬である。名前はコマ……麻帆のパートナー、いわば式神のようなものである。だが陽人はコマが役に立つのか立たないのか知らない。役に立っているところを見たことがないのだから。
「むふーん、美味しかったあー。若菜ちゃんのクッキー大好きぃー!」
口の周りを食べかすだらけにしているねるが、満足そうに言う。見れば、皿にはもうクッキーは一枚も残っていなかった。
「あ、ねる!俺たちの分どうしたんだよ!?」
「あれー、コマいたの?」
ねるの耳に、陽人の文句は届いていないようだ。
「おうおうねるちゃん、相変わらずおバカでかわいいのう」
大量のクッキーを一人で平らげたねるは、コマがスカートの中に頭を突っ込んでフガフガしていたのに気付いていなかったようだ。それほど食べることに夢中になっていたのだろう。
「うふふ、陽人くんと美波ちゃんの分はこれね」
若菜は陽人とねるにラッピングした袋を渡した。
「わあ、ありがとうございます!」
「おおっ!さすがは若菜さん!」
「あう……わたしのは?」
ねるは自分の分がないことに不満を露わにする。陽人はそんな彼女に呆れてしまう。
「お前は今、散々食っただろーが」
「ふふ、はい、ねるちゃんも」
若菜はねるにも袋を差し出す。
「わあーいっ!若菜ちゃん、ありがとー!」
袋を受け取り、ねるは飛び上がって喜ぶ。
ちゃんとねるの分も用意しているあたり、若菜はすごいと陽人は思った。
「で、今日は他に何か?」
仕切り直すように麻帆が尋ねると、
「今日は茜くんと瑞穂くんに頼んだので全部だよ」
一成はそう答えた。
「じゃ、今日は解散?」
陽人が問うと麻帆は「そうね」と頷く。
「お疲れ様。帰ったら、今日のこと、ちゃんと反省するのよ?」
「うっ……は、はい」
言葉に詰まりながらも、陽人は麻帆の言葉に頷いた。ねるの方は、
「わかったー」
と明るく元気に答える。本当に分かっているのかどうか、怪しいものであった。
「す、すみません」
美波は体を小さくして謝る。
そして三人は、事務所を後にした。
帰路に着きながら、
「むぐむぐ……いやー失敗失敗!」
ねるはクッキーを頬張りながら言う。
「今日は参っひゃったねえ、もぐもぐ」
「全然参っているように見えないぞ」
ボリボリとクッキーを貪っているねるの姿は、陽人の言うとおり参っているようには見えない。
「はぁ、私、ふたりに迷惑ばっかりかけちゃって……ごめんね」
美波は歩きながら項垂れる。
「何言ってんだよ、美波は頑張ってるじゃん」
陽人は美波を慰めるが、彼女は「ううん」と首を左右に振った。
「頑張ってるだけじゃ……やっぱり結果にださなくちゃ意味がないもん」
「美波は真面目だなあ」
と、いきなりニョッキリと葵が姿を現した。
「そろそろ小池の跡取りとして、それなりになってもらわんとのー」
「うわっ、葵」
唐突に葵が現れたものだから、陽人は驚いてしまう。
「ああ葵!勝手に出てきちゃダメだってば!」
美波の文句に、葵は溜め息をつく。
「わらわがこう易々と出てこられるのが問題なのじゃろが。妖力でしっかり抑えておかぬか」
「もうっ……えいっ!」
美波がキュッと目をつぶって拳を握り、気合を発すると葵の姿はパッと消えた。
「あんなうるさいのがお目付け役じゃあ、美波も大変だな」
「でも葵は私のこと思って言ってくれてるから……」
そう言って控えめに笑ってはにかむ美波。その仕草を陽人はいじらしいと感じた。
(それに比べて……)
陽人は視線をねるに移す。
「ひょーひ、あひらはみんらでひょっくんひゅおー」
「口いっぱいに食い物を頬張ったままで喋るなっ!」
ねるに叫んだ陽人は、少しは美波を見習ってほしいものだと思った。
やがて三人が住んでいるアパートが見えた。会社の近くにあるアパート……麻帆が陽人たちのために借りているものだ。家賃は給料から天引きされていた──。
「まったく、あの子たちったら本当に台風みたいなんだから」
陽人たちが去った後の事務所で、麻帆は疲れたような口調で言う。一成は笑いながら、
「元気があっていいじゃないか」
と彼女に言う。
「そうよぉ、おかげでここも賑やかになったし」
若菜は微笑みながら言う。
「そうだね。ここを興した時から考えたら夢のようじゃないか。三人で組織を抜けて、ここを立ち上げた時なんて本当に寂しかったからね」
一成の言葉に若菜は「ええ」と頷く。
「あそこに比べたらまだまだ零細よ」
麻帆は肩をすくめながら言う。
「麻帆ちゃん、あそこ嫌いだものね」
若菜の言葉に麻帆は思った。
(確かに好きじゃないわ……組織のせいで若菜の旦那は……もう無茶な仕事で仲間を失いたくないわ)
それから麻帆は一成と若菜に、
「ねえ、ちょっと気になることがあるんだけど……」
と告げた。
翌日、麻帆は学校を休んでいた。このようなことは珍しいことではない。時々あることだ。何か突発の仕事が入ったのだろうと陽人は思った。だが、会社の方にも麻帆の姿はなかった。会社にいるのは一成と若菜、そして茜と瑞穂だけであった。一成に聞いてみると、彼女は調べたいことがあるからと出かけているらしい。
お腹が減ったらしいねるは若菜に何かないか聞いたが、今日はお菓子を作っていなかったようだ。落ち込んだねるだったが、すぐに鼻をクンクンと鳴らした。
「くんくん……どこかで美味しそうな匂いがしてるんだけどなー?」
と、ねるは棚を開けて中を探り、
「あーっ、あったーチョコ、チョコ!」
と嬉しそうな声を上げて小躍りする。
「きゃっほー!チョコ見つけたよー!」
はしゃぐねるを見て、瑞穂は「うむ、なりよりだ」と大仰に頷く。
「瑞穂ちゃんにも、お裾分けしてあげるねー!」
そう言ってねるは瑞穂の返事も聞かず、拳ごと彼女の口にチョコを突っ込んだ。
「あがっ!?」
突然のことに瑞穂は目を白黒させる。そして喉をゴクンっと動かした。チョコを飲み込んだらしい。
その瞬間、
「っ!?」
顔を真っ赤にした瑞穂の口から、物凄い勢いで炎が噴き出された。
「ちょっ!コダヌキ!瑞穂に何をしましたのっ!?」
それを見て茜が叫ぶ。
「ほえー、み、瑞穂ちゃん、大丈夫?」
「ふぐ、げほっ、ごほっ……い、いや、大事ない……少し驚いただけだ……」
「ダメよ、そんなの食べちゃ!」
若菜が今更ながら言う。
「それ、麻帆ちゃんが昔買い込んで、結局使わなかった魔具よ。一応気付け薬なんだけど、よっぽどの状態じゃないと発動しないからまったく意味がないのよ」
若菜の説明によると、ピンチの時に一回限り復活が可能になるという感じらしい。傷ついた体を少しだけ癒やし、なおかつ一瞬だけ妖力が全快するとのことだ。ただし、食べた者の体が瀕死近くにまでならないと効果が出ないらしい。そして効果が出た後は、完全に動けなくなるとのことだ。不良品や欠陥品に近く、返品率は物凄かったらしい。何で麻帆はそんな物を買ったのか陽人は疑問に思った。
「麻帆ちゃん、昔から買い物が下手だったから」
若菜はフォローにならないようなフォローをした。
「仕事の話があるんだけど」
瑞穂の様子が落ち着いたところで一成が切り出す。山の近くにある廃病院、そこに残留する魂を食べる妖魔がいるとのこと。その妖魔退治が仕事の内容だ。
「はーいはいはい!わたし!わたしが行くよーっ!」
一成の話を聞き、ねるが両手を振って言う。
「残留魂目当てのザコ退治……そんな仕事、わたくしは御免こうむりますわ。コダヌキさんには丁度良いかもしれませんわね」
茜の言葉にねるは顔をムスッと膨らませた。
「なによぉその言い方!わたしだって別に茜の手助けなんていらないもん!わたし一人で充分だもん!」
そうねるは言うが、それは禁止だ。仕事は原則二人一組。何があるか分からないからだ。
廃病院には陽人とねるが行くことになった。
あちこちがボロボロの廃病院。残留する死者の魂を食らう下等な妖魔……その分身である触手の魂たちを、陽人とねるは次々と葬っていく。
「大したことないじゃない」
そうねるが言った時、
「ねる!後ろだ!」
陽人は叫んだ。ねるの背後に触手の魂が現れていた。触手の一本がねるに迫る。
「わわっ!もーっ、ビックリするでしょー!」
ねるは回し蹴りを放って触手を粉砕した。あちこちから触手が這う音が響く。多数の触手のような魂が、二人の周囲に集まっていた。
「むうー、こっちを囲んだつもり?」
ねるは身構えながら言う。
「でもでも、へーきだもんねーっ!」
背後と前方、そして左右からジュルジュル、ジュルジュルと威嚇のような音が響く。陽人とねるは背中合わせになる。迫ってくる触手の海……陽人たちは、それらを片っ端から始末していく。
どれほどの時間が経過しただろうか……?
「はー、はー……お、おりゃっ!」
陽人は肩で息をしながら五鈷杵を振って触手を粉砕する。
「ちえーいっ!」
ねるの拳が妖魔を粉砕する。
「くそ!もう何十分こんなことやってるんだ、俺たち!?」
「陽人おーっ、わたしもう飽きちゃったよーっ!」
陽人の方は呼吸が乱れているが、ねるの方はまだ余裕があるようだ。
訳があり、陽人の体は人間のものとほとんど同じ能力しか発揮できない。要するに、ちょっとした身体能力、それ以外はほとんど人間と一緒なのだ。スタミナにも限度がある。
「うひゃあっ!」
と悲鳴を上げてねるは尻餅をつく。
「あいたたたー……床ベチョベチョだー」
山積みになった触手の残骸から、体液がドロドロと流れ出している。それが床を塗らし、ねるは足をとられてしまったのだ。
「くっそぉ!これじゃきりがない!」
消せども消せども妖魔は湧き出てくる。
「これじゃいつかは体力が尽きちまう……そうだっ!本体だ、ねる!」
「本体ぃ?」
「こいつらは分身だ!分身を生み出している本体がこの病院の中にいるはずだ!そいつを叩けば……」
「そっかー!陽人、あったまいいー!」
「だろ?」
本当に頭がいいのなら、数十分もこのようなことはしていないはずだが、陽人は気にせずに胸を張った。
「でも、どうすればいいの?」
襲いかかってくる触手を薙ぎ払いながら、ねるが問う。
「二手に……」
言いかけて、陽人は「いや」と思い直した。
「二人で捜そう。効率は悪くなるかもしれないが、もしものことがあったからじゃ遅いからな」
「らじゃーっ!」
飛びかかってきた触手の魂を、陽人は手加減して五鈷杵で斬り裂く。床に落ちた触手の魂はのたうち回る。だがやがて、
「あ、逃げていくよ!」
ねるの言葉どおり、ソレは血とも体液ともつかないものを撒き散らしながら後退をはじめた。
「追ってみよう!」
何の算段があったわけではないが、ここから……触手の海から離れるのが先決だった。
傷ついた触手が本体のいる所に行くことを祈りながら、陽人はねると一緒に触手の魂を追う。
追いすがってくる他の触手の魂をいなしながら、二人は傷を負った触手を追い続ける。しかし思った以上に院内は複雑で、曲がり角が多い。気を付けないと標的を見失ってしまいそうだった。見失いそうではなく、
「あれ?血の跡が……」
「見えなくなっちゃったね」
見失ってしまった。予想以上に触手の動きは素早く、いつしか陽人たちの視界から消えてしまっていた。
「ねる、匂いは残ってないか?」
「うーん、でもこの病院、どこもかしこもヤな臭いでいっぱいなんだよぉ……」
ねるはフンフンと鼻をひくつかせるが、確定できないようだ。と、廊下の突き当たり、開きっぱなしになっているドアが軋む音が響く。何かの影が、サッとドアの向こうに消える気配がした。
「陽人、あそこだよっ!」
「おうっ!」
二人は同時に駆けだし、奥の部屋へと突入した──。