第六章「ノルマンディー上陸作戦」
01
 世界はこんなにも綺麗な景色をしていたのか。
 青く澄み渡る空。朝の喧騒の街並みの中を僕は悠然と歩く。目に映るもの全てが輝いて見えた。
 
 これも全てあの壺のおかげだ。初めて出会った女性――はるっぴさんに僕は感謝が尽きなかった。もっと早くに出会っていたらと思う部分もあるが、それは贅沢といえよう。
 朝の息吹を感じる。草花たちが呼吸をしているのが分かる。僕の五感は限りなく研ぎ澄まされているようだ。
 
 壺を買って欲しければ、胸を揉ませろ――そんな僕の傍若無人な要求に、はるっぴさんは応えられなかった。が、代わりにチューをすると言った。
 まさかそんな条件を言い出して来るなんて思わなかった僕は、彼女の言葉に面食らった。
 
「マジっすか?」
 
「胸は嫌だけど、チューならいいよ。ただし頬っぺただけだけど」
 
「いや、頬っぺたでも初対面の人間ですよ。いいんですか」
 
「いいか悪いか訊かれたら、悪いに決まってるじゃん。でも、今月のノルマやばいし」
 
 数字に追われているのは、何も学生だけじゃない。大人もこうしてノルマという数字に追われているのだ。
 そう考えると、僕の中で罪悪感が生まれた。彼女だって必死にやっているのに、僕はなんて冷たい態度を取っていたのだろう。
 
「分かりましたよ。買いますよ、買いますから。ただお金がきついんで、一個で勘弁してください」
 
「え? 買ってくれんの? やったー」
 
 飛び跳ねて喜ぶ彼女を見ながら、僕はこれでいいのだと思うようにした。誰とも付き合ったことのない僕は、女性の喜ぶ顔を見るのがたまらなく嬉しかった。
 
「ねえ、君名前は?」
 
「橋本です。ハシケンとでも呼んでください」
 
「ハシケン君ね。私、はるっぴ。いやあ、ハシケン君はいい子だ。きっと幸運がこれでもかっていうくらい舞い込むよ」
 
「そうだといいんですけどね」
 
 正直言って、あの時の僕はこの壺のご利益なんて全く信じていなかった。ただ、はるっぴさんの笑顔がとても輝いて見えた。
 はるっぴさんは愛らしい顔と舌足らずな声をしていた。僕のタイプではなかったけど、でもこうして笑顔の彼女を見ていると、好きになってしまいそうだった。
 奈々未姉は白間さんといった、男勝りな女性たちが僕を取り巻いている中で、はるっぴさんはとても女性らしく見えたからかもしれない。
 
「はい。気を付けて持って帰ってね」
 
 新聞紙に包まれた壺を受け取り、カバンの中へしまいこんでいると、ふいに頬に何かが触れる感触がした。
 
「買ってくれたお礼。またね。ハシケン君」
 
 恥ずかしそうにはにかむはるっぴさん。これ以上ここにいたらもっと買ってしまいそうだった。
 僕は逃げるようにしてその場から立ち去った。


( 2015/10/07(水) 23:10 )