第五章「船頭多くして船山に上る」
05
「もういいかしら」
 
「あっ、すみません」
 
 そう言っておきながら、僕は後ろ髪を引かれる思いで白間さんの胸から手を離した。温かくて柔らかい感触がなくなった掌は寂しそうに虚空を掻く。
 
「満足した?」
 
「はい。とても貴重な体験でした」
 
 それでも僕は知っている。これはまだまだセックスでの序章に過ぎないことを。いわば前座のようなものだ。
 
「この先は自分の好きな人と、ね。コンビニの子よ、コンビニの」
 
「いや、別に江籠さんとはそういう関係を望んでいないっていうか」
 
「好きな子なのにエッチをしたくないっていうの?」
 
「そういうわけでは。いや、そりゃあしたくないかと言われたらあれですけど、でも江籠さんとはそういうんじゃないっていうか」
 
 自分でもハッキリとしないことに苛立ちを覚えた。が、どうしても上手く言葉が出てこないのだ。
 
「ハシケンの言いたいことは分かるよ。好きな人って、必ずしもエッチをしたいって思わないもんね」
 
 白間さんの言葉に僕は驚いた。
 
「え? 白間さんでも分かるんですか?」
 
「失礼ね。それじゃあ、まるであたしがセックス好きみたいじゃない。別にセックスは好きじゃないわよ。イチャイチャするのは好きだけどね」
 
「はあ。なんかそういうのが好きかなって勝手に思っていました」
 
 だからこそ、こんな僕に胸を揉ませてくれたんだろうとしか思えなかった。
 
「失礼しちゃうわ。それよりも、ハシケンはその子、エゴさん? 変わった苗字ね。その人とどうしたいわけ?」
 
 どうしたいのか。それは自分でもよく分からなかった。今のままの関係――客と店員の関係から一歩踏み出したい気持ちもあるが、僕なんかが告白をして江籠さんに迷惑をかけるような真似だけはしたくなかった。もし告白をして、江籠さんがコンビニのバイトを辞めてしまったらと考えると、胸が痛いのだ。
 
「正直分からないんです。今のままでもいいかなって思う反面、その、付き合いたくもあるっていうか……」
 
「ハッキリしないわねえ」
 
「だってしょうがないじゃないですか。もし告白をして、相手に迷惑だったと考えると、今のままの方がいいかなって思ってしまうんです」
 
「なんで告白をして迷惑になるのよ。それだったら、世の中の大人たちはみんな迷惑をかけたってことになるわよ。ハシケンがこの世に生まれたのも、両親がいたからでしょ。その両親だって、告白ぐらいしていると思うわ」
 
「それは、そうですけど……」
 
「ほら。もっとシャンとしなさい。男の子でしょ」
 
 僕の腕を掴み、ブンブンと上下に振り回す白間さん。僕なんかと違って、顔も整っているし、おっぱいだって大きければそりゃあ男なんて引く手数多だろう。
 そう考えると、不公平だ。生まれながらにして色気のある人にそんなことを言われたって、「はい、そうですか」なんて納得出来るはずがなかった。
 
「白間さんになんか分かりませんよ。僕のことなんて。もういいです。今日は帰りますから」
 
 白間さんの手を引き離し、僕は彼女から背を向けて来た道を戻ることにした。興奮し過ぎたのか、ドッと疲れが押し寄せてきた。


( 2015/10/04(日) 06:22 )