01
誰かが言った。『後悔というのは、後になって必ずすることなのだ』と。『“後”になって“悔“やむから、後悔なんだ』と。
言われてみれば、その通りである。前もって後悔するなんて、あるわけがない。僕は寝つけぬベッドの上で、妙に納得していた。
言えなかった。いや、正確に言えば、言ったことは言った。けれど、その声は自分でも情けないほどに掠れ、とても小さかった。
更に運が悪いことに、大型トラックが通過し、タクシーがクラクションを鳴らしたせいで、僕の声は完全にかき消されてしまった。僕のすぐ隣に居ても、聞こえない可能性があるほどに、僕の声は弱かった。
僕は叫びたかった。ドラマのように。
降りしきる雨。江籠さんが僕の前から消えようとしている。僕は駆け出し、彼女の小さな手を取る。
驚く彼女。赤い雨傘が落下する。
僕は彼女を抱き寄せる。彼女の赤く潤んだ目を見つめながら、僕はそっと彼女の唇を――
「健太郎ー! ご飯だってー」
扉越しから奈々未姉の声が聞こえ、僕は現実世界へ引き戻された。最近は、いつも奈々未姉に邪魔をされている気がしてならない。
「返事しろー」
扉を蹴飛ばす音が聞こえる。十八歳にもなって、何をしているんだ。
「分かったからドアを蹴飛ばさないで」
僕は大きく溜め息を吐くと、自室を出た。
「奈々未姉、頼むからドアは蹴飛ばさないでよ」
部屋から出ると、奈々未姉がいた。僕は言葉を選びながら文句を言う。
「あんたが返事をしないのが悪いの。さ、行くわよ」
悪びれる様子もなく、奈々未姉はさっさと階段を下りていってしまった。あんなガサツな人でも彼氏がいたんだと思うと、僕は悲しくなった。
どうして僕には彼女がいないんだろう。そりゃあ、好きな人に告白をしていないからかもしれないけど。
「早く降りて来なさい」
「分かってるって」
階段の下から聞こえてくる声。別に僕が居なくても、食事はあるのに。いくらか緩くはなったといえども、可能な限り家族が揃って食事をすることが、橋本家では暗黙のルールとなっている。
「ようやく来たわね」
リビングへ行くと、母さんがテーブルに料理を並べていた。奈々未姉はそでに座ってぼんやりとテレビを眺めている。
「遅いわよ」
「はいはい、悪かったね」
席へ座ると、奈々未姉に思い切り足を踏まれた。僕は痛みで、テーブルに膝をぶつけてしまい、味噌汁がこぼれた。
「こら、喧嘩しない」
さすがの奈々未姉でも、母さんには勝てない。この家のヒエラルキーの頂点に君臨しているからだ。
最後に母さんが席について、食事は始まった。食欲があまりない僕だけど、また変に絡まれるのが嫌だったから、ご飯を無理やり口の中へ運んだ。