第一章「僕はホモじゃない」
01
 昨夜降った雨のにおいがする。金魚が入った水槽のようなにおい。道路はまだ濡れていて、僕の歩く先には大きな水溜りがあった。
 太陽はすっかりと顔を出している時間なのだが、梅雨の厚い雲に隠されてしまっている。天気予報では一日曇り空で、ところにより雨が降るらしい。ジャンプ傘を持って行くかどうか悩んだ末、僕は折り畳み傘で充分だろうと判断し、持って行くのを止めた。
 
 西の空は、僕の真上にある空よりも薄い雲で、わずかに光が差しこんでいた。これならばきっと、僕が帰宅するまで天気は持つだろう。僕は足取りも軽く、バス停へと向かってグングンと歩いた。
 
「おはようさん」
 
 バス停に着くと、すでに何人かの人たちが並んで待っていた。その列の中に僕は見知った顔を見つけた。
 同級生の小嶋翼だ。顔は今時人気のいかにも優しそうな二枚目――つまり女顔に近いイケメンだ。それでいて、勉強も出来る優等生タイプだが、母子家庭で苦労をしているせいか、人の痛みが分かる人だった。
 
「おはよう。小嶋君もバスなんだ」
 
 彼はいつも女子たちから人気で、僕は彼のことが嫌いではないが、その女子たちの影があって、出来れば関わりたくない方だった。
 
「うん。雨が降るかもしれないからって親がうるさくて」
 
 小嶋君はそう言って歯を見せた。爽やかな笑顔。僕もこんな風に笑えたらなって思う。
 
「そうなんだ。僕も同じ。嫌だよね、雨って」
 
「そうだよな。あっ、バスが来たぞ」
 
 停留所にバスが到着する。僕は列に並ぶと、財布から硬貨を取り出した。
 
「“ハシケン”こっち」
 
 バスに乗り込むと、あだ名を呼ばれた。声の先には小嶋君が座って、手を振っていた。どうやら席を取っていてくれたようだ。
 
「ありがとう」
 
 いいよ、と言う小嶋君の隣に座る。きっと彼を狙っている子たちが見たら嫉妬するに違いない。
 入学して早いもので二か月半が経っているが、まだ小嶋君とはそこまで仲が良くなかった。それなのにもかかわらずこうして席を取っていてくれるなんて。
 これが女子の人気を集める要因の一つなのだろうと僕は思う。顔だけでは限界があるし、飽きられるのも早い。そこに行動が伴ってこそ、人気を持続させることが出来るのだろう。
 
「このまま降らなければいいけど」
 
 窓に肘を付きながら外の景色を見る小嶋君は、男の目から見てもいい男に見える。そりゃあ女子からモテるわけだ。僕は一人で納得する。
 
「何かあるの?」
 
「いや、特にはないけど、ただバイトに行くのがちょっと面倒になるなって」
 
「ああ。コンビニだっけ? バイトしてるの」
 
「そう。なんとか夜まで持ってくれればいいけど、無理かなあ」
 
 窓越しから空を見上げる小嶋君。僕も空を見ると、薄い雲がかかっていただけだった西の空は、いつの間にか厚い雲に覆われていた。


( 2015/10/04(日) 18:02 )