第一章「僕はホモじゃない」
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「すごいですよね。こんなに難しい雑誌を読むなんて」
 
 妄想の世界では、僕たちだけしか店にいない。だから彼女とはゆっくり会話出来た。
 
「そんなことはないですよ。暇潰しに読んでいるだけです」
 
「暇潰しだなんて。あの、よくここへ来ていますけど、家は近いんですか?」
 
 袋に詰めていた手が一瞬止まり、江籠さんと僕の目が合う。彼女はやや下から見上げるような体勢だ。
 
「そうですね。もちろんそれもそうなんですけど、僕は江籠さんの接客が好きなのもありますね」
 
 本音は接客なんて二の次だ。仮に無愛想な態度を取られたとしても、僕は通い詰めるだろう。
 
「そうなんですか。ありがとうございます。なんだか嬉しい」
 
 いつも見てますよアピールは大成功だ。これを爽やかさが欠けていると、単なる薄気味悪いストーカーみたいになってしまう。
 しかし妄想の中での僕は、小嶋君みたいに爽やかだ。だから、彼女に薄気味悪く思われない。
 
「コンビニって大変でしょ。色んなお客さんが来るし」
 
 中には、江籠さんの反応を見たくて、いかがわしい雑誌をわざとレジへ持って行く奴もいるだろうし、コンドームをこれ見よがしに買う奴もいるはずだ。僕はそれを思うと、沸々と怒りを覚える。江籠さんに変な物を見せるな、渡すな。
 
「そう、ですねえ。でも、もちろんいいことだってたくさんありますよ。あの、お名前が……」
 
 僕が彼女の名前を知っているのは、名札を見たと言っておけばいい。しかし、彼女は僕の名前を知らない。
 
「橋本です。橋本健太郎。ハシケンとでも呼んでください」
 
「分かりました。橋本さんって、高校生ですよね?」
 
「そうですよ。高校一年です」
 
「私も一年生なんですよ」
 
 共通点を見つけた江籠さんの表情が更に明るくなる。妄想の世界では、江籠さんとは同い年だ。
 
「奇遇ですね。あと、同い年なので敬語は止めませんか」
 
「そうですね。いや、うん、そうだね」
 
 はにかんだ江籠さんの笑顔が、夏の日差しに反射した海のように眩しい。
 
「おっと、バイトの邪魔をしちゃ悪いね」
 
「え、いや大丈夫、だよ。店長もいないし」
 
 店長どころか、無人のコンビニエンスストア内を二人は見渡した。
 
「誰もいないね」
 
 言いながら、頭の中で今朝歌った歌のフレーズが流れる。誰も触れない二人だけの国。
 
「うん。どうしちゃったんだろ」
 
 まるで世界に二人だけが取り残されたようだ。
 けれど、夢の終わりは唐突に訪れる。夢がいつか覚めるように。
 
「さあ? とりあえず僕はもう行くね」
 
 え? 行っちゃうの? そんな江籠さんの表情が思い浮かぶ。小さな子が母親に突き放されたように。
 
「はい、これ。僕の連絡先が書いてあるから、もしよかったら連絡をしてみてよ」
 
 二つ折りした小さなメモ用紙をカウンターに滑らせる。よく磨いてあるカウンターは紙が上手く滑って、彼女の手元へ届いた。
 
「うん。バイトが終わったらすぐに連絡するよ」
 
 僕は満足げに微笑む。
 
「分かった。じゃあ、また」
 
「またね」
 
 ありがとうございましたではない。そんな事務的な言葉じゃなくて、友達や恋人のような言葉で僕たちは離れた。
 いきなり全てをさらけ出すのは、好きじゃない。外堀を埋めるように、少しずつ彼女のことを知って、彼女もまた少しずつ僕のことを知っていくのだ。
 
 物語を一気に見せられたら、つまらないように。


( 2015/10/04(日) 05:57 )