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「すごいですよね。こんなに難しい雑誌を読むなんて」
妄想の世界では、僕たちだけしか店にいない。だから彼女とはゆっくり会話出来た。
「そんなことはないですよ。暇潰しに読んでいるだけです」
「暇潰しだなんて。あの、よくここへ来ていますけど、家は近いんですか?」
袋に詰めていた手が一瞬止まり、江籠さんと僕の目が合う。彼女はやや下から見上げるような体勢だ。
「そうですね。もちろんそれもそうなんですけど、僕は江籠さんの接客が好きなのもありますね」
本音は接客なんて二の次だ。仮に無愛想な態度を取られたとしても、僕は通い詰めるだろう。
「そうなんですか。ありがとうございます。なんだか嬉しい」
いつも見てますよアピールは大成功だ。これを爽やかさが欠けていると、単なる薄気味悪いストーカーみたいになってしまう。
しかし妄想の中での僕は、小嶋君みたいに爽やかだ。だから、彼女に薄気味悪く思われない。
「コンビニって大変でしょ。色んなお客さんが来るし」
中には、江籠さんの反応を見たくて、いかがわしい雑誌をわざとレジへ持って行く奴もいるだろうし、コンドームをこれ見よがしに買う奴もいるはずだ。僕はそれを思うと、沸々と怒りを覚える。江籠さんに変な物を見せるな、渡すな。
「そう、ですねえ。でも、もちろんいいことだってたくさんありますよ。あの、お名前が……」
僕が彼女の名前を知っているのは、名札を見たと言っておけばいい。しかし、彼女は僕の名前を知らない。
「橋本です。橋本健太郎。ハシケンとでも呼んでください」
「分かりました。橋本さんって、高校生ですよね?」
「そうですよ。高校一年です」
「私も一年生なんですよ」
共通点を見つけた江籠さんの表情が更に明るくなる。妄想の世界では、江籠さんとは同い年だ。
「奇遇ですね。あと、同い年なので敬語は止めませんか」
「そうですね。いや、うん、そうだね」
はにかんだ江籠さんの笑顔が、夏の日差しに反射した海のように眩しい。
「おっと、バイトの邪魔をしちゃ悪いね」
「え、いや大丈夫、だよ。店長もいないし」
店長どころか、無人のコンビニエンスストア内を二人は見渡した。
「誰もいないね」
言いながら、頭の中で今朝歌った歌のフレーズが流れる。誰も触れない二人だけの国。
「うん。どうしちゃったんだろ」
まるで世界に二人だけが取り残されたようだ。
けれど、夢の終わりは唐突に訪れる。夢がいつか覚めるように。
「さあ? とりあえず僕はもう行くね」
え? 行っちゃうの? そんな江籠さんの表情が思い浮かぶ。小さな子が母親に突き放されたように。
「はい、これ。僕の連絡先が書いてあるから、もしよかったら連絡をしてみてよ」
二つ折りした小さなメモ用紙をカウンターに滑らせる。よく磨いてあるカウンターは紙が上手く滑って、彼女の手元へ届いた。
「うん。バイトが終わったらすぐに連絡するよ」
僕は満足げに微笑む。
「分かった。じゃあ、また」
「またね」
ありがとうございましたではない。そんな事務的な言葉じゃなくて、友達や恋人のような言葉で僕たちは離れた。
いきなり全てをさらけ出すのは、好きじゃない。外堀を埋めるように、少しずつ彼女のことを知って、彼女もまた少しずつ僕のことを知っていくのだ。
物語を一気に見せられたら、つまらないように。