第一章「僕はホモじゃない」
09
 リビングに行くと、すでにテーブルの上には料理が並んでいた。奈々未姉は先に食事を始めていたが、母さんの姿はなかった。父はいつも遅いから僕たちとは別に食べているが、母さんがいないのは珍しいことだった。
 
「あれ、母さんは?」
 
「回覧板を届けに行ったわよ。どうせ長話でもしてるんでしょ」
 
 ふーん、と言いながら僕は席に着く。湯気の立つ料理に手を付けようとすると、向かいの席に座る奈々未姉に蹴られた。
 
「なんだよ」
 
「お茶」
 
 急須は台所にあった。自分で歩いて行けばいいのに。けれど、僕はそんな不満をグッと飲み込むと、立ち上がって急須を取りに行った。
 
「はい」
 
「ん」
 
 お礼の一つも言わない奈々未姉。これが僕の日常なのだ。逆にお礼を言われた方が、かえって不気味だ。
 
「奈々未姉は今日大学行ったの?」
 
「いや。一日寝てた」
 
 大学生の奈々未姉だが、あまり大学に行っている様子はなかった。コロコロと変えるバイトの方が多いのではないだろうか。
 
「そんなに行かなければ留年しちゃうよ」
 
 大学に入ったばかりではあるが、留年の自覚はすでにあるはずだ。
 
「あんたに言われなくても分かってるわよ。計算しているから大丈夫」
 
「それが狂う時だってあるって。予想外の出来事とかさあ」
 
 今度は足を踏まれた。僕は痛みで思わず箸を落としてしまった。
 
「小姑か、あんたは」
 
「心配してあげてるだけだよ」
 
「あんたに心配されなくても平気よ。それより、あんたの方はどうなの」
 
 フローリングに落ちた箸を拾い、台所に行って洗ってまた戻る。
 
「別にいつも通りだよ」
 
「いつも通り、ねえ。つまんない学校生活ね、そしたら」
 
 さすがにカチンときたが、ここで反論してはダメだ。僕は堅忍持久の四字を頭の中で唱える。
 
「かもね。そういえば、今日朝、小嶋君と会ったよ。彼も雨が降るかもしれないから、バスで登校してたみたい」
 
 話題を変えたくて、咄嗟に僕は今朝のことを話した。心なしか、奈々未姉の片眉がピクリと反応したように見えた。
 
「ふーん。そう」
 
「でね、小嶋君って偉いんだ」
 
 僕はバスの中で会話した内容を話した。親を大事にしている小嶋君。本当は奈々未姉にも見習って欲しかったから、僕はあえて自分の教訓にしたいという旨で話すことにした。
 そのままストレートに見習って欲しいとでも言えば、今度はどんな攻撃をされるか分かったものじゃないから。
 
「あんた、小嶋君の話をしている時、ずいぶんと嬉しそうね。もしかして、ホモ?」
 
 自分なりに上手く話せた方だと思う。けれど、僕の話を聞き終えて開口一番、奈々未姉は僕をホモ扱いした。
 
「違う。僕はホモなんかじゃない」
 
 僕には江籠さんという好きな子がいるのだ。断じてホモではない。
 
「その割には、ずいぶんと楽しそうに小嶋君のことを話すじゃない」
 
 鏡を見ていないから自分がどんな顔で話していたかは分からない。そんなにも楽しそうな顔をしていたのだろうか。
 
「仮にそうだったとしても、僕は断じてホモじゃないから」
 
 湯呑に入ったお茶を飲みながら、奈々未姉は探るような目で僕のことを見ていた。
 
「何をそんなに、必死になって否定しているのかしらね」


( 2015/10/04(日) 05:56 )