第十章「勇者ハシケン」
13
 無情のチャイムの音を聞きながら、僕は江籠さんの方を見た。そうすると、困ったような顔で僕のことを見つめる彼女と目が合った。
 講師が授業の終わりを告げる。生徒たちは一斉に机の上に広げた教科書たちをカバンにしまっていく。僕はその光景をぼんやりと眺めるだけで、何も手に付かなかった。

「ねえ、私に用があるんじゃないの?」

 生徒たちの何人かが帰って行くと、江籠さんが僕の机にやって来た。それだけなのに、僕の胸はドクンと跳ね上がった。

「あ、ああ、うん。ちょっと待ってて。すぐに準備をするから」

「下で待ってるよ」

「うん。すぐに行くから」

 慌てて教科書をカバンの中に詰め込もうとしたけど、指からスルリと抜け落ち、床に落ちた。僕はそれを拾おうとすると、自分の指先が震えていることに気が付いた。

「ああ、ハシケン君」

 何とかカバンの中に荷物を詰め込むと、僕は教室を出た。そうすると、廊下でバッタリと福岡さんに出くわした。

「どうも」

「そういえば、志望校は決めた?」

「まだです」

「まだかあ。いくら時間がまだあるからっていっても、そろそろ決めとかなきゃダメよ。目標がないと勉強にも身が入らないでしょう?」

 真面目な福岡さんに捕まってしまった。僕のことを心配してくれるのはありがたいけど、本当に心配してもらいたいのは今は志望校のことじゃない。

「ああ、今日はちょっと体調が悪いんで、もう帰ります」

「大丈夫? 風邪?」

「生理痛です」

 そう言い残し、僕は慌ててエレベーターに乗り込もうとしたけど、僕がいる階には来ていなかったから、諦めて階段で下りることにした。

「ごめん、お待たせ」

 階段を駆け下りると、江籠さんはパンフレットを眺めていた。

「そんなに慌てなくてもいいのに」

「いや、でもあんまり遅くなると悪いから」

 その時は送って行こう――そう思ったけど、僕は徒歩で、江籠さんは自転車だった。

「そう。で、何かな?」

 パンフレットを棚に戻すと、江籠さんは首を傾げた。それだけなのに、僕の心臓はズキュンと打たれた。
 そう。好きな人の何気ない動作でさえ、ハートを打ち抜かれるのだ。これまでは誇張された表現だと思っていたけど、実際にやられてみて、それは本当なのだと実感せざるを得なかった。

「いやあ、ここじゃちょっと」

 人の目もあるし、上の階にはまだ福岡さんがいるはずだ。彼女が下りて来る前に、江籠さんを連れ出さないと。

「じゃあどこにする?」

 僕の頭はこの一言でフル稼働した。大辞典を(まく)るかのように、バラバラとこれまで行ったことのある場所たちが思い巡らされる。

「月を見に行きませんか」

■筆者メッセージ
サッカー?お笑い?ドラマ?
全部興味ねえ!
( 2015/12/20(日) 21:21 )