終章「不滅の愛」
05
 今日は久美ちゃんの告別式だ。お別れの日。明日には彼女は火葬場まで運ばれ、骨だけを残し、去って行ってしまう。今ならネクロフィリア(死体愛好者)の人の気持ちが分かるような気がする。少しだけ。ほんの少しだけ。
 僕は告別式には行かなかった。行ったら、久美ちゃんの死が本当だと分かってしまうから。だから僕は逃げた。“この場所”に行けば、会えると思ったのだ。僕と久美ちゃんが出会ったあの場所へ――。
 
 スマホを取り出し、時刻を確認する。間もなく二十二時になろうかとしている。十二時の鐘は鳴らない。その前に鳴るから。
 彼女の姿はない。小木曽さんにでも見つかってしまったのだろうか。それとも、どこか寄り道でもしているのか。
 
「そんなわけないじゃん……」
 
 地面に寝転んでいると、涙が頬を伝ってくる。滲む沈丁花。柔らかな月の光を受け、一層淡紅色が映えているはずなのに、僕の目にはぼやけて見える。
 
「久美ちゃん……。久美ちゃん……。僕は……」
 
 いつか彼女は、自分の名前を下の名前で呼んでほしいと言った。それを友達に話すと、「Mだな。心の中では服従されたがっているんだよ」と言われた。木崎さんに話すと、「久美さんは男らしい人が好きだから」と言っていた。どちらが正しいのか、僕には分からない。ただ僕は。
 
「ごめんね……。弱い男で……。ごめんね……」
 
 僕は弱い男だ。無力だ。彼女の病気を治してやることも、禁止項目も破ってしまっている。三つ子の魂百まで。幼い頃からの習慣や、口調というのはなかなか治らないものだ。ましてこの状況では。
 ふと左手首に飾られたミサンガが目に入った。僕の誕生日にくれたミサンガ。「私にはお金がないし、稼ぐことも出来ないから、せめてもの気持ち」と言って渡してくれたプレゼント。
 
 あとで聞けば、それは木崎さんに教えてもらったとのこと。彼女に教わりながら、一生懸命作ったミサンガ。「切れると願い事が叶うんだってね。早く切れないかな」と言っていた久美ちゃん。僕が「せっかく作ったのに早く切れちゃっていいの?」と言えば、「うん。その時はまた作るから」とはにかみながら言った彼女の顔が鮮明に思い出された。これが走馬灯というやつなのかな。
 
 手の動きに合わせ、揺れ動くミサンガ。久美ちゃんの想いが一本一本の糸から伝わってくるような気がする。彼女はこれにどんな願いをかけたのだろう。今の僕と同じ願いなら嬉しいな。
 余命三年と言われた彼女。だけど、三年も生きてはくれなかった。スマホに貼られた写真を見る。元気だった彼女。“もしかしたら”という淡い期待も抱いた。日進月歩する医療が、不可能を可能にすることも夢見た。だけど、それは叶わぬ夢だったと思い知らされた。
 
「久美ちゃん、待ってて……。僕もすぐに逝くから……」
 
 フライングをしてしまった彼女。一言文句を言ってやらなければ気が済まない。そう、文句を。
 僕はポケットからサバイバルナイフを取り出した。刃は月明かりで鈍く光っている。僕は目を閉じる。そしてその刃をミサンガに当てた。
  
  
 
 
 
  
 沈丁花の香りがふわりと漂った。

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■筆者メッセージ
以上で終了となります。

一度連載したのにも関わらずたくさんのコメントをいただけて嬉しかったです。
『If〜もう一つの沈丁花〜』がサイドストーリー的なものになりますので、そちらも読んでいただけたらと思います。
( 2013/12/23(月) 18:21 )