06
親の七光りを自慢するかのような東海林の口ぶりに久美は笑いを通り越し、呆気にとられた。金持ちの坊ちゃんはこうでしか女を口説けないのだろうか。
そんな久美の様子にもお構いなしで東海林は続ける。
「僕が医師になってからは、時間こそないかもしれませんけど、お金はさらに増えるはずです。我慢せずに好きな物を買えるんですよ。これみたいに」
腕をサッと捲るとそこには時計が巻かれていた。久美にはどこの時計か分からなかったが、こうして自慢をするのだ。ブランド物に違いない。
「まあ、たかが二十万の時計ですけどね。家にはもっと高価な時計もあります」
「でもそれはご両親が買ってくれた物よね? あなたが稼いで買った物じゃない」
「僕はまだ学生ですから。将来もっと高価な物を買えるようになりますよ。少なくとも僕と付き合えば、今の暮らしよりもはるかに高水準な生活が送れます。どうです? いい話でしょう」
セールスマンのように自らをプロデュースする東海林に、久美の腸は煮えくり返りそうだ。沸々と怒りがマグマのように湧いて出る。
「それは確かに素敵なお話ね」
「でしょ? なら今の恋人と別れて、さっさと僕と付き合いましょうよ。初デートは夜景の見える綺麗なレストランにしましょう。フェラーリで迎えに行きますから」
悪気はないはずだ。それなのにどうしてこうも彼は、人の
癪に障るような口調になってしまうのだろうか。
それが金持ちの定めなのか。凡人の久美には理解出来なかった。代わりに、沸々と湧いていた怒りがついに爆発する。
「ふざけないで!」
カフェテリアに響くビンタの音。その場にいた全員が久美たちに視線を向ける。
「誰があんたみたいな人間と付き合うか! あんたと食事をするぐらいなら哲也君と牛丼屋さんに行った方が何倍もいいわよ!」
広げていたレポート用紙をバッグに詰め、久美は席を立った。
おそらく女にビンタをされたのは初めてのことなのだろう。東海林は頬に手を置きながら呆然としている。
久美はそんな東海林の足を力一杯踏むと、そのままカフェテリアを出て行った。
背後から東海林の呻き声と久美を止める声が聞こえる。それでも久美は足を止めなかった。いつしか久美は走っていた。
走りながら東海林の言葉が
反芻される。思い出したくないのに、勝手に再生されるのだ。久美の瞳から涙が零れ落ちる。久美は走りながら泣いた。
自宅に帰るまでには、涙を止めなくてはいけない。哲也の前で泣くわけにはいかなかった。ぼやける視界の中、久美は息を切らせながら走った。