08
ふと目が覚めると頬に違和感を覚えた。触ってみると冷たい滴が指先に触れた。
夢を見て泣いてしまっていたようだ。僕は隣を見ると愛佳は寝息を立てていた。彼女を起こさないようゆっくり立ち上がると洋服を手早く着込んだ。
「さようなら」
ローテーブルに置かれた鍵を取り出すと、僕はアパートから出た。鍵を施錠し、ドアポストへ入れる。
時刻は間もなく日付を変える頃だった。まだ間に合うはずだ。歩きながら僕は夢の内容を回想する。
夢の中で美月は泣いていた。死んだ恋人の傷も癒えぬまま他の女を抱いた。ましてそれが恋人だった彼女の親友だとは。
最低な人間だなと自嘲する。性欲に支配されたゴミのような存在。そんな人間がのうのうと生きていていいはずがない。
シトシトとした雨の降り続く街は冷たくて人が影のように暗く見えた。僕はその中を傘も差さずに歩くと目的地が見えてきた。
自動改札機を抜け、電車を待つ。ホームに人の数は少ない。
空を見上げた。半分ほど覆われた屋根。その間からシトシトと雨が降り続いている。
「どうして空ばかり見上げるの?」
入院したばかりの頃、よく美月は病室のベッドから空ばかり見ていた。
「わからない。でも人ってさ、辛いときとか悲しいとき空を見上げるよね」
「なんでだろう」
「さあ、なんでだろうね」
今なら美月の気持ちがわかる気がした。こんな最低な男にわかってたまるかって思うかもしれないけど。
けれど僕はなぜ空を見上げるのか説明はできそうになかった。なぜか空を見上げてしまうのだ。
「気分を上げたいからじゃない。上を見上げてればなんかテンション上がる気がしない? ほら、歌でもあったでしょ」
愛佳らしい答えだと思った。そういう明るさというか短絡的なところに僕は甘えてしまったのかもしれない。
間もなく最終電車が到着すことを告げるアナウンスが流れた。雨風を切り裂く音が聞こえる。僕はもう一度空を見上げた。
「美月、今行くよ」
こんな男を待っていてくれているとは思えなかった。迎えてくれとはいえなかった。
ただ、あなたにもう一度会いたかった。
光に包まれる。全身を焦がすほどのまばゆい光。
この光景、どこかで見たことがあるような気がする。
けれど僕の意識はすぐに消え、あれだけ眩しかった光が一瞬にしてこの空のように真っ暗になってしまった。