08
携帯電話も店の電話も通じない。雄二の顔はみるみる青ざめていく。このままでは殺されてしまうかもしれない。
真面目そうな、どちらかといえば幸の薄そうなこの店主に陥れられたのか。頭の中がぐしゃぐしゃとしている。
とにかくここから脱しなければ――雄二は店を出ようとすると男に進路を塞がれてしまった。
「せっかくのご縁です。一緒に飲みましょう。いつもマスターとばかりしか飲んでいないからつまらなくなっていたところです」
「断る。お前らホモに付き合ってられないからな」
「ホモとはずいぶんと手厳しいお言葉を。マスターこう見えても結婚していますよ。お子様もいらっしゃいますし」
「尻に敷かれっぱなしですけど」
「けどそのお尻がいいのでしょう?」
「まあ。細身なんですけど出るところは出ているというか。胸は小さいんですけど。って、何を言わせるんですか」
夫婦漫才でも見せられているかのようだ。しかもひどくつまらない。
「どけ。お前らとなんて絶対に飲むものか」
強引に突破しようと男を押すも、まるでびくともしなかった。まるで柱のように固定されている。
「まあまあ。とりあえず席へ戻りましょう」
それどころか男にひょいと持ち上げられ、雄二は情けなく悲鳴を上げた。男は中肉中背の見た目からは想像もつかないほど筋肉があるというのか。
「雄二さんとお酒が飲みたい私たち。飲みたくない雄二さん。それを解決するには“あれ”しかないようです。マスター、“あれ”を」
「久しぶりですね。“あれ”で負けるとそのあと仕事にならないんですよねぇ」
「大丈夫ですよ、仕事にならなくても。そもそも仕事をするだけ人が入ってこないじゃないですか」
「『ぐう』の音も出ませんね」
「まさしく『ぐう』なだけに、『グー』っと言いますか。グッドのグーです」
右手の親指を立てて雄二に見せる男がもはや人間には見えなかった。彼はもしかしたら幽霊なのかもしれない。オカルト要素である心霊の類をもちろん雄二は好ましく感じていないが、そうしてしまった方が楽に感じた。
そうなればこの店主の男も同類か。グラスを並べて嬉々としている彼は“あちらの世界”の住人で、たまたま今夜迷い込んできてしまった。
そうだ。そうに違いない。先ほどの赤ん坊の泣き声もきっと呪縛霊なのだ。一家心中を図ったものの、現世に未練を残したまま魂だけがここに残ってしまった悲しき連中。
雄二はそう思い込むと恐怖心が薄れていくのを感じた。同情こそしないが、彼らが畏怖する対象から哀れな連中に変わっていく。
「お待たせしました」
カウンターに置かれた三つの小さなグラス。三つとも水のような液体が注がれている。雄二はとっさにピンときた。
「ロシアンルーレットか」
「ご名答。さすがお堅く見えて生粋の遊び人である雄二さんですね」
なぜこの男が自分の名前を知っているのか疑問を抱くのかもバカバカしかった。男の意図は読めた。付き合いたくないが、この場から脱するにはどうやら参加した方が無難のようだ。
「確率は三分の一。ちなみに私は一度も負けたことがありません」
「この方の言っていることは本当ですよ。ちなみに僕は何回負けたかな」
「さあ? マスターはいつも負けているイメージがありますから。ゲームにも、人生にも」
「失礼な。今日はずいぶんと辛口じゃないですか」
「焦がれていた方とこうしてお酒を飲める機会ができたのです。さて、どうされますか?」
「どうするも何も俺が受けなかったらお前ら俺を帰さないつもりだろ」
二人を睨む雄二の鼻息は荒かった。運試しなどくだらないと極力関わらないよう生きてきたつもりだが、今夜は避けては通れなそうだ。
男は返事の代わりに歯を覗かせた。