第九章「麻衣」
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 昨夜言った美久の言葉が頭から離れない。セックスの意味――。
 窓ガラス越しに見える朝の通勤風景の中で、麻衣の目は一組のカップルに止まった。恋人関係だろうか、それとも夫婦となっているのだろうか。
 同じ職場? それとも違う職場? 二人は手を繋ぎながら仲睦まじそうに歩いている。私服の女性に対し、男性はスーツ姿だった。麻衣と年齢が近く見える。

 きっとあのカップルももう肉体関係を持っているだろう。麻衣はそう直感したし、ほとんどの人が見れば自分と同じ意見だろう。
 彼らのするセックスと、麻衣たちがするセックス。その違いとはなんだろう。行為は同じであるはずなのに、その意味合いはまるで違うような気がするのは、自分たちの関係が特殊だからか。

 ――私にとってのセックス。
 恭一郎に買われていなければ、親の事業が失敗しなければ、彼らのようになっていただろうか。女友達と彼氏のセックスの上手さについて語り合う。前戯が足りない。自分勝手。何度でも求めてくる――。
 彼がいないことをいいことに、話はとめどなく進む。時には誇張もする会話で、性について不満を抱いているのいは自分だけじゃないのだと安心する。車内にいる二人のように。

 美久は恭一郎と楽しそうにお喋りしている。こんなにも楽しそうに喋る恭一郎を麻衣は初めて見た。いつもは静かな空間が、今日はいつになく騒がしかった。
 車に乗るのもあまりないという美久は、朝からウキウキとしていた。恭一郎の車を見るなり、歓声を上げた。まるで小さい子そのものだった。

 車が発進する。信号で停まる。右折する。左折する。それらの全てに美久は反応を示した。クリクリとした目を大きく開き、興味深そうに視線をキョロキョロさせている。
 会社に着けば、いつも通りの業務が始まる。こんな子供を会社に置いて大丈夫だろうか。いくら恭一郎が力のある人間とはいえど、美久のような子供をあっさりと受け入れてもらえるだろうか。ただでさえ、自分たちは厄介者の視線を感じてならないというのに。

 そう。麻衣は表情こそ変えないが、いつも自分のことを見る目が「なんでお前がここにいるんだ」と訴えていることを知っていた。場違いな女。それを自覚しながらも、麻衣には会社と自宅しかなかった。どちらも恭一郎がいてこそなのだが。

「もうすぐで会社に着くぞ」

「ところで、美久は会社で何をすればいいんですか」

 恭一郎がバックミラーで美久のことをチラリと見たのを麻衣は見逃さなかった。

「そうだな。麻衣の仕事を手伝ってもらう予定だ」

「ラジャーです。お姉さま、改めてよろしくお願いしますね」

 敬礼のポーズを作る美久に、麻衣は作り笑顔を向けた。麻衣とて、そんな大した仕事をしているわけじゃない。一人で事足りるような仕事だ。
 本当の仕事は性処理にしか過ぎない。所詮は娼婦なのだから。

■筆者メッセージ
どうもね、もう一つの作品の方が書き始めということもあり、進むようです。
( 2016/02/27(土) 22:32 )