09
「それで、うちの娘は大体いくらぐらいになるんでしょうか」
母親の中にあるのは、金のことだけだ。隣でその言葉を聞いた瞬間、渚沙はショックを受けた。最愛の母。苦労をし続けるかもしれないけど、二人三脚で歩もうとしていた人生のパートナーは、もはや金の亡者に成り下がっていた。
「そうですね。相場がこのようになっていまして――」
テーブルの上に滑り込んだ一枚の用紙を、母親は血眼になって見ている。渚沙は恐ろしくて、その紙を見ることは出来なかった。
「こんなにも……」
震える声だった。おそらく母親が予想していたよりも桁が大きかったのだろう。正座をしながら、渚沙は怯えたような目で母親の横顔を見ることしか出来ないでいる。
「ええ。ただ、あくまでそちらは相場になります。実際は娘さんの容姿を考えれば、もっと色が付くかと」
夢宮という男の視線を受けた渚沙は、その爬虫類のような冷たい目に金縛りに遭ったような感覚を覚えた。かつての同級生たちから向けられた視線なんて比じゃない。こんな冷たい目の持ち主を見るのは初めてのことだった。
「お一人の方に買っていただけるんですよね?」
「はい。競売にかけたらという声もありますが、あまり大きな真似が出来なくてですね。ですので、こうして個人の方に買っていただくようなシステムになっております」
「そうですよねえ」
感嘆したような母親の声には、もうすでに娘を売り
捌いた絵しか見えていなかった。昔は澄んだガラス玉のような濁りのない目だったのに、最近では薄汚れたドブ川のような濁りのある目に変わってしまったその瞳には、賠償金を払いきり、“一人で”生きていく姿が映っている。
そう。苦労するのを分かっていながら二人三脚を望む娘とは対照的に、母親は一人で生きていくことを選択した。お荷物になるような娘は、文字通り売り捌いてしまえ。
「娘さんをご紹介しようと思っている方は、これまで私のところで買っていただいたことのある方ですので、ご安心してください。交渉次第で相場の、そうですね。一・五倍、いや二倍近くは上載せられると思います」
「一・五倍! 本当ですか」
テーブルを引っくり返さんばかりの勢いで母親は驚いた。
「ええ。もちろんそこから仲介手数料は引かせていただきますが、懇意にされている方ですので、期待はしてもらって結構かと」
爛々と輝く母親の目を見たのは、久しぶりのことだった。いや、ここまで輝いているのは初めて見るかもしれない。自分が産まれるより、嬉しかったのかもしれない。
頭の中がすっかりとバラ色と化した母親と一緒に過ごすぐらいなら、いっそのこと売られた方がいいのかもしれない。何も知らない少女のように爛々と輝く母親の目を見ながら、渚沙は思った。
しかしそんな考えが甘過ぎたことを、当時の渚沙は知るはずがなかった。