03
時期がある。食材にしろ、人にしろ、最も適切な時期がある。早すぎては早熟のままになるし、遅すぎたら完熟へとなる。その中間点――間もなくその時期に差し掛かろうとしているのだ。
不安はある。それでも、こと“ビジネス面”では、恭一郎に会社を託すことに不安はなかった。むしろ彼の方がきっと自分よりも成果を上げるだろう。それは予感めいたことではなく、規定路線に乗っているのだ。
そう。総一郎が父である公一郎から会社を受け継いだ時、彼は会社を守ろうとした。父が遺してくれた会社を守ることが自分に与えられた使命だとずっと思っていたし、今もその思いは変わらない。
ただ、総一郎には父親のようにバイタリティがなかった。悲しいことに、それが息子としての立場の宿命だったのかもしれない。
その点において、恭一郎は冷酷な面を持ち合わせてはいるが、何よりも開拓心があった。そうなのだ。恭一郎は総一郎に似ているのではなく、祖父である公一郎に似ているのだ。
神がかり的な慧眼からなる取捨選択は、時に情にもろい総一郎には出来かねないことが多々あった。あれは昔、ある取引先が不渡りを出した時のことだ。
その取引先は、生前公一郎と共に公私にわたって縁してきた、いわば古株であり戦友のような会社だった。社長とは懇意の仲で、そんな会社の経営の危機に、総一郎は自分のことのように悩んでいた。
――切るべきか。
会社の未来を考えれば、契約を打ち切り、他社と新たに結んだ方が得策なのは誰の目から見ても明らかだった。役員会議でも、満場一致で打ち切りを望む声が相次いだ。
そう。情に厚い総一郎だって、会社を経営している。自分と社員を食わせていくためには、非情になることが求められていたのは、総一郎自身痛いほどに分かっていた。
それなのに――「契約を打ち切らせていただきます」の一言が言えない。口に
閂をされたように、閉ざされた口からは
呻き声にも似た溜め息が漏れるばかりだった。
「親父。いつまでそんな潰れそうな会社に肩持ちをする? 間もなく沈没しそうな船をなぜ見放さない? このままじゃ俺たちまで沈没してしまうぞ」
久しぶりに恭一郎から食事に誘われた席のことだ。彼は店に到着するや否や
啖呵を切った。しかしそれは総一郎には予想されていたことだった。きっと食事の席はそんな話がしたくて設けたのだろう。
「分かっている。分かっているんだ……」
この頃になると、総一郎はもはや自分がどうしたいのか分からなくなっていた。取引先の会社はもう風前の灯であることは間違いないのに、バッグに入ったA4の用紙を後生大事にいつまでも持ち歩いていた。
今日こそは渡そう――電話をし、その旨を伝えて紙を持っていくだけだった。子供でも出来るこの行為を、総一郎は出来なかった。
「ここで切らなきゃうちの会社は終わる。公一郎から受け継いだ会社をみすみす手放す気か?」
恭一郎は祖父である公一郎を呼び捨てで呼ぶ。仕事に追われ、晩婚の総一郎は恭一郎を産むのに適齢期と呼ばれる世代で結婚した人間たちよりも十数年遅かった。
そのせいで、恭一郎と公一郎の接点はあまりに少なすぎた。公一郎はもちろん恭一郎のことを覚えているが、幼かった恭一郎は祖父のことを覚えているのか、総一郎には分かりかねた。