第三章「総一郎」
01
 思えば、父親らしいことなんて何一つしてやれなかった。
 総一郎は社長室の椅子に深くもたれながら、過去を回想していた。

 父である公一郎の長男坊として生を受けた総一郎は、大学を卒業後、父が経営する椿自動車に入社した。公一郎は常に開拓心と反骨精神に溢れていた。
 出来ないという言葉を嫌い、会社をみるみる大きくしていった。総一郎もまた、そんな父である公一郎のことを尊敬し、また肩を並べられるよう遮二無二働いた。

 やがて椿自動車は国内有数の自動車メーカーにまで成長した。下町で誕生した小さな自動車製造所が都心の一等地に会社を構える。親子揃って、窓の向こうに見えるビル郡を見渡す公一郎の薄汚れた手を見ながら、総一郎は込み上げてくるものを隠せなかった。
 この会社を守ろう――新天地移設に伴い、総一郎が社長の座に就き、公一郎が会長の座に就任した三ヵ月後、公一郎はこの世を去った。

 (ひつぎ)に眠る公一郎の顔は安らかだった。実の親子とはいえど、総一郎に厳しく接してきた公一郎の安らかな顔を見ながら、総一郎は改めて誓った。父が遺したこの会社を守っていくと――。
 願わくは安住の地でゆっくりと休んでください。働き尽くめだった公一郎の冷たくなった手の感触を、総一郎は片時も忘れることはなかった。
 社長としての重責を担う総一郎にとって、公一郎の冷たくなった手の感触は、いつも自分を奮起させてくれるものだった。

 やがて椿自動車は、TSUBAKIに名称を変えた。子会社もいくつも誕生し、国内有数のシェアを維持し続けた。そこにはいつだって創業者である公一郎の冷たい手があった。
 会社を守ることが自分の使命――総一郎はそれを信じて疑わなかった。子供はすでにいたが、妻に任せきりだった。家のことは全て妻に預けていたことを、まさかこんなにも後悔するとは思わずに――。

「離婚してください」

 ある冬の日のことだった。夕食を食べ終え、食後のお茶を飲んでいた時のことだ。最初は妻が何を言っているのか分からず、総一郎は首を傾げた。

「離婚をしてください。私はもうこんな生活に疲れました」

 ようやく妻の言っていることが分かった総一郎は、頭を鈍器で殴られたような感覚を覚えた。

「お前……本気で言っているのか」

 振り絞って出た声は震えていた。

「本気です。恭一郎も大きくなりました。もう私がいなくても大丈夫でしょう」

「大きくなったっていっても、まだ中学生だぞ。なあ、考え直せ。恭一郎にはまだまだお前が必要なんだ」

 総一郎の言葉に妻は鼻を鳴らした。

「恭一郎にはまだまだお前が必要? 冗談を。今まで恭一郎どころか、家のことなんて全く無関心だったくせに。こういう時だけ父親面しないでくれるかしら」

 自分はただ公一郎が遺してくれたこの会社を守りたかっただけだった。会社を守ることが、家族を守ることだと思っていた。
 だが、それが間違いだったことに、初めて総一郎は気付かされた。

■筆者メッセージ
仕事納め!
明日から引きこもれる!
マグロの引きこもりだい!


アルビスさん

自分マグロ目指してますんで。
生ちゃんかどうかはお楽しみにしていただきたいのですが、外した時の失望感を考えて、期待しないでくださいと言っておきますかね笑
そんな野暮な質問は止めましょう。ええ。うっかり汚物のことなんて忘れていましたよ。
綺麗さっぱり水に流しましょう。
( 2015/12/28(月) 21:49 )